私が現在のお医者さんに主治医をお願いした時
まず最初に指摘された事は
「血糖値よりも高血圧を自分でも意識して改善する事」でした。
半ば、「怒られているような」感じでした。
現在のお医者さんに主治医をお願いするきっかけは
糖尿病持ちなのに「外科治療を必要とする」怪我(*)をしてしまった事でした。
* 糖尿病持ちが怪我をすると、なかなか直らない。
どころか、ばい菌が入ってしまうとかなり危険な事になります。
この後に私が実行した事は、危険な事ではないかと思いますので
決してお勧めは出来ません。
ただ私は「やろうと決めた」のでした。
1、テレビで見たうろ覚えの状態(熟知していなかった)で
ほうれん草か小松菜をミキサーにかけて「青汁」を作り
それだけでは栄養というより単純に「食欲」が満たされないので
絹越豆腐とハモ皮(*)を少々。
* ハモ皮は関西特有の食べ物ですが
意外に「では関西であればどこでも売られている」かと言えば
そうでも無いようです。
魚に関する食生活が同じ兵庫県内でも微妙に違うという事を
あるスーパー.マーケットの魚コーナーの店員さん(魚をさばいている人)が
教えてくれました。だから店舗によってハモ皮は
置いてあったり、無かったりするのだそうです。
関西人にとってたまらない美味しい食べ物の一つですが
少量の割りに、値段は高めなんです。
2、1での食事を朝.昼.晩、3回。
その後に自転車(運動用のミニ.サイクル)で
約6Km 往復。その間、8回くらい休憩をとりました。
片道 4回の休憩。
3、一週間で約7Kgの減量。
まさか、ボクサーでも無いのに
よくやれたものだと、今はそう思います。
現在の私よりも、その頃は元気だったのですね。
4、ボクサーの方々がされている事は、
いろんな書物.書籍で「格闘技の科学」という表現を目にしますが
この時ほど、その事を強く感じた事は無かったです。
血圧が体重減少と共に、正常化されました。
5、血圧と血糖値には因果関係は認められていません。
が、高血圧が解決できれば「脳と心臓」は守られる(*)そうです。
* このあたりを断言できないのは、
私は医療関係者ではなく、医療知識の無い患者だからです。
6、この半ば危険とも思える行為にでる決心をした私は
今思えば、まだ元気だったわけで「今やれ」と言われれば
無理では無いかと思えます。
7、体重減少と同時に、血糖値検査の結果が
目に見える程に改善されました。
食前血糖値が、大体(*)80代を維持するようになりました。
* 大体というのは、何故か冬だけが
何をやっても食前血糖値が下がりませんでした。
怪我が原因で本当に 365日。毎日外科病院へ通って
365日、血糖値を測定した結果がそうでした。
8、少食(栄養は必要なので要注意、単にカロリー制限すればいい話では無いようです)と
少しハード目な運動でヘモグロビンA1cの値も改善しました。
私は今でも、この時の事をよく思い出すのです。
そんな訳で、現在のペースが「努力が充分に足りている」とは思いにくいのです。
そんな不安を抱えた私の朝を、ここに書き記しておきます。
私の夜から朝にかけてのパターンなんですが。
1、夜は、10:00~2:00までは寝るようにしています。
合言葉「10時や、On My Mind」(Georgia On My Mind)。
2、朝は、ほぼ毎日 5:30起床。(出勤日とは休日とかは関係無し)
起床後はゆっくりとストレッチ運動で体を慣らします。
3、6時からは朝食。私は基本的には上述1の内容ですが、
穀物(ごはん)も少々(子供用のお椀に一杯程度)はいただきます。
ルールは青汁が先。でなければ野菜サラダなんかが最初。
詳しくはわかりませんが、朝はしっかり目に食事を取ったほうがよい
とも言われているようです。
当然ですが、糖尿病の食前薬と食後の薬は忘れずに飲みます。
4、7:00自宅を出ます。
最寄に駅まで徒歩30分。心持早めのペースで歩きます。
自宅の近くの公園での桜のワン.ショットです。
「チカン、変質者に注意」なんて看板があります。
間違っても、私ではありません。
なんで?そんな元気が欲しいわ。既に、生殖機能は
心身共に停止していますわ。歳なんぼやねん。
春を見る歳かいな。でも若い女子学生の元気な姿を見るのは
いいものです。目の保養にいいですし。
子持ちのおばさんは、いらんよ。若く美しく見せていても
既に「行け行けギャル」ではなく「行ってしまった後」やないですか。
いらん、いらん。怖いわ。
あかん!話がそれました!・・・
5、年齢による基礎体力低下のせいか、朝の徒歩30分の運動は
疲れます。なので、JR神戸駅までは、各駅停車に乗って
ゆっくり腰掛けて行きます。
この時はうたた寝しますが、首を回すようにして
首の運動をします。乗車時間は大体40分程度です。
首の運動を欠かして仕事に精出していると
結構、後で痛い目に合います。「頚椎症性神経根症」とか
悪化すると辛いです。(この事は別の機会に書こうと思っています。)
6、JR神戸駅で下車。8:10頃。
ここから勤務先の元町まで、また歩きます。
所要時間は、私の場合 約30分。
この日は天気がよかったのですが、元町高架下商店街を歩きました。
このフレーズ、いいでしょう?そう、思いませんか?
