国民が広く薄く

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一人一人にとっては大

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8月21日から28日までフィリピン、マニラやレイテ島を訪ね研修をしてきました。
大学のゼミの先生の好意によるもの中年童貞 筆おろしでした。
感謝をしつつ、フィリピンの方々に敬意をもってこの文章を分かち合います。
松田翼うつくしいものわたしみづからのなかでもいいわたしの外のせかいでもいいどこにかほんとうに美しいものはないのかそれが敵であつてもかまわない及びがたくてもよいただ在るといふことが分りさへすれば、ひさしくもこれを追ふにつかれたこころ八木重吉18981927詩人2度目のフィリピン研修に参加した。
先生が卒業した私を研究生として在籍させてくださる縁あっての事であった。
私は本物に渇いていた。
これからどう生きていくべきか、不安と焦りを抱えながら、どこかに一生を注ぐべきものはないのか。
時代が変わっても変わらない普遍的な価値あるものとは何か。
その生き方を見出したくて、あがいていた。
スモーキーマウンテン、ミグランテ、レイテ島の水牛家族など去年訪れた人たちとの再会や新しい場所での出会いを含めて1年前の自分と違う事を感じたのは、ショッキングなフィリピン社会の格差や現実より、人々がそこで逞しく生きている強さだった。
フィリピンの現実は厳しい。
ゴミ山やプランテーションなどで生まれたら自分もスカベンジャーか秤J働者として一生を終えさせられかねないような構造的暴力がある。
生まれた場所で選択肢が限られ、運命が決まってしまうような不条理が当たり前に存在している。
90の富を10の人々が占有する巨大な格差社会の壁や搾取構造に抵抗しようとすれば、軍隊によって命を奪われかねない過酷としか言えない現実。
それは日本をはじめとした先進国がグローバリゼーションの中でバナナを代表とするフィリピンの資源を収奪している、自分の国が彼らの苦しみを助長している繋がりを目の当たりにされる。
子どもを学校に行かせられず、病気になれば医者にかかる金もない貧困。
ゴーゴーバーに行けば体を売って生きる糧を稼ぐ若い女の子達がいる。
悲惨な現実には変わりないが、今回の研修ではむしろ希望が胸に刻まれた。
それはなぜかと言えば、人々は貧しいながらも助け合って生きていた姿に出逢えたからだった。
スモーキーマウンテンで幼稚園を開いてゴミ山以外の世界を伝えて生活支援をするUCCPのベスさんたちの働き。
大地主制の中、時に軍隊のハラスメントを受けながらも貧困に苦しむ薄ッたちのために有機萩ニを切り口に自立を促す水牛家族のティモシーさんたちの取り組み。
それらの身体を張って生きる人々と繋がりを作ってくれたナニーさんをはじめとしたNCCPの人たちの尽力。
フィリピンの人々の生き様から、ドイツでヒトラーに抵抗した牧師、ディートリッヒボンヘッファーの言葉を彷彿としていた。
われわれがキリスト者であるということは、今日ただ二つのことにおいて成立するだろう。
つまり祈ることと、人々のもとで正義を行うことにおいてだ。
私も彼らのようにキリスト者として、厳しい立場に立たされている人の力になりたい。
そのための具体的技術を身に着けていきたい。
それは足元の仕事を忠実に行うことであったり、目の前の人々を大切にしようとする姿勢がはじめであると思う。
言っていることとやっていることのギャップ、理想と現実の差に悩みながらも、時として人をむしろ傷つけてしまうような足りない自分であったとしても、祈っていきたい。
誰かのために、何かが出来る人間へと、成長していきたい。
フィリピンの人々との出会いが、これからの歩みへの道しるべを与えてくれた。
彼らとも繋がれる術を身に付け、共に生きる人として手を携えて生きていきたい。