この画像は沖縄県南城市役所のホームページから拝借しました。

 

 

まずは、こちらの動画をご覧ください。

“ボケ”を“ボケよう” 認知症を笑い飛ばせ

 

 

認知証の親の世話をすること。
現在、認知証の親の世話をされているご家族のかた。
大変ですね。
そして、認知証の親の世話をされたご家族のかた。
大変でしたでしたね。

我が家は、家族全員が介護の仕事に従事していて
(私は、従事していた。つまり、過去形)
認知証について、ある程度の知識と経験がありますが、
それでも、シンドイ思いをしました。
何故か?

それは、私の親だから。
自分の親が、目の前で日増しにおかしくなっていくのを見るのは
辛いことです。

私は、喜舎場 泉(きしゃば いずみ)さんの「思い方を変えて、苦しみを笑いに変える
ということは、できませんでした。
どちらかと言えば、
記憶障害によって引き起こされる母の行動を
何故こうなるのかを、私の妻子に明確に説明できるようにしていました。
母の言動は、いわゆる奇行・暴言ではないということを
理論的に説明しました。
その上で、
では、母に対して、何をどうすればいいのかを考えるようにしました。
結局、グループホームに入所するまでに
約1年、かかりました。
というよりも、約1年は神戸市では奇跡的な最短日数というべきかもしれません。
人口が多い政令指定都市では、
施設入所は、最大で10年かかった実例があります。
認知症を発症して、それが進行(悪化)して、
施設入所までに、どれくらいの年月・日数を要するかは
一概のは言えませんが、
すぐにというのは、到底無理なようです。

コツがあるとすれば
ネットでの施設紹介は利用しないで
家族が施設に直接連絡して
施設見学をすることだと思います。

何故か?
施設紹介を使った場合、
施設は、施設紹介会社に対して
紹介手数料を支払わなければいけないから。
なので、家族が施設に直接連絡して
施設見学をしたほうが、優先される確率が高い。

 

これ、ここだけのヒミツ。

誰にも言ってはいけませんよ。

くれぐれもナイショにね。

家族の苦しみは、
眼の前で、親の認知証が進行していても
何もできない。
いったい、何をどうすればいいのだろう?
いつになったら施設に入ることができるのだろう?
先が見えないから苦しむのです。

常に、不安がついてきますから。

我が家のケースでは、
1,幻視・幻聴
2,昼夜逆転
3,もの盗られ妄想

  警察に電話して、警官を呼び出す。
  私は何度も警察に行き、謝りました。
  妄想だけならいいのですが、近所の方々を犯人と言い出す。
  これは、私はマジ怒りました。
  いろいろと母に説明・説得をしましたが、
  挙げ句のはてに、母は
  「この家には、目に見えない何かが居て
   私の大切な物を持っていく」と言い出して、
  怖がって、怯えだしました。
  こりゃダメだ。
  これが原因で、施設入所を決断しました。

今年、1月3日に施設から「空き部屋ができました」との
連絡があり、2月1日から、無事入所できました。

経験豊かな、女性の施設長さんと
全員女性スタッフという施設なんですが、
なんと言ったらいいのか、
家族としては、安心しました。
男性スタッフがいる施設とは、
全く雰囲気が違っていました。

空き部屋が出来たということは
その部屋に居た利用者さんが亡くなられたということなんです。
その時の様子を施設長さんに話を聞かせていただきました。
「あんなに楽しくお話(会話)をしてたのに」と言って
スタッフさん達が泣き出してねぇ
という話でした。
私は、この施設に巡り会えて幸運だと思いました。
ここならば、安心して母をお任せできると確信しました。

施設見学した時に、カミさんと
「ここの施設に縁があったらいいね」と話したことがありました。
女性施設長さんが見学で出迎えてくださった時、
施設の建物の外で、
高齢の男性が、木材で作った簡単な家具(大きさは、一般的な洋服タンスくらい)の
塗装(ニス塗り)をしていました。
私は、この男性を施設の営繕(*)の方だと思っていました。
だが、この方は利用者さん(入所者さん)でした。
グループホームは地域密着型であり、
認知証に特化した施設なので
利用者さんが、建屋の外でひとりで何かの作業をやっているという事例は
あまり見かけることはありません。
介護施設は、悪い言い方をすれば収容所みたいなものですが
このような、利用者さんに「何がやりたい」に対応する施設は
一般的ではありません。

(*) 営繕とは
業者に頼むほどでもないようなこと
例えば電球の交換などの介護以外の様々な施設の手助けをする職員のこと。

母の今までの掛かりつけ医から、
施設と連携している医療施設への完全移行が
まだ、終わっていないので
母を病院につれていかなければいけませんので、
その時に母の様子を見ますが
母の言動が、かなり正常化されてきています。

それは、何故か?
1,施設の大きな窓から差し込む、太陽の光で朝が始まる
  これは、非常に大切なんです。
  詳しくは、現在世界で最も幸せな国と言われているデンマークは
  かつては世界でも自殺者の多い国だったことを考えてみてください。

Risk factors for suicide in Denmark
デンマークにおける自殺の危険因子

 


2,この施設では
  利用者さんとスタッフさんとの、
  また利用者賛同しの
  明るく快活な会話が印象的だったこと。

  会話は、メンタル面での健全化の絶対的な条件です。

3,この施設の特徴は、利用者さんの個人史を分析して
  利用者さんの好きなこと(趣味)を最大限に活用している。

  利用者さんの個性を非常に大切にしている。
  これは、利用者さんが自分らしく暮らすための絶対的な条件です。

4,グループホームでの食事はスタッフさん達が作ります。
  女性の特徴(なかなか男にはできないこと)は、
  厨房で食事の用意のために調理(料理)をしていて
  手を動かしていても、同時に
  利用者さん達との楽しい会話ができる。

  この明るい雰囲気は、
  食事を楽しく美味しくする重要な条件です。
  管理栄養士が作った献立は、栄養について考慮されていますが
  ただ、黙ってそれをいただくだけでは
  体の健康を期待できても、メンタルな健康はどうでしょうか?
  それを考えると、楽しく食事することは非常に大切です。

このような状況なので、私は
「ああ良かった。これで良かったんだ」と思えるようになりました。

その調子で
百歳でも2百歳でも
長生きしてください
・・・って感じですね。

母が存命中は、
母が暮らしていた家を大切に守っていかないといけません。
これからも、神戸へ出掛けて行って
家の窓を明けて光を入れて
掃除したり、要るもの要らないものの整理整頓をするなどの雑用があります。
それはそれで今後続けていきます。
なかなか、自分自身の時間がとれない現実もありますが・・・

このような経緯を経ての現在。
冒頭にあった喜舎場泉の気持ちがわかるって言うか
思い方を変えて「悲しいことを笑いに変えた」。
「泉さん、よかったね」と声をかけてあげたいです。
それして、これからのお仕事、頑張ってください
という気持ちです。

ということで、
今回は、この動画もご覧ください。

私は、人生暖かくて明るいのが最高だと思っております。
ですよ・・・

沖縄サムライ - 沖縄の最強おばさんに呼び出された