なんか刑事ドラマのエンディングのような・・・
情熱・熱意・執念の自動車販売 
この間の日曜日、所沢祭りに皆で行こうということになったのですが・・・・・・・みんな仕事が終わらず、なんとか切り上げたメンバーで向かうも・・・・・・ほぼ終わっていました。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 仕方が無いので先月の達成をまだ祝ってないメンバーと一緒に焼肉を食べに行きました。後から終わったメンバーが加わりました。 


その時に、この間テレビで録画していたシベリアに幽閉された日本兵の話をしました。当時ソ連軍が不可侵条約を一方的に破り満州に進行。拉致された日本兵はマイナス30度Cが当たり前の極寒のシベリアで強制労働を強いられました。そこから生還した日本兵の実話です。飢えと寒さと歯向かえば殺される過酷労働の中、1000人以上の日本兵が半年で半分以下になってしまったそうです。日本人の誇りを失い、食料争いや、日本人同士の虐め、ソ連軍に媚を売り自分だけ助かろうとする売国奴にまでなり下がったもの等がいたそうです。 


 そんな極限状態でも利他の心を持つ日本人として、またリーダーとしてあるべき姿を見せてくれた小隊長とその部隊の兵士の話です。


極寒の中、毎日繰り広げられる強制労働でもマイナス40度cになれば休むことできる規則になっていました。ある日、マイナス39度cの日、このまま40度になれば規則どおり休めたのですが残酷にも39度cのまま、部下が死にそうになり、また凍傷で目が見えなくなるものが続出する中、小隊長は部下全員を休ませました。ところがソ連兵は「誰が休めと言ったんだ!」と激怒し銃口を向けながら働けと命令します。しかし小隊長は「自分が命令した。責任は私にある。」と言ったのです。反抗すれば即銃殺でした。しかし小隊長の並々ならぬ気迫にソ連の兵士はその場では銃殺ができず彼を独房に連行していきました。また部隊を休ませることが出来たのです。すでにソ連の捕虜になり強制収容所にいる兵士には日本軍での階級など存在しません。しかし彼は自身の身を呈して部下達をを助けその犠牲になりました。


戦争が終わり、生き残ったその部隊の兵士だった1人(名前は忘れてしまいましたが新潟佐渡の人)が日本に生還後、60年間ずっとその小隊長にお礼が言いたくて探しました。亡くなっているだろうがお墓に線香をあげたい。その思いに共感した人たちが新聞に投稿したり、あらゆる手立てを講じて九州にいる小隊長と奇跡的な再開を果たすのです。小隊長はそう!生きていました。 60年の歳月を越え、お互い80歳90歳を越えていましたが、昨日のように思い出していました。 


全く持って見返りや下心、私利私欲の無い 正に*自己犠牲の精神* 人の上に立つリーダーたる者、こうではならないと強く思うのです。 感動したので次の日の朝礼でも話してしまいました。


政略の失敗を戦略で補い、戦略の杜撰さを戦術で補い、戦術の低さを精神で補おうとし、無条件降伏に突き進んだ大日本帝国の軍部、しかし同時に日本人の精神の強さを知りました。その強さが東洋の奇跡と呼ばれた戦後日本の復興を支えた原動力になったのも事実なのです。


先日駅で買ったプレジデントの記事の中にありました。


{*鍬を持ち、夢を見る* 「鍬を持って耕しながら夢を見る人になろう」戦後の企業家の代表格であるソニーの井深大氏の言葉である。人は鍬を持ち畑に立つと、目の前の作業にばかり力が入り、先々のことまで頭が回らなくなりがちだ。目の前の収穫にとらわれすぎると先細りになる。企業経営でも同じだ。でも将来の夢を持てば、惰性に終わらず、様々なことに気づくようになる。そこにこそ発展がある。}


手前味噌ですが日々気づく事ばかりです。