虫プロといえば、当時のマンガ、アニメファンのあこがれだったんじゃないかな。当時、虫プロ(後から考えると虫プロ商事かもしれないけど。)から出版されてたCOMっていう雑誌のキャッチフレーズは「まんがエリートのためのまんが専門誌」なんていうものだったくらいだからね。

 とにかく、僕は、中学になった時、たまたま。上京するチャンスがあって思わずホテルから電話したんです。どこにかというと、手塚治虫の家にでした。僕にとっては、虫プロと手塚治虫はイコールだったんですね。当時は、まだ、のんびりしてた頃で、ホテルにある電話帳に手塚治虫の名前で電話番号が載ってたんです。電話をかけると、ちゃんと手塚家に通じて、お母様に相手していただきました。

 田舎から出てきた少年がとつとつと話すので、気の毒に思われたのか、「とにかく、明日また電話してください。」って言ってくださいました。次の日に、また電話したら、「治虫に話して、会ってあげたらって言っておきました。この電話番号に電話してくださいな。」とのことでした。結局、手塚先生は、缶詰になっていてアシスタントの方に対応していただき、虫プロもひととおり見学できました。ちょうど、千夜一夜物語の製作が終わった頃で、佐武と市捕物控なんてのを作っている頃だと思います。富士見台の頃で、手塚先生も隣に住んでいらっしゃった頃でしょうね。お母様にお茶を入れていただき、短い時間でしたがお話ししていただきました。

 後で、伝え聞くと、手塚家は、ファンみんなに、とてもやさしく対応してらしたとのことですが、当時の僕は、本当に有頂天でした。ますます、手塚ファンになっちゃいますよね。


(2001.1.19作成)