ロシア・ウクライナの情勢について
今の日本の立ち位置を見ていると
果たして、これでいいのか・・・
どうか? と
少なからず思う。

ロシアは悪者。ウクライナは被害者の2元論を語る前に
何故、そうなった? を知る必要がある。

このような事態に至るまでに、ゼレンスキー大統領に
政策的な落ち度はなかったか?
本当に、ウクライナ国民の日常を守る政策だったのか?
戦争だか、紛争だか、いつも犠牲になるのは一般人。
ゼレンスキー大統領に、そのような考慮はあったか?
そこは吟味されるべきかと思う。

何年前かは忘れました。
一度は、このブログで書いた話しで
繰り返すようですが・・・

神戸の阪神大震災の時の話です。
数日経って
大きな揺れが収まった時に、町を歩きました。
なんでか。飲料水を求めて。

小学校の横を通りました。
小学校の中がみえました。
あれまあ、皆さん、きちんと並んで
机の上で寝てるわ・・・

そのまま通り過ぎて、しばらくして

んっ!? 今のは何や?
そんな筈ないやろ。
あれは、もしかして遺体が並べられて・・・

思った瞬間、食べたものを路上で
戻してしまった。

その後、我が母校“滝川高校”の北側にある酒屋さんに行きました。
なにか飲み物があれば、分けて欲しくて。

その時の酒屋のおやじとの会話。

私「大変なことになったなー」
店主「なにが?」
私「そやから、震災やがな」
店主「そんなもん、たいしたことない」
私「???」
店主「神戸の空襲の時に比べたら、たいしたことない」

その店主(おやじさん)から聞いた話。

神戸の空襲でなあ。被害を受けて亡くなった人の遺体が
滝川高校の周りに並べられてなあ・・・
夏の暑い時で、遺体が腐りやすいさかいに
あの学校のグラウンドに埋めたんや。

その後に終戦で。
GHQやその家族(アメリカが)が、毎週日曜日に野球を楽しむために
滝川高校のグラウンドに来てたんや。

皆さん、どう思いますか?
天皇陛下の玉音放送。
「耐え難きを耐え、忍びがたきを忍び・・・」
重いお言葉です。
滝川高校の卒業生としても、かつての神戸市民としても
(今は、明石市民)
思えば、涙出ますよ。今でも。

無条件降伏したというのは、こういう事なんです。
こういう判断を日本国として下さなければならなかったのです。
こんな状況の中から、昭和時代の先人達の
戦後復興が始まったのです。

そんな話、知らなかったという方々には
戦後復興が、どれだけ大変な一大事だったかを
ご想像いただければと思います。

あの、ロシアを語る時
北方4島への武力侵攻と住民からの略奪。
これ、アメリカとて同じです。
日本の重要な文化財が何故、外国にあるの?
もとはと言えば、白人共の考え・思想は同じ。
奪い取るがあたりまえ。

奪い合いが当たり前な連中には
そやつらだけに戦争させておけ。
何を言っても、日本の常識は通用しません。


まあ、礼儀・礼節を重んじる我々日本人としては
日本の南の片隅に
かようにも美しく素晴らしい歌が
あることも忘れないでね・・・
歌詞をよく読んでみて・・・

元ちとせ「黒だんど節」