
赤本などで関西ではすでに売れていた手塚先生が、はじめて東京の雑誌にジャングル大帝を連載したのが学童社の漫画少年である。ここから、いよいよ手塚先生の快進撃が始まる。
一方、漫画少年は、投稿欄に多くの頁を割き、その投稿者からは多くの漫画家がデビューし現在のマンガ、アニメ隆盛の礎を築いていった。もし漫画少年がなかったら、漫画の発展の歴史は、今のものと大分変っていただろう。今でも漫画家になれた人だけでなく、色々な分野で活躍している漫画家になりたかった人達が、漫画少年を愛おしそうに語っている。戦後、大きく発展した漫画の黎明期から、わくわくしながらリアルタイムで漫画の進化を体感した人達である。その起点が漫画少年だった。少し遅れて生まれた私の世代にとっては、本当にうらやましい。私の時代には、もう漫画少年がなかったのだから。。
加藤謙一氏は、学童社を興し、漫画少年を創刊した今や伝説の編集者である。この本の著者は、ご子息の加藤丈夫氏。少年倶楽部の名編集長だった加藤謙一氏が、戦後公職追放の対象となり加藤一家総出で漫画少年を作り上げたエピソードは有名だが、加藤家ならではの貴重な証言が数多く記されている。
加藤謙一氏については、手塚先生はじめ多くの方々がその名編集者ぶりを紹介しているが、その生い立ちについてはあまり知られていなかったのではないだろうか?
加藤氏は、青森の必ずしも豊かでない家庭で苦学しながらようやく小学校の教員となるが、「子供たちのための雑誌を作ろうという希望を実現するため」に上京する。この時の教え子達との別れのシーンはとても感動的である。
縁あって講談社に入社、少年倶楽部を「少年雑誌の王者」にまで育て上げた。漫画にも力を入れた。特に田河水泡の「のらくろ」は大人気となり、まだまだネガティブだった世間の漫画に対する見方をポジティブな方向に向けた功績はとても大きかった。また、組立付録に着目し後に組立付録の作家として著名となる中村星果を育て、彼が考案した豪華な紙製の組立模型を付録につけて、これも大人気となった。この漫画と付録という組み合わせは、その後の漫画雑誌の基本構成となっていく。
少年倶楽部だけでも偉大な功績をあげられているのに、さらに漫画少年でも御存じのようなご活躍。。本当にすごい方でした。

ちょうどこの本を読み終えた頃、とある古書店で、加藤謙一「少年倶楽部時代 編集長の回想」(講談社)に出会った。加藤謙一氏自身が、少年倶楽部を中心に講談社での編集者としての仕事や出会った人たちを振り返り回顧した本である。漫画少年物語には、この本を執筆していた時の加藤氏の様子が紹介されている。毎朝四時から執筆作業に打ち込み膨大な資料と格闘する姿である。一年以上の執筆作業の後ようやく脱稿に至る。その日の朝には、仏前に原稿を供えて、亡くなられた関係者に完成を報告されたという。まさに渾身の著作だった。
「「漫画少年」物語」を読んだすぐ後に、その本の主人公本人が著作した「少年倶楽部時代」に出会うという偶然には驚いた。