昨年末頃は崇高クリニックへ通うようになってから何年ぶりに風邪を引きました。
介護関係の学校に通うために電車通学中(電車に乗っている時間だけで1時間余り)に他人の風邪を貰っていたのかもしれません。
確かに、久々の長時間の電車通学と62歳目前での学生生活(確かに介護の勉強はかなりキツかった)のため体がお疲れモードになっていました。
年が明けてもどうにも体がシャキっとしませんでした。なんだかダルい。
2017年1月19日、午前4時から外に出てしっかり目にウォーキングをやってみました。
朝4時って誰も歩いていないようで、歩いている人っているもんだってなぁ・・・なんて。
あなたの街にもありませんか? 詳しくは知りませんが朝起き会みたいなの。確かに元気そうな人たちだと思いました。
寒いと言えば確かに寒い・・というか風が冷たいですし。
寒いと思えば例え 10メートル程度でも走ってみると、あら不思議。
体が暖かくなって、歩き方が変化してきます。大股でゆっくり歩いてもあまり寒さを感じなくなりました。
走りも含めて歩くこと約50分。
これをきっかけに体調や少し萎えかけていた精神状態も立ち直りはじめました。
崇高クリニックへ通いはじめてから一体何が変わったか?と言えば、冬があまり寒いとは感じなくなりました。
但し、兵庫県南部の瀬戸内海側の話ですが。兵庫県中部・北部は知りません。他府県は知りません。他国も知りません。
炭水化物燃焼型から脂肪燃焼型に変えていくと、確かに驚くべき効果はあったようです。
動物性たんぱく質をしっかり摂取することの大切さ。
肉は赤身、たまごは一食あたり少なくとも3個、焼けば脂の出る魚(主に東北・北海道産のもの)か近海モノであってもアジとかイワシとか。
今月末頃には62歳になりますが、最大の関心事は
ヨーロッパ(ドイツやデンマーク、北欧)や、グリーンランドのイヌイットの人々は何故あのような寒いところで暮らせるのかってことです。
国内でいえばアイヌの人々の生活に興味を惹かれます。
長年、2型糖尿病に苦しんだ私は崇高クリニックへ通いはじめた時に強烈に意識したことは「食生活を変えて、体温調節能力を蘇らせたい」ということでした。
夏になればクーラーに入り浸り、冬になればヒーターに入り浸り。そういう生活から脱却。
なので現在に至っても自室には暖房器具は置いていません。
但し、家族のために
1、夜寝る前にお風呂に入るまでの時間には石油ストーブで部屋を暖める。
2、朝起きやすいように、早朝から石油ストーブで部屋を暖める。
これはやっています。
決して自分がやっていることを、家族に押し付けたりはしません。
家族はごく普通にご飯を食べますが、できるだけ動物性のものをおかずにするようには勧めています。
そのせいか、家族も以前に比べてストーブを使う時間がかなり減ってきています。灯油もそうそう頻繁には買いに行かなくなりました。
カナダのカルガリーに住んでいる BSD Unix O/S の一種 OpenBSD の創始者として知られている 非常に厳格な コンピューター・プログラマー Theo de Raadt の
Theo's page - Theo de Raadt
人は何をやるにしても健康な体があってこそ。
せめてこれくらいには強そうな体でありたいと思うのであります。OpenSourceおじさんは、ときどき・・・
さて、久々のブログ投稿です。写真をアップしておきます。
1、昨日(1/20) 家内の実家へ行った時。
何故だか最近、ヌートリアが居なくなった池。以前は冬でもヌートリアに畑の作物を食い荒らされていました。私も何回もヌートリアを見ました。
義母は野菜作りを辞めたくなるくらいに落ち込んでいました。
2、さすがに90歳になる義母は、なんだか畑に作物を作っていない場所が目立つようになりました。畑は他にも、もう一か所やっています。
大根、白菜、菊菜、壬生菜などを作っていました。大根、白菜、菊菜をいくつか収穫を手伝いました。サケのアラを買っていたので今夜は鍋ですね。
3、これは私の料理。一回あたりにイワシを少なくとも15尾は買ってきます。これを煮付けます。砂糖は使いません。
イワシの頭を取ります。胸ヒレの部分を斜めに切り落とします。砂糖を使いませんので背骨も取ります。
オイ鰹の出し汁(200cc程度)、料理酒(おたまに1杯程度)、魚の臭みを取るためにコショーを少々。これだけです。
すべてを食べなかった場合は、手なべに入れておきます。次に頂くときはだし汁を加えて煮て温めます。 電子レンジは使いません。
2型糖尿病でない方は、これをたっぷりと温かいごはんの上に乗せて召し上がれ。
是非、お試しを。