1.出会い
それは、マッチングアプリを触る指が右に動いたことをきっかけに始まった出会いだった。
次々と浮かび上がるポートレートを見て瞬時に判断する。それはまるで製造工場の検品作業に似ていた。顔が好み、と問われると正直、頷けなかった。
ただ、顔を価値判断の基準として置けるほど、自分の市場価値は高くないことは自覚していた。そんな後ろめたさがあったのかもしれない。
丸の内にある洒落たカフェが初めてのリアルだった。
2年前からアプリを始めて、もう何人の男たちと出会ってきただろうか。
まるで用意されたセリフのように、いつもの自己紹介の定型句が口から紡がれた。時に、この話は、この男にもうしたんだっけ?と記憶があいまいになることもあった。でも、どうせ相手もそんな細かいこと気にしていないだろうと楽観するようになり、いつからか出会いは極めてチープなものになっていった。
一回お茶だけして別れることもあれば、一度のセックスで終わることもあった。何度か食事を重ねる男もいた。
その違いが何か、自分でも分からない。どちらかと言うと相手のペースに合わせようとする自分の性質も影響しているのかもしれない。
アプリの登場によって出会いは簡単になったが、その先の深い関係を構築するハードルは上がっている気がした。
大学で仏文学を教える助教の仕事をしているとKは言った。早稲田か慶應、上智あたりだろうか。いや、東大という可能性もある。
学歴の高さが男の価値を表すと考える友人も多い。アプリで会った男たちの職業と出身校をつまびらかに話す友人に言ったら悔しがるかもしれない。
留学経験もあるそうだ。
「フランス人は怠惰でいい加減。文句ばっかり言ってる。二度とあんな国に住みたくないよ、僕は。」
留学までして思い入れた国を卑下する発言を繰り返す彼は、逆に、異国の酸いも甘いも知り尽くした自分の価値を高く見せたい巧妙なマウンティングなのかも知れないと感じた。学歴の高さは、素直に相手の国に敬意を表す気持ちすら奪ってしまうのか。ここは、彼をひたすら持ち上げる作戦が効果的なように思えた。
一番上まで留めたボタンシャツに、二つの色の異なる生地を組み合わせたパンツ。個性的なそのデザインは、高価なセレクトショップに陳列される様子が目に浮かんだ。肩にかけたかばんはポーター。使いにくそうだが、これもデザインが個性的であった。
冒険しすぎないが、ありふれたデザインを求めないという気概を感じた。身なりへの配慮と金銭的な余裕を滲ませるものであった。
一方で、耳から顎にかけての無精髭、不揃いな眉、角度によって露出する鼻毛、乾いた唇、うっすらクリーム色の上歯列。
身飾品へのこだわりとは対照的に、随分、美容意識が粗雑に感じた。お洒落とは服装と美容が表裏一体で実現されるものだと思い知らされた。
そんなことを考えながら、熱心に話す彼の話をどこか上の空で聞いていた。
この男とセックスができるか?
初対面の男を見た時、いつもそんな問いかけをする自分に嫌気がさして乾いたため息が出た。
結婚、出産、子育て、老後。人生の延々と続くイベントを共に過ごす伴侶を考えた時、セックスの相性など取るに足りないものかもしれない。セックスレス夫婦なんて、この世の中、履いて捨てるほど転がっている話だ。それは、女の幸せの形なのかもしれない。自分にもそんな未来は待っているのだろうか。
彼の乾いた唇と自分の唇を合わせることを想像した。時折コーヒーカップを傾ける指は、長くてしなやかだった。この指が自分の下腹部をなぞるのかと思うと、芯が熱くなった。自分の中で「許す」気になっていたのだろう。
「今度、一緒に映画行きませんか?」
私は、にっこりとほほ笑んで、彼の申出を受け取った。
二度目のデートで映画と食事、三度目のデートでお家訪問とセックス。
そんなストーリーが容易に想像された。もどかしい気もしたが、オーソドックスな手順を踏もうとするKに大学の助教が持つインテリジェンスと気真面目さも感じて、悪い気はしなかった。



