Trung Huynh DucによるPixabayからの画像

 

最近は、

1,今住んでいる家が古くなって

  急に、建物上の困った話が湧き上がってきた。

2,(私とカミさんの)ふたりのバアさんの世話をしていて

  私の母の体(認知機能も含む)の機能低下が目に見えるようになってきた。

  カミさんの母は、さほど大変な様子ではない。

  日々、穏やかに暮らしている。

 

建物上の困った話」と、「認知機能の低下」は

実は、お金(費用)がかかる話で

その金額も“お安く”はない。

 

 

一度に、困った話が急にやってきて、

正直、私は少し鬱気味でしたし

カミさんには世話する側の「家族ケア」が必要なのか? と心配しました。

例え一晩でも義母が暮らす小野市の実家の広い部屋で、

ゆっくり寝てみてはどうか? と提案しました。

 

 

私は、自分がかなり独特な考え方をしているとは自覚していませんでした。

定年までコンピューター・プログラマーとして働いていたので

職業特性とも言える考え方が、自分の中では、あたりまえになっていました。

 

 

それは、この問題の本質は何か?

最小限、何に着手すれば

問題は大きく改善されるのか?

 

これは、プログラムとして書かれたソース・コードの

改善が必要となっているのは、何が問題で

その問題を引き起こしているのは、どのコードか?

そのコードを、どうすれば最小限の手直しで

大幅な改善が可能になるか?

 

 

これは、非常に忍耐力を必要とします。

感情的になってはいけない。

どの一点を突けばいいのか?

探す。考える。また、探す。

問題点の確認をする。問題点の検証をする。

問題点が明らかになれば、効果的な対策を立てる。

そして実行となる。

実行後は、結果検証と更に問題点の歯止めとなる。

 

 

なんだか、話がむずかしくて、暗くなりそうですが。

 

 

私が25歳くらいだった頃だったか、

(まだ独身で、神戸市長田区に住んでた頃)

私は、コンピューターの仕事が非常に嫌でした。

嫌っていました。

ストレスが溜まる、なのに夜寝られない仕事。

わずかな隙間時間を見つけては、アルコールに手を出して

無理やり、寝ようとする。

不健康の極まり。

 

 

そんな時に、近所に住んでいた奄美出身のユタ(*)のおばあさんに

話を聞きました。

(神戸には、いろんな文化的背景を持った方々が、たくさん暮らしておられます)

その時の話なんですが、

 

* ユタ

沖縄県と鹿児島県奄美群島の民間霊媒師(シャーマン)で、
霊的問題や生活の中の問題点のアドバイス、
解決を生業とし、祈祷活動をする人のこと。

 

 

このおばあさんは、実家が神社(お父さんが神社の宮司さん)として知られていて

同じ奄美出身の方々から非常に信頼されていました。

ユタと呼ばれていましたが、じつは正業(プロ)ではありませんでした。

同じ出身の方々へのアドバイスなどをボランティアでされていました。

 

 

そのユタのおばあさんは、外見はふっくらとして感じで

いつも穏やかな雰囲気の方でした。

 

そのユタのおばあさんは、黒いお盆の上に

米粒をひと握りをのせます。

それを後2回繰り返して

お盆を上から、覗き込みます。

 

そこから、ユタのおばあさんの話がはじまります。

 

 

「あんた、荒れとるなぁ。」

「後5年や。後5年やで。」

「あんたの嫁さんになる人が西の方角からやってくるで。」

「もうしばらくの辛抱や。」

「しかし、あんたはエエなぁ。」

「年をとれば、とる程に幸せになるでえ。」

「亡くなったあんたのご先祖様のあばあさんが、

 いつも、あんたの5メートル上にいて

 あんたのことを見守っとるでえ。」

 

亡き父の実の母ではなく、義理の母(ヨシばあさん)のことかな?

実は、父は養子に出されていました。

 

「あんたの身の上で、何かが起こったら

 あんたのご先祖様のあばあさんが、

 上から降りてくるでえ。」

「つまらないことに気をとられないて

 勇気出して、がんばりなぁ。」

「今は、辛抱やで。」

 

 

そうとう、私は気分が荒んでいたのでしょう。

ふと、ヨシばあさん(名前は知っていたが、顔は知らない)かと思った時、

涙が出ました。

 

 

この話には、後日談(不思議な端)がありますが

今回は、割愛しておきます。

 

 

その2年後に、私は

縁もゆかりも無い、明石市の西端の海の近くで

安い物件(1戸建て)に恵まれて

そこで一人暮らしをすることになりました。

 

 

後半年くらい経てば、私は70歳になります。

今だから話せる、過去の話です。

 

 

急に湧き出した家の事情も

建物が古くなってガタがくるのも、

私とカミさんの母が、年老いてガタがくるもの

考えてみれば、当たり前なことで、

何ひとつ不自然なことは無い。

 

 

よく、テレビでは認知症のことを放送しているが、

年老いて体のガタがくることは、誰も何も言わない。

なのに、認知症(頭にガタがくること)は、そんなに不自然なことだろうか?

認知症が問題なのではないと、私は思う。

問題は暮らし方(衣食住)なんだと思う。

 

 

定年退職して、現役引退した今だから言える。

ほんとに、明石に引っ越してきてよかった。

今は、いろいろと問題があるにせよ

家族にも恵まれて

いい暮らしをさせてもらっています。

 

 

もし、明石に来ないで、今でも神戸で暮らしていたら

今頃は、千円持って、新開地をうろついて

立ち飲み屋かセンベロ屋(千円でベロベロに酔える安酒場)で

相変わらず、こ汚い酒飲みのおっさんをやっていただろうな。

 

 

明石市にいる今でも、焼酎が止められませんが、

酒の肴は、丸魚(捌いていない魚)を300円で買ってきて

(こちらは魚が安い。300円出せば、結構大型の真アジとかが買える)

自分で3枚卸にして、塩焼きなどをつくって

焼酎をいただいております。

 

 

それに加えて、朝夕の海岸での散歩を楽しめますし

小野市の義母の畑の手伝いで、野菜栽培も楽しんでいます。

奄美のユタのおばあさんが言ってた幸せとは、このことでしょうか?

 

 

明石市の二見海岸の日常的な風景。

(2024年4月1日 撮影)

 

小野市の義母の畑の様子。

(2024年5月24日 撮影)

 

少し古くなりかけていた淡路産のタマネギの苗は、

お店(苗屋さん)が半額にしておきますってことだったので

苗200本を1000円で買ってきて植えました。

日々、大きく育っています。

もう6月。ヤバくないか? 全部収穫してしまわないとダメにならないか?

 

まあ、こんなふうに暮らしの中に、楽しめている部分もあるので

やはり、幸せと思わなければ、罰当たりなのかも知れません。

 

 

さて、休憩タイム。

 

短い結婚生活(夫、ジョン・コルトレーンは癌で亡くなった)だったが

4人の子どもに恵まれた晩年のアリス・コルトレーンは

私のとって、感じるところが多々あります。

 

そんなアリス・コルトレーン(ピアノ)と息子ラヴィ・コルトレーン(ソプラノ・サックス)の演奏で

スバリ!

ジョン・コルトレーンの作品、至上の愛(A Love Supreme)