昭和30年1月30日に私は誕生しました。
場所は兵庫県神戸市長田区若松町。


いわゆる新長田です。


思えばこの町も阪神大震災でずいぶんと外観が変わりました。


私の記憶にある新長田は
貧乏長屋の前の道路を
引っ切り無しにトラックが走っていた。
そんな記憶です。


今の新長田は、ただの住宅街です。


今から50年前の新長田の方が
車の行きかう台数は多かったです。
そりゃもう車だらけ。


ゴム板を積んだ車。鉄材を積んだ車。
不思議な話ですが、
そんな車だらけの道路に
ロバが荷車をひいてパンを売りにきたり。
「ロバのパン屋♪」


夕方になると、ぶっといタイヤの自転車で
豆腐を売りに来るおじさんとか。


今から考えるに
本当に何も無い、そんな時代・・・昭和。


あるのは「追いつけ、追い越せ」。
ただただエネルギッシュに人々が
活動していた時代。


「鉄は国家なり。」


鉄鋼産業こそがハイ.テクノロジーだった時代。
私の父は神戸元町のパルモア学院で英語を学びながら
鉄鋼技術の英語で書かれた洋書を
自分で翻訳しながら技術習得していました。


子供心に記憶している昭和時代。
日本全国、国民が真に一丸となって何かに向かって
エネルギッシュに毎日を暮らしていた。


現在とは比べる間でもないです。
安部総理、少しは考えていただきたいです。
いまの世の中、昭和時代にも劣る・・・そう思いませんか?


何処にエネルギーがあります?
何処に未来に対する希望があります?
エセ、嘘糞の政策はお止めになるんですな。
人の心に希望を与えられない、そんな政策は
実は政策でもなんでもない。


池田総理の所得倍増論って、今考えると
なんと先進的な政策だったことでしょう。
これが昭和時代だったんです。


考えてみれば、本当に何も無かった。
漫画家では手塚治虫、赤塚不二夫、藤子不二雄、石ノ森章太郎。
そんな人達が一生懸命に何らかの夢を表現していた。


では、そんな昭和時代は漫画雑誌(少年週刊誌)を不自由なく読めたか?
私はいつも時間の経過した
いわゆる古本で少年サンデーなんかを見ていました。


それでも心までは貧しくはなかった。
そんな記憶があります。


本当、あるのは夢だけ。
実際には何もなかった。


自分の体だけ。自分の心だけ。
後押ししてくれるものなんて、本当になかった。
だけど明日に向かって生きていた・・・。