ぜっこう
昨夜に引き続き、柴田愛子さんの絵本。 同じ「あそび島」のシリーズです。
子供と子供の間で起こる、些細だけれど大きな心の葛藤・・・子供同士の人間関係・・・
子供を見つめていられる作者だからこそ書けることなのだと思うことしきりです。
「がく」 と 「しゅんたろう」 は 毎日あそび島で遊んでいます。
ある日、 ぜっこうだ! あたまにきた。 しゅんたろうと ぜっこうする! そう思った がく。
「ぜっこうだ! もうおまえとは ともだちじゃない。 いっしょう遊ばないからな。」
とうとう 言ってやった。
おれは ぜっこうするって きめたんだ。
しゅんたろうが なんにも言わずに こっちを見ているのは知っている。
しゅんたろうが だんだん元気が なくなってくみたいなのも 知ってる。
でも 遊ばない。 だって おれは ぜっこうするって決めたんだから。
「おまえ、 ずっとまえの かくれんぼのとき、鬼だったのに おれのこと見つけに来なかったじゃないか!
ちっとも 来ないから 見に行ったら、おまえ 弁当食ってたんだぞ! ゆるせねえ!」
他の子からも 「自分勝手に 遊びを変えたりする」 「自分がやろうっていったのに 黙ってやめたりする」
「一番じゃないと怒る」
そうだ しゅんたろうは わるい!!
私は子供の頃、絶交って何度もやった気がします。
でも 今の子供って、 絶交って言葉も使わないし、あまりわからないみたいです。
小学3年のお花ちゃんに聞いてみても、意味はなんとなくわかるけど、使ってる人は知らないって。
「ぜっこう」=交わりを絶つ。 ほんとは悲しい言葉なのだけれど、子供の頃はちょっとくらい
使えた方がいいような気がしてきました。 私は 仲の悪い子に「絶交する」って言ったことありません。
仲良く遊んでるからこそ ちょっとした意見の違いや、気持ちのすれ違いで相手を嫌だって思った時、
相手に自分の気持ちを伝える手段のひとつかもしれません。
勝手だけど、 「私はあなたのせいで とても嫌な気分です。あなたのことが嫌なので遊びたくありません。口も利きたくありません」 そう 真正面から 伝えているのです。
今の子供たち、堂々と相手を非難することを 大人に止められすぎているからか、
こういうこと 言わなくないですか? 何にも言わずに仲間はずれにしたり、理由もわからないままに
一人ぼっちにされたり・・・ 「いじめ」といわれるものに 移行していく 嫌な感情が生まれそうです。
この本のしゅんたろうの場合、本人はどうして絶交されたか わからなかった。
苦しそうなしゅんたろうをほっとけなくて あそび島のあいこ先生が登場します。
そして 先生と がくの 真剣勝負が始まります。
ぜっこうをといてほしい というしゅんたろうに 「いやだ。とけないね!」という がく。
「人が 人を許せないって よっぽどのことだよ」 (なんだよ、あいこは わかってない。くそー!)
「じゃあ あいこは 泥棒を許せるのかよ!」
「どろぼう・・・ どろぼうするのは 悪いことだと思う。 だけど その人は泥棒になるわけが
きっとあったんだと 思う。 だから、その人のことは 許せると思う。
「じゃあ、 人殺しも 許せるのか!」
「人殺しは 許せない。 どんなことがあっても 人が人の命を取ることだけは許せない。絶対に」
(まっすぐ 顔を見ている。 あいこの顔が 真剣だった。)
がくが 一生遊ばないって決めた自分の心の中で たくさんたくさん 戦うんです。
どうすればいいのか 本当にわからないって思いながら 痛いくらい 戦います。
そして 涙と共にでた答え。 「ぜっこうを とく」
もちろん ふたりが また仲良しになったのは 言うまでもありません。
友達だから、 いいとこも 悪いとこも 全部まとめて友達だから 「ぜっこう」があったりするんですね。
「ぜっこう」と言われて 悲しい子は絶対にいるのですが それを恐れるあまりに 心を開けなくなって
しまうのは もっと悲しいことのように思えてきました。
あいこ先生のように 子供のけんかの成り行きを 真剣に見ていてくれる大人がいれば
子供は安心して 自分の気持ちを正面から伝えられるのではないでしょうか?
この本を読んで 思うことはたくさんあれど ・・・・・ なんだか うまく言葉にできません。
