画像の使用:ライセンス規約により下記のリンクを表示。

Isa KARAKUSによるPixabayからの画像

 

 

カミさんの母親、私の母親とふたりの老いた母親の世話をしています。
小野市、神戸市と離れてはいますが、
車で1時間程度の距離なので、何か緊急なことがあっても
駆けつけることはできます。

が、しかし
いつまでも、このままでいいのだろうか?
と思うこともあります。

問題は、高齢化による認知機能の低下なのです。
カミさんの母親、私の母親の両者を見続けていると
ある違いに気がつきます。

両者共に、介護施設は好きではありません。

●カミさんの母親の場合

カミさんの母親は、"いやいやながらも"デイサービスを利用しています。
理由:昼食と入浴のため。

デイサービスでよくやっている、レクリエーションが嫌いなので
施設に行く時は、本・国語辞典と算数の問題集を持参します。

施設では、文章を読んだり、計算の問題を解いたりして過ごしています。
(当然、他者との会話も楽しんでいます。)
施設には夕方まで居るのではなく、
午後2時には、帰宅します。

利用しているデイサービスも対応がいいのです。
デイサービスの利用日ではない時、
デイサービスが非営業日の時でも
熱が出て苦しんでいて、デイサービスのケアマネさんに電話すると、
なんと! 家まで来てくれて対応してくれます。

結果:身体機能の著しい低下はありますが
   認知機能の低下は顕著ではないようです。
   なので、日々を好きなように(自分らしく)暮らせているようです。

●私の母親の場合

亡き父が、重度の認知症だったことが原因なのか
介護という言葉さえ、極端に毛嫌いします。
(本当、感情的になって怒りだします)
かと言って、そのまま何もしない訳にはいきません。
これには、私は苦労しました。

実際に、ある出来事で
私は、神戸の警察から呼び出されました。

私は長い間、訪問介護を母に勧めていました。
訪問介護の優れている点は、
その人の日常生活で障害になるものは何か?
それは、どのようにして解決できるか?
これらをケアマネさんと相談することが可能です。
それでも、母は拒否し続けました。

特に介護に限ったことではありませんが
人権と尊厳という概念(考え方)があります。
・本人が望まないことを他者が強制してはならない。
・本人が望むならば、望むことをサポートしなければならない。
・本人が自分らしく暮らすことを尊重しなければならない。

つまり、こういう概念を念頭において
老後を見ていくので、ことは簡単ではありません。

と言うのは、最近電話で話していても
母が話す内容に違和感を感じることが多くなってきました。
被害妄想と幻聴の傾向がみられるようになりました。
認知機能の低下を感じます。
私は不安になります。

これもまた、最近のことなのですが
今までのかかりつけ医は病院の診療科自体が閉鎖になりましたので。
母のかかりつけ医を変えました。

新たに母を診ていただける医師は、
母の年齢・身体能力・症状を診て
訪問看護を利用することを勧めてくれました。
(病院に来なくても良いという意味ではありません)
訪問看護では薬の管理・症状の処置(注射とか)に加えて
老化の進行や、その他諸々の観察を行ってくれます。

私は、地域包括のケアマネさん(父親の時にお世話のなった)に連絡して
その旨を伝え、訪問看護仕さんを手配していただきました。
家族の言うことは素直にきいてくれないのに、
医者の言うことはきくのか・・・・と思いました。
これは、いったい、どういう論理なんだろう?
それでも、まだ、
母は訪問看護仕さんは必要なのか? なんて言ってますが・・・
困ったものだ!

●両者の違い

それは、自分の老いを受け入れて認識するか、どうかだと
私は思います。

そして、介護や看護に頼り切るのではなく
地域包括のケアマネさんと上手に付き合いながら
訪問介護や、訪問看護、その他の制度を利用すればいいと思います。

何も年齢に限ったことではなく
どうしても自分でできないことは、
ヘルプ・サポートを求めればいいのではないでしょうか?

例えば、職場に於いても
何もかも自分で問題を抱え込んで、
自分で問題解決しようとすれば、
これは、どうなりますか?

