1955年9月13日、ドイツのゲッティンゲンで生まれる。ハノーファー音楽演劇大学でエリカ・ハーゼとクルト・バウアーにピアノを、ラヨシュ・ロヴァトカイにチェンバロを師事する。ピアノ、フォルテピアノ、チェンバロ奏者として活躍し、1983年から1986年まで、ムジカ・アンティクヮ・ケルンのチェンバロ奏者を務めた。退団後は、ソロの演奏活動を展開している。

 深く広い学識を持ち、その斬新な解釈は聴衆を常に魅了し、バロック、古典派、ロマン派、あらゆる作品の精彩あふれる表現には定評がある。レパートリーは広く、録音も多い。フォルテピアノとチェンバロのスペシャリストとして世界的に活躍するとともに、モダンピアノの演奏も「バックハウス、ケンプ以来のドイツ音楽を代弁するピアニスト」と称賛され、そのCDが多くの賞を受賞している。

 

 インタビューに応じてくださってありがとうございます。あなたのように録音も多く、レパートリーも広く、学識も深い音楽家に対して、正直に言って、何から伺ったらいいのか戸惑っています。まず、いつ音楽家を目指すようになったのかというところから語っていただけますか?

 

 私が最初に目指した学問は音楽ではありませんでした。地理が好きで、小さいころは夢中になっていました。祖父が所蔵していた19世紀末に印刷された美しい地図に魅了され、うっとりと眺めていたものです。まだ未知の地域が白くなっていることに注目し、将来は探検家になって、前人未到の地を実地調査して、白い部分について世の人々に伝えたいと夢想していました。

 でもその後、新しい世界地図を見て……、あぁ! あらゆる場所にすでに行った人がいて、白い部分はなくなっていることに気づきました。それでは、おもしろくない! 私はがっかりして、探検家になる夢を捨てました。

 

 しかし、あなたは音楽界の探検家になったではありませんか! どのように音楽を学び始めたのですか?

 

 8歳くらいからピアノを学び始めました。最初の先生は変わった女性でした。普通に考えたら、あまりよい教師ではなかったかもしれません。生徒にまったくテクニックを教えないのですから……。彼女は、芸術とはその基本的な定義において自由であるべき、絶対に強制されてはならないという哲学を持っていたのです。レッスンでは、何をやっても許されました。どんな曲を持って行っても一緒に語り合い、分析しました。ときには、音楽以外のことについても語り合いました。そのような教え方では、コンクールの入賞者を養成することはできませんが、彼女は、芸術はコンクールのためではなく、多くの人々のために存在すると思っていたのです。それは私にとってとてもよかったと思います!

 私はワクワクしながら音楽に取り組み、毎日新しい作品を譜読みして弾き、即興演奏を楽しんでいました。エチュードでテクニックを磨くということは、まったくせず……。私の両親も素晴らしい人たちでしたが、彼女ほど自由な視野は持っていなかったので、とても刺激されました。彼女は私にあらゆる角度から世界を眺めさせ、人生についてさまざまな方向性を考えさせてくれました。

 子どものころはプロの音楽家になろうとは思っていませんでした。でも、興味が少しずつ膨らみ、気づいたらごく自然に音楽の道を選び、十七歳で高校を卒業し、ハノーファー音楽演劇大学に進学しました。

 

 ハノーファー音楽演劇大学では、それまでの学び方とは違ったのではないでしょうか?

 

 入学試験のとき、先生たちはびっくりしたようです。どう言ったらいいのでしょう。当時のハノーファー音楽演劇大学には、コンクール入賞者を輩出するふたりの有名な教師がいて、彼らに師事するために受験する人が多かったのです。

私の演奏はまったく酷く、弾きながら、背後から「え?……あぁ!」という先生たちが耐え切れずに吐くため息が聞こえました。しかし、その後の初見演奏の試験で、私は与えられた曲をまったくミスなく完璧に演奏しました。「どうして?……、あなたはこの曲を弾いたことがあるのですね?」と、試験監督の先生が新たな曲を私に与えたのですが、また私は完璧に演奏しました。

 「これはおかしい……」と先生たちが討議し、私にこう言いました。「入学を許可しましょう。あなたはピアニストにはなれないと思いますが、よい音楽家にはなれるでしょう。あなたは学校の先生になりたいと思いますか? ピアニストになれなくても、ここで学びたいと思いますか?」私は「ピアニストになりたいかどうかわかりません! ただ音楽が好きなだけなのです」と答え、「いいでしょう。それでは、私たちがあなたに何ができるか考えましょう」ということで、入学が許可されました。

 

 入学して、どのように学んだのでしょうか?