私は今は、お菓子は食べませんが、スィーツの好きな方にお勧め。
レンセイ製菓さんの、クッキーなどの焼菓子のセット。
甘すぎない、でも美味しいお味です。
* お断り:決してレンセイ製菓さんのスィーツは私の
糖尿病とは一切関係はありません。なので、自信を持ってお勧めできます。
あの、はっきり言って「神戸名物」です。
他府県からお越しの方々には、和菓子が「菊水本舗」
最高峰は私的には「亀井堂 総本店」だったりしますが
洋菓子は、「レンセイ製菓さん」をお勧めします。
モトコー3で、こんなチラシを見つけました。
バンドのライブ情報や、バンド.メンバー募集のチラシの張り出しです。
いいですよね。朝から、元気出ます。
がんばれ!神戸 ロック.ミュージシャン達!
そして、元町に到着。
なんで保育園の写真やねん?
そうではないのです。
私は高校生だった頃(滝川高校)、放課後に私服に着替えて
出かける所が、元町「トアウエスト」だったり
三宮「冥土 In Japan」だったのであります。
当時の ロックのライブ.ハウスというより「クラブ」の草分け的お店だったのです。当然、生でバンド(当時、ハード.ロックと言われていました。)
当時の神戸でロックのライブが体験できる、たった2軒のお店のうちの
一軒が現在のトアウエストだったのです。
当時の神戸の人気バンド。ブラック.サバスみたいな「寛永通宝」(*)とか
カントリー.ロックの「ジプシー.ブラッド」とかをライブで聴いていました。
私、高校生だったんです。一人で出かけていきました。
今だから言えるんですが、未成年なのに「アルコール入り飲料」
たくさん飲めませんでした(慣れてなかったもので)が
飲んでいましたので。正直いって、ロックと一杯のコーク.ハイ。
おいしかった!当時入場料、\1,000也。懐かしい。
この当時、現在の元町サンセット通りは
他にも、元町から三宮まで
歌謡プログラムをやっていたJazzバンドの入ったお店が
ズラッと、並んでいました。
今だから言えるネタですが、当時の高校の音楽の先生を訪ねて
キャバレーの楽屋に 18:00過ぎてから行った事も
何回かあります。楽屋で化粧中のホステスさん達を見て
当時高校生だった私は、幾度とも無く「下半身」が硬くなりました。
ははっ、何の話やねん。朝から。アホちやう?
* 寛永通宝。後に、東京イエローズのベースとキーボード奏者を加えて
アビーロード.フライング.バンドに発展した。
前任のキーボード奏者の宮内さんは、かなり才能豊かで
ライブを圧倒していた記憶があります。
ここまで来ると、勤務先の会社が近付いたので、
Office に入って、スタンバイ。OK。
7、つまり私は、朝から少食で1時間程度の歩行運動を繰り返しています。
しかし・・・前述、日に3回の約6Km 往復運動に比べたら
なんか生ヌルイ印象は否めません。
なので、不安感は正直あります。果たして、これでいいのだろうか?・・みたいな。60歳まで、持つかな?みたいな。
そんな訳で「努力が充分に足りているとは思わない事に」。
まだ何かあるやろう? ポイントがずれてないか?って。