私は子供の頃から、マンガが大好きで、小学生の頃から入手したマンガ本を捨てないで全部所蔵していました。少年・少女物だけではなく、青年物、大人物そしてアダルト物まで何でも読みまくっていました。
二階に置いていたたおかげで、私の家の一階のドアが開けにくくなったほどでした。たぶん、3万冊以上はあったでしょう。
しかしながら、いろいろな事情から大部分を処分しなければならなくなってしまいました。このあたりは、以前本ブログの「マンガ」のところに書いたと思いますが、まさに断腸の思いでした。
雑誌の大部分はゴミとして処分、単行本は大手の古本屋チェーンで二束三文、そして、ネットオークションでもたくさん売りました。。。
そして、現在は、二千冊程度になりました。それらのマンガ達は、今現在私が住んでいる家と実家の方に分散しておかれています。まさに、生き残ったマンガ達です。残された理由はまちまちですが、要するに捨てがたい本が残こりました。実家の方にあるのは、手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、ちばてつや、白土三平、横山光輝など昭和の大家の作品、ガロ系、COM系など60年代、70年代の実験的作品がほとんどです。これに対して、今の家にあるのは、就職で上京してからたまたま買い集めた比較的新しいもので、結構好きで手元に置いて何回も繰り返し読んでいる作品が大半です。
特に体系的に網羅されている訳ではなく、あくまで私の個人的趣味によるラインナップですが、昭和30年代から平成ひとけた代の期間に一人のマンガ少年がリアルタイムで経験したマンガ達です。たまに、これらのマンガ本を眺めていると自分を見ているような不思議な感覚にとらわれることがあります。ひとつひとつのマンガに何か想いが残っている様な。。。
そこで、というか、まあ、とくに深い意味は無いのですが、このブログでその本達について、ぼちぼち感想を書いてみたくなりました。私の個人的な落書きになると思います。同じ時代を生きた方は、ご自分と比較してみると興味深いかもしれませんね。また、若い世代の方は、昔のマンガを再発見される際の参考にしていただければと思います。
それでは、始まり、始まり。。。といっても次回からですが。。。
二階に置いていたたおかげで、私の家の一階のドアが開けにくくなったほどでした。たぶん、3万冊以上はあったでしょう。
しかしながら、いろいろな事情から大部分を処分しなければならなくなってしまいました。このあたりは、以前本ブログの「マンガ」のところに書いたと思いますが、まさに断腸の思いでした。
雑誌の大部分はゴミとして処分、単行本は大手の古本屋チェーンで二束三文、そして、ネットオークションでもたくさん売りました。。。
そして、現在は、二千冊程度になりました。それらのマンガ達は、今現在私が住んでいる家と実家の方に分散しておかれています。まさに、生き残ったマンガ達です。残された理由はまちまちですが、要するに捨てがたい本が残こりました。実家の方にあるのは、手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、ちばてつや、白土三平、横山光輝など昭和の大家の作品、ガロ系、COM系など60年代、70年代の実験的作品がほとんどです。これに対して、今の家にあるのは、就職で上京してからたまたま買い集めた比較的新しいもので、結構好きで手元に置いて何回も繰り返し読んでいる作品が大半です。
特に体系的に網羅されている訳ではなく、あくまで私の個人的趣味によるラインナップですが、昭和30年代から平成ひとけた代の期間に一人のマンガ少年がリアルタイムで経験したマンガ達です。たまに、これらのマンガ本を眺めていると自分を見ているような不思議な感覚にとらわれることがあります。ひとつひとつのマンガに何か想いが残っている様な。。。
そこで、というか、まあ、とくに深い意味は無いのですが、このブログでその本達について、ぼちぼち感想を書いてみたくなりました。私の個人的な落書きになると思います。同じ時代を生きた方は、ご自分と比較してみると興味深いかもしれませんね。また、若い世代の方は、昔のマンガを再発見される際の参考にしていただければと思います。
それでは、始まり、始まり。。。といっても次回からですが。。。