そういう人は、職場の害になります。

いったい何のための職場なのですか?
何のための組織ですか?
報告・連絡・相談という言葉があるではないですか。

年老いて、看護・介護を拒むのは
このような話に似ていると思います。

いったい何のための制度なのですか?
何のための社会ですか?

いったい何ために、介護保険料を払っているのですか?
国に寄付しているのですか?
掛け捨て保険ですか?

そう言えば、
最近、政府は
訪問介護と居宅介護の報酬金額を下げましたね。
私は、理解できません。
世の中に必要とされている社会制度を向上させるのではなく
低下させるのは、いったい何故なんだ!
岸田総理、海外協力・支援を嬉しそうに話すな!
そうかい? ウクライナ復興? 外国人受け入れ?

それも、ええけど・・・
少しは、国民に向かえ!

私は、明石市元市長、泉房穂氏ならびに明石市民の会は好きではないが
確かに、泉氏が言うように
「明石市は住みよい町」だとは思います。
それは、泉氏の教育の無償化だけではありません。
明石市営の高齢者施設も無料です。
いや、無料を強調するつもりはありません。

明石市は、海沿いには神戸市のような工業地帯はありません。
東から西まで、海岸は美しい景観を保っています。
海岸に近い地域では
会社勤めしている人や、高齢の方々が
朝は海岸で運動(ウオーキングやジョギング)しています。
夕方は、奥様方が小さな子どもを連れて海岸で散歩しています。

魚が安いです。本当、200円程で魚が買えます。
但し、まったく捌いていない丸魚ですけど。
私は、日頃、アジを買ってきて
自分で捌いて、料理はカミさんに任せます。
農協の販売所で地元の採れたて野菜を買ってきて
魚と青物野菜を合わせると
シンプルですが、食材については、保存料・食品添加物とは無縁の食生活が可能です。
意識しなくても、自然と低糖質にもなります。
要するに、質素であっても、本当に旨いものを味わって食べることかな?

アジを 200円で10尾程買ってきて
捌いて三枚おろしにして、アジの甘辛煮とか
十分に食欲は満たされますから。

まあ、仕事は神戸や大阪へ出かけていって
私生活は明石でというのは、まんざら間違いではないようです。

新型コロナ禍が原因で、私は 64歳で仕事を停止しました。
それからは、自分が住む町から出ることも少なくなりました。
今は、自分が住む町に充分満足しています。
願わくば、生涯、ここで暮らしたいと思っています。

●話を戻して

私の耳には入っています。
あそこ(母の)家族は、年取った母親と一緒に暮らす気は無いのかね?
そう言う人がいます。
確かに他者から見れば、そう見えることでしょう。

だが、
私が、私が暮らす町のことを
このように思うのと同じように
私の母が、神戸のことを思っているならば
私は、母は思うとおりに暮せばいいと思っています。

そう。例え親子であっても
望まないことは、強制してはならないのです。
誰にも、人権と尊厳を尊重する義務はあるのです。

余程、重度の認知症でもない限り
人は自由に暮らせるべきです。

但し、自分の老い(老化)を受け入れ認識はしてください。
いつまでも頭のなかでは、昔のままではいけません。

自分の体が変化していくのと同じように
社会・世相・ライフスタイルも時代と共に変化します。

それを受け入れないで、
頑なになっては、むしろ他人に迷惑を掛けかねないのです。

だから、できないことはできないと言うべきです。
かつて、何でも自分でできていたことを
いつまでも思っていても仕方がないと思います。

私は、最近、気になることがあります。
それは、
自分の親を見ていると
自分もいずれは、このような頑なな老人になるのだろうか?

肝に命じておきませう。

「子供叱るな(それは自分が)来た道。老人笑うな(それは自分が)行く道。」


P/S
今や、政治家は、高齢化問題だとか、
マスコミ(特にテレビ)は、認知症を問題視して騒ぐ。
少しは、言葉の使い方には、注意しろ!
余りにも、高齢者に対して失礼だとは思わないのか?
少しは、希望を見いだせる話をしろ!


ということで、今回は、是非この動画をご覧ください。

長野県にお住まいの春原(すのはら)治子さん。