2009年の終わりがダバオでドラムとは…思いませんでした




さて、一晩飲んで歌って踊ってゲームしサマール島を堪能しましたが、寝るときは


ですね結局、女子は小屋にはいって眠り、男子は外で寝ることになりました…汗。


一応、シーツを身体に巻きつけて長椅子で寝転び眠りました。風が少し強く寒かったですね。


でも生れて初めてテントもなく外で完全に眠りました…汗。これも貴重な経験です。


翌朝は後片付けを全員でして、小さな子供せっせと働きます。駄々をこねる子供はいません。


この辺は私も目を細めながら何気なく観察してましたよ、ハイ。


で、マリスの自宅に帰り、少しゆっくりしてから、残った食材をお母さん達が調理しはじめ


…またまた…料理が一杯できあがってました。


それから子供達が、近所を案内してくれるということで、一緒にご近所周り…ここで歓迎の


ビールを飲みなさいモードで、どこにいってもビールが注がれる。


私はアルコールが弱いのですぐに顔が真っ赤になって大変なんですよ。


一周してきたらもう完全酔っ払いとなっていました。


で、家の前で男達がテーブルを出してビールを飲んでいるのです。そこへ私が帰ってきて


男兄弟とその友達連中が「Javaさんこっちこっち」っていうのでそこに座ると、ビールが


回ってきました。また其れを飲みながら、将来の話や最近のこと日本のことなどあれこれ


談笑していると、男兄弟のバンドの話となったのです。


で、ハッピーニューイヤーとなりました。


花火はそれほどでもありませんねダバオは…ほんの少しでした。


この段階で私はかなりよっていましたので写真撮影ができてない状態でした…すいません。


誰かがドラムセットのセッティングができたよと知らせてくれました。


じゃ~ということで会場に向かうと、およよ…サリサリストアの前の道路に楽器をセッティング。


道路の端がステージ。すぐ後ろが溝です…汗。


しかも、ドラムセットと言ってもチープなセットというより壊れている。


ハイハットなど踏んでも上下にシンバルが動かない。


スネアはスナッピーが壊れ、ベースドラムペダルは固定できない状態。


しかし、ここの若者はこのドラムを大切に大切に扱っている。


なんだか忘れかけていたものを思い出しました。


ということで、軽く腕鳴らし兼チューニング。


近所の人がどかどかと集まってきました。


見渡すところ道路に100人くらい。多分、もっと多かったと思います…汗。


凄い人数でした…汗。



これから何が始まるのか「きっと誰かが日本人ドラム叩く…」と、ご近所に


いいふらしているのでしょう。


マリスの男兄弟の友達がベースシスト。彼が、8分音符のスリーコードで軽く


演奏し始めましたので、其れにあわせてロックビートで少し合わせました。


さすがフィリピーノ、ギターが其れに反応し合わせてきて、セッションらしき音楽


が始まりました。その後もブルース・ファンク・カリプソ・ソンゴなど堪能しました。


時間にして1時間くらい演奏したでしょうか?


演奏を終えるとビールが待ってました。サリサリを経営している親父がビールを飲め飲め


ってやってきて近所の元バンドマンがやってきてビール飲め飲め、もうフラフラ状態。


サリサリの前の家のおばちゃんも…ビール飲め飲め…。


もうこれ以上は飲めないので飲んだフリしておりました…汗。


とにかく芸は身を助けるといいますが、ここでドラムを叩いたことでご近所の方々から


受入れてもらえたようです。


しかし、私は元旦の朝9時のフライトでマニラに戻らなければいけないので、そんなこんな


大晦日から元旦の朝にかけて盛り上がりつつも、辛い別れの朝となりました。


もうマリスよりも、マリスのブラザーとその仲間達とご近所の親父やおばちゃん連中と仲良


くなって、なによりもオカマちゃんが別れの朝、しくしくと泣いてしまう始末…涙。


朝方、身支度を整え、みんなに挨拶とお礼を言いダバオ国際空港に向かいました。



タクシーから振り返ると遠くになってもまだ手を振っています、少し目頭が熱くなりました。




なんだかマリスとその従姉妹は誰だっけ?ってな感じとなってしまいましたが、私としては


とても楽しいお正月の一時を過ごさせてもらいマリスとその従姉妹とその家族とご近所の皆様


に感謝しています。







今振り返ってみても、おかまちゃんやその仲間は元気にしているか?少し気になりますが、きっと


元気に踊っていることでしょう(笑)


写真および、映像がなくすいません。


その当時、相当酔っ払っていました。私にしては珍しいです。


次回はマニラ編ということで…。


ダバオのお正月は終わり。