今日、タイトルの内容を実感する出来事があった

 

とある理由で公衆電話を探す必要がありNTTの公式webサイトで場所を確認したところ、今まで何度もその前を通っており、なおかつそこはバス停の近くのためバス待ちの際に散々周りを見ていたにも関わらず、、、

 

そこに

公衆電話BOXがあることに、気づいていませんでした笑い泣き

 

 

意識しないと脳はその存在を検知しない、という噂は聞いてはいたが、こういうことなんだなぁ、としみじみと実感

 

なお、

「いやいや、ぜったい無かったよ」と、その電話BOXを目にするまでサイト情報が間違っていると思っていた

 

 

という、(己の)脳の過信は禁物という出来事てへぺろ

 

また、何に意識を向けるかで見ている世界が変わる、というのはこういうことなのかなぁとも思ったり。。。

であれば、やはりいい気分になれるものに目を向けたいウインク

誰かの為を思って何かをする

それは親切の押しつけになっていないだろうか?

自己満足になっていないだろうか?

 

さらには、

自分のやった親切を相手が受け取らなかったとき

とても落胆しないだろうか?

 

親切な行いをするって難しい


 

親切は自分の為ではなく、相手の為にする

この考えが大切だと思う

 

自分の気持はまず横に置き、

親切な行為を相手が必要としているか考えたい(これ、難しい)

親切を相手が受け取るかどうかは自分は関与しない

 

親切をするなら、相手のことを第一に思う

円滑な人間関係を保つためにも気をつけたい

負の感情を持ったとき、

 

その感情を持て余して誰かに当たるのか、

その感情にいつまでも浸って過ごすのか、

その感情の原因に対処するのか、、、

 

選択肢はいくつもある

 

負の感情を持ったとき、

まずは、

 

私には選択肢がある

 

と思い出し、良い選択をしたい