描くこと。 | ジャスミン茶タイム

描くこと。

お花は絵を描くことが大好き。 今年4年生になったお花が 1年生になった時こんなことを言いました。

「お母さん、図工が一番面白いよ! でも、時間が短いね。 まだやりたくても給食の時間になるし、次にやることが決まってるからずっとやってられないよ。 はぁ~っ!保育園のときがよかったなぁ~。。。」

それもそのはず。 この子の保育園では 特別に○○の時間っていう設定がないから 描きたい子はずっと描かせてもらえた。 紙だって、どんどんどんどん使わせてくれるし、年長さんになると憧れの和紙も与えられるし。

 

親が言うのもなんですが(笑)、お花はとってもいい絵を描きます。描いてました。

でも、卒園していろんな女の子達と交わると やっぱりお人形さんの絵も描きたくなる。

顔の半分以上が大きな瞳で、キラキラしていて、足が無用に長く、ありえない方向に間接が曲がっている。

こっちの方が「ありえな~い!!(涙)」って感じ。 こんな絵、描いてほしくないな。

でも、絵って難しくて 教えていいものかどうか迷う。 これはダメでこれは正解なんて絵にはない気がするし。

「自由に」「思うように」描くってことが大事じゃないかな・・・なんて考えもする。

ん~・・・・・やっぱり絵って、特に子供の絵って教えちゃいけない気がした。 でも、あの絵はいやだぁ~!

 

そんなムヤムヤをシャキ~ン!と取り除いてくれたのが 今の絵画教室のS先生。

 

初日、お手本を見ながら「トンボ」を描く。

もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、も~~~~~っと!! トンボの羽根がどんどん長くなる。

母の気持ちを正直に話すと、先生が説明してくれた言葉がすとんっとココロに落ちた。

うまくかけないが 模倣が必要だったり、自由に描く手助けが必要だったり・・・。

その後 コスモスを描く。

花の顔が、あっち向いてたりこっちむいてたり、下向いてたり。 そして 地面にアリもいた。

 

そんなこんなで3年目を迎える。

お母さんにも弟にも邪魔されずに、好きなことに没頭できる時間を確保してあげたい。

水曜日、迎えに行った夜、前回まで描いていた「桜」の絵がすごくよく変っていた。素人目にも解る。

「よくなったでしょう? 動きが出たね。 ほんのちょっと教えただけだよ、でもお花はそうかなぁって(笑)」

「お母さんも一緒にお話しましょう!」 (先生はタイヤを描いて真ん中を黒く塗った)

「この黒いところが人間のココロだよ。 お母さん、今の自分の心を言葉で説明して。」(母、黙る。)

「お花は? 説明できる?」(お花、黙る。)

「ココロって、言葉で説明できないよね。」

「タイヤ(の丸いところ)は言葉だよ。これはみんなにわかるし、伝えられる。 それは決まりがあるから。」

(先生、線を3本たてに描く。)

「平面の一枚の紙に描いた線。これを舞台にするにはどうしたらいい?」

(お花)「あっ、影?」 「そうっ!」そう言って 先生は影を描き、底辺を作った。奥行きが出た。舞台になった。

ぐるぐるぐるぐる・・・って鉛筆で描いた。 「なんだかわかんないよね。」

そのぐるぐるを 延ばしてみる。動かしてみる。人の筋肉のようにも見え、怪獣のようにも見え、でも、何か。

「ほら、何かになったでしょ?」 先生の気持ちが入ったそれは なんだかわかんないものから 何かになった。

「こうやって動きが出ると 何かが伝わるんだよ。」

「言葉のように決まりがないから、みんなにはわからないかもしれない。わからないんだよ。

何十人、何百人、何千万人・・・って人が見たとき、その中のたったひとりの人には伝わるかもしれない。

それでいいんだよ。みんなにわからなくても ひとりに伝えわれば、それでいいんだよ、絵ってそういうものだよ。」

 

 

お母さん、結構のめりこんで聞いていて(笑)先生の言葉の一つ一つが不明瞭。

読んでくださっている方には 伝わらないかもしれません。 だから、私の覚書。それでいいですか?

「個性個性」なんていいながら、ちょっと違うと違和感を感じなければならないような場面もある中で、

子供にモノを教える立場の大人から 「違っていていいんだよ。それでいいんだよ。」と言って頂くことは、

私にとっては とてもありがたいことなのでした。

教えていただく、習う ってことは いいものだなって。(「描くこと」からズレにズレましたが・笑)

 

帰り際に先生が、「お母さんと よく話してみてね。」 と言ってくださった。