JOT (Journal Of Object Technology)
In memory of Ole-Johan Dahl
and Kristen Nygaard
http://www.jot.fm/issues/issue_2002_09/eulogy.pdf
この記事を読んでいて、どうも気になる事があります。
Object指向の創始者であると言われている
Ole-Johan Dahl と Kristen Nygaard の事を
Collaboration と表現されている事なのです。
Partner ではないのです。
Kristen Nygaard は、参加型デザインを遂行した技術者であったことに尽きると考えます。
参加型デザインは、システムを利用する側の立場の人々を
システム設計段階で積極的に参加してもらい、
これから開発する予定のシステムが、システム利用者にとって
最適な設計が行われているかどうかを、チェックしながら
設計を進めていくという手法の事です。
Ole-Johan Dahl と Kristen Nygaard のCollaborationは、Object指向の有用性を
参加型デザインによってその実用性が立証したのではないかと
考えます。
Object指向は今も尚、プログラミングする側のスキルを支える
開発手法として語られる事が少なくはありません。
なのでプログラマーさんが、Object指向について書いた記事は良く目にします。
たくさんのプログラマーさんが書かれた記事には、一切の批判・否定はありません。
どころか、かなり参考にさせていただき学ばせていただいています。
JOTの9ページ程の記事を読んでいても、感じるのですが
人の自然な思考パターン(開発者にあらす、ユーザー側においても)と
プログラミング手法とを取り持つ意味で
Kristen Nygaard の参加型デザインが決定的なキーのなったことは
間違いの無い事でしょう。
私が思うには、日本的な開発側とユーザー側の関係では
おおよそ成り立たないように思えます。
なんていうか、日本社会には
受注者責任はあっても、発注者責任はあまり問われないっていうか
「お客様の要望をお伺いさせていただいた上で、後は
私共が考えます」みたいな。ユーザー受注「言いたいこと言って」後は
丸投げ。システム受注側は、まるで「お客様の夢を売るのが仕事。後はお任せください。」
「お客様は神様です。」みたいな。
ほんとは、それは、ユーザーの真の問題から遠ざかることはあっても
アプローチするのは難しいのではないかと。
ことシステムのような無形の開発成果物に対しては。
これは、Ole-Johan Dahl と Kristen Nygaard のCollaborationと
Kristen Nygaard の参加型デザインとは
程遠いところに位置しているんではないかと思うんです。
使う側も開発する側も、共になって「何を開発するか」を考え、力を合わせる。
使う側も設計に積極参加する。
「あの人達には費用を払うんだから、後はやっといてね」のような丸投げと
丸投げされて、それを尚も仕事と思ってやっているような旧態依然としていいのだろうか。
そうでなければ、1971年から1973年までに実践・立証されたKristen Nygaard の参加型デザインは
いったい何であったか。
それを支えた、Object指向は何であったか。それを知る事は困難であり
良くも悪くも、日本型企業とまでは言いませんが
1967年頃に提唱、Simula言語で具体化された Object指向を
真に理解するのは、これまた難しい話ではないかと・・・
JOTの記事を読んでいて、ふと感じた次第であります。
In memory of Ole-Johan Dahl
and Kristen Nygaard
http://www.jot.fm/issues/issue_2002_09/eulogy.pdf
この記事を読んでいて、どうも気になる事があります。
Object指向の創始者であると言われている
Ole-Johan Dahl と Kristen Nygaard の事を
Collaboration と表現されている事なのです。
Partner ではないのです。
Kristen Nygaard は、参加型デザインを遂行した技術者であったことに尽きると考えます。
参加型デザインは、システムを利用する側の立場の人々を
システム設計段階で積極的に参加してもらい、
これから開発する予定のシステムが、システム利用者にとって
最適な設計が行われているかどうかを、チェックしながら
設計を進めていくという手法の事です。
Ole-Johan Dahl と Kristen Nygaard のCollaborationは、Object指向の有用性を
参加型デザインによってその実用性が立証したのではないかと
考えます。
Object指向は今も尚、プログラミングする側のスキルを支える
開発手法として語られる事が少なくはありません。
なのでプログラマーさんが、Object指向について書いた記事は良く目にします。
たくさんのプログラマーさんが書かれた記事には、一切の批判・否定はありません。
どころか、かなり参考にさせていただき学ばせていただいています。
JOTの9ページ程の記事を読んでいても、感じるのですが
人の自然な思考パターン(開発者にあらす、ユーザー側においても)と
プログラミング手法とを取り持つ意味で
Kristen Nygaard の参加型デザインが決定的なキーのなったことは
間違いの無い事でしょう。
私が思うには、日本的な開発側とユーザー側の関係では
おおよそ成り立たないように思えます。
なんていうか、日本社会には
受注者責任はあっても、発注者責任はあまり問われないっていうか
「お客様の要望をお伺いさせていただいた上で、後は
私共が考えます」みたいな。ユーザー受注「言いたいこと言って」後は
丸投げ。システム受注側は、まるで「お客様の夢を売るのが仕事。後はお任せください。」
「お客様は神様です。」みたいな。
ほんとは、それは、ユーザーの真の問題から遠ざかることはあっても
アプローチするのは難しいのではないかと。
ことシステムのような無形の開発成果物に対しては。
これは、Ole-Johan Dahl と Kristen Nygaard のCollaborationと
Kristen Nygaard の参加型デザインとは
程遠いところに位置しているんではないかと思うんです。
使う側も開発する側も、共になって「何を開発するか」を考え、力を合わせる。
使う側も設計に積極参加する。
「あの人達には費用を払うんだから、後はやっといてね」のような丸投げと
丸投げされて、それを尚も仕事と思ってやっているような旧態依然としていいのだろうか。
そうでなければ、1971年から1973年までに実践・立証されたKristen Nygaard の参加型デザインは
いったい何であったか。
それを支えた、Object指向は何であったか。それを知る事は困難であり
良くも悪くも、日本型企業とまでは言いませんが
1967年頃に提唱、Simula言語で具体化された Object指向を
真に理解するのは、これまた難しい話ではないかと・・・
JOTの記事を読んでいて、ふと感じた次第であります。