はじめて日吉館に泊まった時、たまたま東大寺のお水取り(修二会)の時期だったのが運のつきだった。
とりあえず日吉館に行きおばちゃんの面通し?が無事終わった。日吉館の建物は大変古かったが、私が子供の時代は、そのくらいの家はたくさんあったので、気にならなかったし、とても懐かしい感じがした。
確か「ヤマ」と呼ばれていたかな?日吉館の庭には、客を泊めるため造られたプレハブの離れがふたつほどあって、そのひとつに通された。お水取りのように特に込み合う時は、その部屋に雑魚寝するのだが、荷物があると布団がたくさん敷けないので、荷物は外におくきまりだった。宿を手伝っている人に注意されることは、紙類だけは外に出さないで荷物の中のさらに奥にしまっておくことだった。理由は、日吉館の庭に遊びに来る鹿が紙を食べてしまうからということだった。その時分、日吉館の庭に出没していた鹿は「日吉丸」というニックネームで早朝などにゆったりと姿を現していた。たまに、誰かが餌でもやっていたのかもしれない。「うちはお金を取るような客はいないが、お札は鹿に食べられるのでご注意ください。」というのは、いかにも日吉館らしいエピソードだ。
さて、有名な日吉館の食事(その時は牛肉コースだった。)を終え、部屋の火鉢にあたりながら休んでいたら、食事の時、席が一緒だったカメラマンの方が来て、「今二月堂で修二会をやってる。せっかくだから行ってみない?」というふうに誘われた。夜に到着したあるご婦人が、とにかくすぐ二月堂に登りたいというので、送って行くというのだ。おばちゃんは、女性を大切にされていて、このような時はボディーガードとして必ず常連のお客さんにつきそいを頼むのだ。私も後からよく女の人を二月堂に連れていったものだ。確かに深夜の東大寺は人がいないし、暗いので女性一人は心配な雰囲気なのだ。対人だけでなく、暗い道で鹿と出会うと危険なのだ。
私たちはまったくはじめてで、お水取りが何の事かまったくわからなかった。ただ、同行したご婦人が熱烈にお水取りのことを語っていたのは印象的だった。私たちは、なんでこんなに熱心なのかな?と不思議そうにそのご婦人を眺めていた。
(続く)
実は明日からお水取りに行ってきます。声明、五体投地の音を聞くのが楽しみです。また、過去帳、走りなども楽しみです。もどったら感想をまたここに書いていきます。
とりあえず日吉館に行きおばちゃんの面通し?が無事終わった。日吉館の建物は大変古かったが、私が子供の時代は、そのくらいの家はたくさんあったので、気にならなかったし、とても懐かしい感じがした。
確か「ヤマ」と呼ばれていたかな?日吉館の庭には、客を泊めるため造られたプレハブの離れがふたつほどあって、そのひとつに通された。お水取りのように特に込み合う時は、その部屋に雑魚寝するのだが、荷物があると布団がたくさん敷けないので、荷物は外におくきまりだった。宿を手伝っている人に注意されることは、紙類だけは外に出さないで荷物の中のさらに奥にしまっておくことだった。理由は、日吉館の庭に遊びに来る鹿が紙を食べてしまうからということだった。その時分、日吉館の庭に出没していた鹿は「日吉丸」というニックネームで早朝などにゆったりと姿を現していた。たまに、誰かが餌でもやっていたのかもしれない。「うちはお金を取るような客はいないが、お札は鹿に食べられるのでご注意ください。」というのは、いかにも日吉館らしいエピソードだ。
さて、有名な日吉館の食事(その時は牛肉コースだった。)を終え、部屋の火鉢にあたりながら休んでいたら、食事の時、席が一緒だったカメラマンの方が来て、「今二月堂で修二会をやってる。せっかくだから行ってみない?」というふうに誘われた。夜に到着したあるご婦人が、とにかくすぐ二月堂に登りたいというので、送って行くというのだ。おばちゃんは、女性を大切にされていて、このような時はボディーガードとして必ず常連のお客さんにつきそいを頼むのだ。私も後からよく女の人を二月堂に連れていったものだ。確かに深夜の東大寺は人がいないし、暗いので女性一人は心配な雰囲気なのだ。対人だけでなく、暗い道で鹿と出会うと危険なのだ。
私たちはまったくはじめてで、お水取りが何の事かまったくわからなかった。ただ、同行したご婦人が熱烈にお水取りのことを語っていたのは印象的だった。私たちは、なんでこんなに熱心なのかな?と不思議そうにそのご婦人を眺めていた。
(続く)
実は明日からお水取りに行ってきます。声明、五体投地の音を聞くのが楽しみです。また、過去帳、走りなども楽しみです。もどったら感想をまたここに書いていきます。