 

 ハノーファー音楽演劇大学で師事したエリカ・ハーゼ教授は最初に、「もっとうまく弾きたいと思うなら、テクニックを磨かなければなりません。それしか方法はありません」と私に言いました。

 それで、私は大学に入った後、初めてスケールやアルペッジョなど、正規のテクニックの訓練に励みました。でも、私にテクニックが欠けていたことは、逆によかったのかもしれないと思っています。ラフマニノフ《ピアノ協奏曲第三番》のような作品は、私は一生弾けないでしょう。幸いなことに、私はこの作品に興味を持ったことがなく、弾きたいと思ったこともありませんが。

 テクニックを身につけるのは、早ければ早いほどよいと思います。才能と身体を調和させながら成長できますから……。しかし、子どものころに無味乾燥なテクニックの練習ばかりさせられていたら、私はピアノをやめていたでしょう。実際にそのような人は多いと思います。音楽の理想的な訓練の方法に決まりはありません。それぞれの人によるのでしょう。

 

 あなたは謙虚過ぎます。現在、あなたは精巧なテクニックですばらしい演奏を繰り広げているではありませんか。

 

 私は手指に恵まれていて、なんとかプロの演奏レベルに達することができました。これは私が天から授かったものですが、それだけではピアニストにはなれません。テクニックと音楽への理解が相互に補完し合いなから発展しなければならないのです。

 私は大学に入った後、楽曲の分析や背景についての知識という点で、多くの同級生より優れていることに気づきました。彼らは私よりずっと速く軽やかに弾く指を持っていましたが、作曲家という視点から楽曲を俯瞰したり、分析して理解するという点においては、私より劣っていました。私の音楽への理解や想いが深まれば深まるほど、自分がどう表現したいのかが見えてきて、そのためにはどんなテクニックが必要なのかもわかるようになり、目指すべき方向が明確になっていきました。

 

 あなたはいつごろからチェンバロを学び始めたのですか?

 

 学び始めるずっと前から、この楽器に興味を持っていたのです。12、3歳くらいのころ、ある日、楽譜店で分厚い2冊の16世紀の半ばから17世紀の初めに書かれたイングランドの鍵盤音楽の楽譜集『フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック』(Fitzwilliam Virginal Book)を見つけました。「わぁ! こんなに安い値段で、18センチもの厚さの楽譜が買えるなんて、絶対にお買い得だ!」と思って買って帰り、あっという間にすべての曲を弾きました。

 そして、「ヴァージナル」というのは、当時イングランドで弾かれていた小型のチェンバロだと知り、どんな楽器なのだろう?と思いました。ヴァイオリニストの友人の家に小さなチェンバロがあると聞き、私は興奮して見に行ったのですが、その楽器にはあまり興味が持てませんでした。

 大学に入った後、学校にすばらしいチェンバロがあり、教える先生もいることを知り、習ってみようと思いました。そして、幸運にもラヨシュ・ロヴァトカイ教授に出会うことができたのです。彼はそれほど巧みな演奏者ではなく、あまり練習もしていませんでしたが、きわめて深く広い知識を持っていて、今日に至るまで彼に匹敵する人物に出会ったことはありません。

 彼は私に、チェンバロの音楽だけでなく、宗教曲、合唱曲、オペラなど、さまざまな音楽を紹介してくれました。たしかに私はチェンバロに興味を持ちましたが、それ以上に興味があったのは音楽なのです。私は未知の音楽を知りたいという強い欲求に突き動かされてチェンバロに取り組みました。あぁ、あなたが言ったように、それはたしかに地図の白い部分をひとつひとつ埋める作業に似ているのかもしれませんね。

 

 大学でフォルテピアノも弾いたけれど、それほど好きになれなかったということですが、数年後にアントワープの「肉屋のギルドハウス」(Museum Vleeshuis)ですばらしいフォルテピアノに出会い、この種の楽器にも興味を持つようになったそうですね。

 

 そうです。それは1826年製の保存状態のよいグラーフのピアノでした。あの博物館に行ったのは、ただチェンバロが見たかっただけなのですが、あんなに魅力的なグラーフに出会うとは! 弾き始めるとやめられず、永遠に弾いていたいと思いました! 

 このときの経験から皆さんに言っておきたいことがあります。現在、私は古楽器の演奏家として知られていますが、私にとって大切なのは音楽で、楽器ではないということです。音楽の演奏で大切なのは、まず作曲家と作品、次に演奏者、そして最後に楽器なのです。また、私が古楽器を演奏するのは、ただ純粋に好きだからです。学術的に研究したいとか「使命」を感じたからではありません。

 たとえば、あなたが私にくださったパイナップルケーキは、私にとって未知の食べ物ですが、食べてみようと思います。つまり私はいつも新しい事物に興味を持ち、試してみたい人間なのです。「食べなければならない」と思って食べるわけではありません。食べた後、好きか嫌いかは個人の好みの問題です。気に入ればたくさん食べる、気に入らなければもう食べない。それだけのことです。

 私が古楽器を弾くのは、古楽器が好きだからです。誰もが自身の好みや趣味に従って音楽に取り組めばいいのだと思います。結局のところ、音楽についての認識や理解は、感情や感性と切り離せないのです。私は宣教師のように古楽器を広めたいと思っているわけではありません。多くの人々に古楽器を演奏し、鑑賞してほしいと思っているだけです。好きになれなければ、弾かないで、音楽の勉強の参考にすればいいのです。

 

 私もあなたの意見に賛成です。古楽器を使っても、音楽的に稚拙で、中身のないうわべだけの演奏になっていることがあります。

 

