耳とココロで見ること
『見えなくてもだいじょうぶ?』 フランツ=ヨーゼフ・ファイニク/作
フェレーネ・バルハウス/絵 ささき たづこ/訳
昨日の本と同シリーズ。 どちらも図書館で借りてきたもの。
昨日の本は たまたま図書館で目にしていたら、すぐその後で新歌さんが 記事にされていたのを拝見した。
「あら?あなたもご存知?」って感じ(笑) ブログって面白い。
両親と買い物に来た町の真ん中で カーラは迷子になってしまいました。
土曜日の町は 大賑わい。お買い物をする人でいっぱいです。
電話ボックスのそばで、ちいさい女の子が泣いていても、誰も気付きません。
そんな不安な中、カーラに声を掛けてくれたのは 目が不自由で盲導犬を連れたお兄さんでした。
お兄さんは カーラと一緒にお父さんとお母さんを探してくれると言うのですが でも、どうするのでしょう?
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目が見えないのに どうやってお父さんとお母さんを見つけてくれるのか と尋ねるカーラにお兄さんが言うのです。
「だって、君をちゃんとみつけただろう?」
「だれでもぜんぶ見えているわけじゃないんだよ。」
昨日の子供たちと同じように、カーラはお兄さんとともに歩くことで 「耳で聞いたり、体で感じてわかる」ことを理解していきます。
聞こえるから 聞こえないことが あるかも知れない。 見えるから 見失っていることが あるかもしれない。
触れられるから 触れた感触がないことも あるかもしれない。 走れるから 見落としていることは?
便利だから 不自由になっていること、 不便さゆえに 優れていること、そういうことにもっともっとココロを向けていくことで 私たちはずっと豊かにいられることを 忘れないで生きたいな。
それを 忘れてしまうこともあることを覚えていたい。 そう思うんです。