コレクターには、いろんなタイプの人がいます。
コレクションの神髄は非公開ということで、すごい勢いで集めてるんだけど、自分のコレクションを絶対に人に見せない人がいます。ブラックホールみたいなものだけど、マニア本とかコレクション関係の出版物に載っていない、いわゆる目垢がついていない物があったりして、自分のコレクションを眺めて悦に入るという楽しみは、ある程度理解できます。

また、お店をやったりしているプロの人に多いのですが、とにかく集める。集める。そのうちに、なんで集めてるのか、はたでみてても、そしてたぶん、ご自分でも、わからなくなっている人。プロなので、市場や持ち込みで品物にふれる機会は普通の人より段違いに多いし、仕入れということである程度の資金もあるから、とりあえず、買っておこう。さらに、もう、すでに持ってるけど、いいものは、いくらあってもいい。そのうちに、店で売ろう、ということで買っておこう。とやっているうちに、膨大な品物が残ります。多少、負け惜しみですが、そんなに、簡単に集めちゃうと、楽しみが薄くなると思うのです。貴重な物が、倉庫で人知れず山積みされている光景を想像すると、少し寂しくも思えます。

それでは、自分はなんだろうと思うことがあります。

私は、プロではありません。だから、全部集めようなどということはとうてい無理です。でも、人間を結構長くやって、その大半で手塚趣味をしていたので物はたくさん集まっていました。そのうち、テレビの鑑定番組なんかが始まり、品物が高騰してしまい。なんか、レア物も結構あるみたいだな。なんて、一人喜んだりしてました。

でも、私もやはり人間。他の人とコミュニケートしたくなりました。同好の人たちと感動を共感したいと感じる時があるんですね。

ところが、ふと、周りを見渡してみると、そんな人いないんです。手塚バカの私ですから、確かに子供の頃から、他の子たちよりマンガ好きな方でした。でも、それほど変わった方ではなかったのですが、うん十年も続けてるうちに、尖っちゃったんですね。いつのまにか、自分だけ細い尖った山の上に立っているみたいな状態であることに気づきました。。

私の所属している会社は、結構人数がいるんですが、八方手を尽くして探しましたが、一人も同じ趣味の人はいないようでした。(いささか、ショック!)

でも、やはり世界は広かったです。インターネットを始めたら、同じ様な人たちがたくさんいらっしゃいました。まあ、ドンピシャじゃなくても、同じようなものに感度をお持ちの人たちと、交流することができました。たぶん、その人たちも自分の山に立っていたのかもしれませんが、インターネットは、それらの尖った山の上同士に、橋とはいかないでしょうが、リアリティを感じさせる情報のパイプをかける役割を実現しているのでしょうね。

この世界が、これからどのように展開するかは、まだ、予想できません。おそらく、効果の副作用もあるかもしれませんが、現時点では「素晴らしき哉!インターネット」と言っておくことにします。



(2002.8.2)