 楽器より重要なのは、音楽をどのように演奏するかということなのです。「テーブル」という文字を読めば、とくに何か特別な脈絡の中で書かれていない限り、テーブルはテーブルと誰もが理解します。しかし、作曲家が書いたひとつひとつの音符は、ただの音の高さや長さではないのです。作曲家は抽象的な方法で、音のつながりから心の言葉を語っています。それを私たちは汲み取らなければなりません。

 また、作曲家は楽譜にすべてを書いているわけではありません。当時の人々なら誰でもわかることは書かなかった場合もあります。しかし、その中にきわめて重要な内容が含まれているかもしれません。遠く離れた時代の作品を理解することはとても難しいのです。

ただ古楽器を弾くことには、何の意味もありません。伝統を知り、さまざまな種類の音楽の文法を掌握しなければなりません。語学を勉強するとき、文法を学ばなければ、その言語を話せるようになりませんよね。音楽の文法は、語学の文法よりも複雑で難解なので、身につけるには多くの時間と経験が必要です。

 

  あなたは最初にモダンピアノを学び、その後チェンバロ、さらにフォルテピアノを学んだのですよね。モダンピアノという視点からフォルテピアノを弾くのは過去を振り返ることであり、チェンバロという視点からフォルテピアノを弾くのは未来を志向することだと思うのですが、それについてどのようにお考えですか?

 

 フォルテピアノというのは、一般的に18世紀の初めに出現した後、19世紀半ばごろまで使われた楽器のことを指します。これはかなり長い時間です。初期の楽器は、打弦装置はすべて木材で、ハンマーには皮革が使われていたので、音色や響きはモダンピアノよりチェンバロに近かったと思います。音だけを聴いたら、どんな楽器で奏でられているかわからないでしょう。

 クリストフォリは、自身が発明した新しい楽器を「強音と弱音が出るヒノキで作ったチェンバロ」(un cimbalo di cioresso di piano e forte)と呼びました。当時、彼はチェンバロとは違う音質を求めていたのではなく、ただ音量に強弱の変化をつけたかっただけだけなのです。

 モーツァルトの初期の作品のころまで、チェンバロとフォルテピアノは混在して使われていました。モーツァルトも自身の鍵盤作品をチェンバロで演奏しています。私はよくハイドンやモーツァルトの作品をフォルテピアノとチェンバロで弾き比べ、その音色が私に語りかけることに注意深く耳を傾けています。そうすることで、作曲家が何を望んでいたかを考えることができるのです。 

 クリストフォリの発明は、当時の人々がチェンバロの音色に飽きていたからではなく、彼の新しい楽器に魅力を感じたから発展したのです。十八世紀の終わりごろから、ピアノは大きく飛躍しました。1850年ころのピアノは、チェンバロとはまったく違い、モダンピアノに近いものとなりました。

 

 それは作品を聴いてわかりますね。チェンバロという視点から、フォルテピアノについて語っていてだけますか?

 

 発声の原理(打弦ではなく撥弦、強弱の変化がない)により、チェンバロでは、基本的にルバートとアーティキュレーションで演奏を表現します。ルバートは、音と音の間を伸ばしたり縮めたりすること、アーティキュレーションは、スラーやスタッカートを繊細に使い分けることです。

 チェンバロの演奏技法から考えると、フォルテピアノを弾くとき、モダンピアノほど大きく音量を変化させるべきではないことがわかるでしょう。言い換えれば、モダンピアノのように音量の変化で表現を考えるのではなく、チェンバロの演奏技法の基礎の上に、音質の変化とペダルの効果を加えて表現すべきだということです。

 モダンピアノの音色は、音域が違っても、また同じ音を強く弾いても弱く弾いても、音質に大した相違はありません。しかし、昔のピアノは違います。この点をうまく活かせば、フォルテピアノでモダンピアノに劣らない演奏表現ができるのです。18世紀のピアノ音楽を詳しく見ると、作曲家が音量の変化ではなく、光と影、軽さと重さの間の微妙な違いで作品を表現しようとしていたことがわかります。モダンピアノを弾くとき、それを「翻訳」して演奏すべきです。必ずしも当時の楽器を使う必要はありませんが……。また、フォルテピアノを弾くときは、「翻訳」した弾き方ではいけません。

 

 では、モダンピアノという視点からフォルテピアノを振り返って考えるといかがでしょうか?

 

 フォルテピアノは、私に楽譜上のさまざまな指示の真の意味を理解させてくれました。たとえば、当時のウィーンの楽器(イギリスの楽器とは大きく違います)でシューベルトやベートーヴェンの作品を弾くと、彼らの指示通りにペダルを踏んでも響きが濁らないことがわかります。ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第3番》の第2楽章には、何ページにもわたってペダルを踏み続ける指示が書かれています。《「月光」ソナタ》の第1楽章もそうです。シューベルトは、1ページにわたってピアニッシモで弾くように指示した後、さらにデクレッシェンドを書いていますが、フォルテピアノならそのような効果を出すことができます。

 

 

(続く)