田舎に泊まろう2013春 後編(帰り) | SU-Ⅲ 電脳紀 Second

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基本的に雑記ですが、情報系の事も書きます。

最終日


帰り支度をした後お墓に。

線香をお供えしました。おじいちゃんのお墓です。

そのあとお寺の裏庭を見せてもらいました。

医光寺の庭園です。この日(3月22日)は枝垂桜が結構見ごろな時期だったそうです。


SU-Ⅲ 電脳紀-医光寺の桜

今年は花の数が少なめだそうで実際見るとあまり多くはありませんでした。

でもやっぱり庭に桜がすごく合ってる!

多分まだ大丈夫なのでこの記事を見た方は是非っ!!医光寺に行ってみてくださいませ!!


……


ここにくると必ずやってくる帰る日。

これで何回目でしょうか。小学生のころは親に泣いて頼んで1日延ばしてもらったこともあったっけ。

いつもの部屋とお別れ。


SU-Ⅲ 電脳紀-部屋

いつもの台所ともお別れ。


SU-Ⅲ 電脳紀-台所


帰りはおなじみの石見交通バスに乗車。これがバス停。


SU-Ⅲ 電脳紀-バス停医光寺

なんとなく悲しくなるのを吹き飛ばすためにハイテンションで序盤は行ってたつもりでした。

しかし思わぬ緊急事態発生!


ト イ レ ニ イ キ タ イ … … orz


しかも序盤に。一応高速道路でトイレ休憩があるんですけどそこまで持つかわからないレベル。

便座カバーが恋しくてたまらなかった。下腹部殴られたら多分死んでる。

もちろん出発前にトイレは行ってました。けどそのあとお茶を少し飲んだのがそこまでいけなかったのか。

二次曲線的に自分の中でトイレ行きたいゲージが上昇し、

日原のあたりではすでにオーバーリミッツ……。

はよ六日市行け!!とか思いながら乗ってて結局六日市へ。

前のおばちゃんが「つぎ、とまります」ボタンを押した!

その瞬間俺の精神がやられた。

下車やむなし……

ちょうどお金を出せなかったのですが両替するほど我慢できなかったので

「釣りはいらねぇ」と心の中で叫びつつ大目に運賃箱に投入。

あと一歩だったんですがね。(次のバス停が例の休憩所)

けど高速道路入って少し行かないと無いのであのまま我慢していたら社会的に抹消されていたかも


で、たどり着いたのは目に入った謎のオブジェ


SU-Ⅲ 電脳紀-謎のオブジェ

どこにつながってるんだろうとか思ってあの間をくぐってまっすぐ行くと

懐かしのむいかいち温泉があったわけですよ!


SU-Ⅲ 電脳紀-むいかいち温泉

多分去年の夏に来ています。

お土産コーナーを見て近くの神社で弁当を食べて次のバスを待ちました。

このことはまだ妹以外内緒。


広島についたときにはすでに2時半くらいになってました。

港に早くつけると思ってバスセンターで降りたのですがここでまたミスをやらかすという……


港まで行かない電車に乗ってしまいました。

やむなく徒歩移動。乗り換えとかよーわからんし。

フェリーはいつもより1本遅い分に乗りました。そのせいで結局帰ったのは8時半とかそのくらい。


まあ楽しかったからよしとします。

そういえば六日市で下車したとき地元の中学生にあいさつされました!!

だれにでもあいさつできるんですね!あの地域の子たちは!!

突然すぎて俺に向けての言葉なのか迷って会釈しか返せなかった自分が恥ずかしい。

感服いたしました。



最後に。

毎回行くごとに道路のアスファルトがきれいになったり、

古い建物が立て替えられていたりと街の姿が変化しているのを感じます。

昔まだとても小さかったころに家族につれられて行った思い出の場所が、

家族に負われて少し高いところから見た景色が

こうして変わっていくのはとても悲しいことです。

そしてその街に住んでいる人も出て行って、あるいは亡くなって、

入ってきて、あるいは生まれてと変化していきます。

過去には駅前の開発が行われたとき激しい怒りを感じたこともありました。

でもそれはしょうがないことなんですよね。

今回行って一層強く思ったことは、

この街の姿が、この街の住人が時と共に変わってしまっても

俺はこの街を好きでい続けられるのではないかということです。

まだ人生どの方向に転ぶか分かりませんが俺はこの街をこれからも見続けていきたいです。