慰霊の日とは
慰霊の日(いれいのひ)は沖縄戦などの戦没者を追悼する日。
1945年6月23日に、日本軍の組織的な戦闘が終結した日に当たる。
これは、一般的に知られる「終戦の日」とは異なる。
1945年8月15日:玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日。
沖縄の存在を知ったのは21歳の時、
1977年,「喜納昌吉&チャンプルーズ」を聴いたのがきっかけでした。
ただ今65歳の私は、沖縄の存在を意識したのは23歳の時。
Condition Green という Rock Band が、中野サンプラザホールで Liveを行い
1978年, First Album 「Life Of Change」をリリースした時でした。
紫という Okinawan Band が既に本土デビューしていましたが、
レコードとしての記録としては、1975年10月に「'75 8・8 ROCK DAY LIVE」というLPがリリースされました。
悲しいことに私は、LPの帯に書かれていた「紫 本土上陸」の意味がまったくわかりませんでした。
なので紫が Okinawan Band であることを知りませんでした。
同じ沖縄で何故にもこのように、極端に違った音楽が存在するんだろう?
それが当時の私の感じたことでした。
喜納昌吉&チャンプルーズが、沖縄の人達に向けて演奏されているのに対して
Condition Green は、アメリカ人に向けて演奏されていたので
いわゆる職場の種類の違いであったわけです。
いずれにせよ、本土人(内地人)には多少なりともショックな音楽だったのは確かです。
紫は技術的なハードロック・バンドって印象で、ある意味沖縄だからどうのこうのではなかった感があります。
昭和30年(1955年)生まれの私が20歳過ぎるまで、頭の中に「沖縄」という存在がなかったのであります。
言いかえれば、私たち昭和生まれの人間は日本の歴史を考える上では「沖縄」を外して考えていたことになります。
それがいけないとか望ましくないとかではなく、沖縄の存在を知らしめたのが
「喜納昌吉」や「Condition Green」というLive Musician だったことです。
あー、なんていうことだろう。
この世に差別があるとすれば、それは
事の真実を知らないところから発生すると私は考えています。
「沖縄」を外して日本史を語るならば、それは沖縄に対する差別とまでは言わないまでも理解不足の原因になります。
ある意味では、沖縄を知ることは日米関係を知ることになる。そう言えると私は考えます。
こんなにまで、アメリカと対峙している場所が沖縄以外にあるであろうか?
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ただ私は思う。日本政府はいつもそうなんですが・・・
きちんとした説明責任を全うしていない。
これは、沖縄では左翼活動家(その殆どは沖縄県人ではない!)に活動のチャンスを与えているようなものであると考えます。
変に世論を曲げるような、極端な思想家などがあっては「事の真実」が遥か遠くに去っていく。
今必要なのは、何が真実なのか。
そのことを日本全国に向けて発信できるのは、左翼活動家など関係ない「純粋な沖縄県民」だけだと考えます。
沖縄県知事 玉城デニー氏の任務は重大であると思います。
左翼活動家はさっさと沖縄から出ていけ!
今は、沖縄県民の純粋な声に耳を傾けて
日本国民がそれぞれ、自分の頭で考えて理解することが先決なのであります。
皆さん、そう思いませんか?
さて、今回お届けする曲は
沖縄音楽を代表する歌手、古謝美佐子さん作詞。
奄美の新しい才能、城南海さん(きずき みなみ)との共演で
古謝美佐子・城南海「童神(わらびがみ)」
天からの恵み 受けてこの地球(ほし)に
生まれたる我が子 祈り込め育てという出だしの歌詞は、静かなショックを感じざるを得ない。
なんて、本能的であり人間本来の心を感じさせることか。感心するばかり。
ゆっくりと、噛みしめてお聞きください。