この頃、手塚キャラのグッズがたくさん出ていますよね。でも、個人的な感じ方だけど、僕にとって、さっぱり面白くないものばかりです。(とうとう、言ってしまった!)好きなものはありますけど。まず、画像ですが、いろんなところにアトムやお茶の水博士が登場してるけど、何か画一的で生気が感じられません。デザイン化された絵だからでしょう。普通、作者が同じキャラクターを描きつづけると、だんだんと、絵が変化していくものです。先生亡き後、それが、停止したからでしょうか?
また、立体物も、マンガやアニメで親しんだイメージと違ってるんです。
何故かな?ひとつは、自分が子供の時の物の印象が頭に刻まれているため、違和感を感じているかもしれません。こうなると、ジェネレーションギャップになってしまいます。それだったら、どうしようもありません。
でも、あえて別な理由を考えると、今はマンガやアニメ自体よりおもちゃの作者のイメージが強いからかもしれません。昔のおもちゃも確かに当時の職人さんのイメージによる造形だったんですが、たぶん、マンガが主導的で、職人さんは、自我を押さえて、あくまで、おもちゃという伝統的な文化の範疇で、それなりの解釈をしてそのキャラクターをおもちゃに仕立ててたんだと思います。今は、作者の解釈が強く前面に反映されているせいか、時には、いささかイヤミのある造形と感じてしまうものもあります。それらは、その人の「作品」で、「たかがおもちゃ」ではないのでしょう。
手塚先生に、創作してもらうのはもはや不可能です。でも、何らかの形で好きなものは、続けていきたいというのは、当然の要求でしょう。ただ、今後の手塚関係の物は、あくまで、二次生成物であるという点は、確認しておく必要があると思います。
(2001.2.18作成)
また、立体物も、マンガやアニメで親しんだイメージと違ってるんです。
何故かな?ひとつは、自分が子供の時の物の印象が頭に刻まれているため、違和感を感じているかもしれません。こうなると、ジェネレーションギャップになってしまいます。それだったら、どうしようもありません。
でも、あえて別な理由を考えると、今はマンガやアニメ自体よりおもちゃの作者のイメージが強いからかもしれません。昔のおもちゃも確かに当時の職人さんのイメージによる造形だったんですが、たぶん、マンガが主導的で、職人さんは、自我を押さえて、あくまで、おもちゃという伝統的な文化の範疇で、それなりの解釈をしてそのキャラクターをおもちゃに仕立ててたんだと思います。今は、作者の解釈が強く前面に反映されているせいか、時には、いささかイヤミのある造形と感じてしまうものもあります。それらは、その人の「作品」で、「たかがおもちゃ」ではないのでしょう。
手塚先生に、創作してもらうのはもはや不可能です。でも、何らかの形で好きなものは、続けていきたいというのは、当然の要求でしょう。ただ、今後の手塚関係の物は、あくまで、二次生成物であるという点は、確認しておく必要があると思います。
(2001.2.18作成)