■このブログは次の「週報 夢二と台湾2023」(2021.8~2023.8)の後継版です。

①創刊号(2021.8.8)~第37号⇒  https://yumejitotaiwan.exblog.jp

②第38号~第102号(2023.8.27)⇒  https://jasmineproject.amebaownd.com/

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1 ご挨拶  2 夢二と美麗島  3 夢二の素顔  4 夢二のカワイイ 5 夢二に逢える場所(夢二展一覧) 

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【ご挨拶】

 1月14日(日)、中央区の「本の森ちゅうおう」(中央区立京橋図書館)に朗読会を聴きに行ってきました。

演者は朗読グループ「も・ある」のお二人で、テレビ、ラジオに多数出演のフリーアナウンサー・講師の塙野ひろ子(こうのひろこ)さんと声楽家の千葉小津枝さんでした。

私が聴いたのは午後の部で、永井荷風の「雪解」、谷崎潤一郎の「陰影礼賛」で、前者は塙野さんが、後者は千葉さんが朗読しました。

 朗読は、最近挿絵動画を制作して以降、非常に関心を持っていたので本企画に参加したのですが、YouTubeやCDで聴いていただけでリアルははじめての経験でした。お二人はいずれも素晴らしい演技力で、言葉が身体に染み入る感覚がなんとも言えず、鳥肌ものの箇所も何回かありました。総じて朗読の素晴らしさを改めて実感することができました。

荷風の「雪解」は小説でした。荷風の著作はいくつか本でいたのですが、今回は改めてその描写力のすごさに驚いてしまいました。まるで精密な映画シナリオを読んでいるが如く、情景、装置や道具、そして表情に至るまで要所が非常に細かく表現されています。いかに私がきちんと読書をしていないかわかってお恥ずかしい次第ですが、今回改めて朗読のすごい力を知りました。

また、谷崎の「陰影礼賛」は、漆器の素晴らしについて書いたエッセイでしたが、これもドラマとは違ってじっくりと著者の思いが伝わって来て、う~んとうなってしまうところがたくさんありました。谷崎の文章も素晴らしく、非常に映像的で、言葉による明暗(闇)の表現には心酔してしまいました。これも朗読だったからより効果がでたので、いかに普段雑な読み方をしているか思い知らされたような気分でした。

 「夢二の世界」では、いわゆる夢二のつきあった3人の代表的女性のうちたまきと彦乃を取り上げ、解説を交えて朗読が行われました。たまきの部分では、海鹿島での長谷川カタとの出会いから「宵待草」が生まれたことを紹介し、原詩と三行詩と曲が披露されました。また、彦乃に関しては、夢二との出会いの紹介と、「出帆」の一部が朗読されました。

「出帆」では、彦乃が米原にやってくるところから二人の京都での生活が始まるまでを取り上げていましたが、これは塙野さんの朗読で、しみじみと聴くことが出来、情景が浮かんで来るようでした。特に、彦乃がやっと家を抜け出してきて夢二と合えた嬉しさがとてもよく表れていて、ずっと聴いていたい気分になりました。かえって映像がないために自分の生み出した世界が見えてくる面白さもあります。

 2025年に挿絵動画「夢二と彦乃 愛のかたち」の制作が決定しているので、その点でも大いに参考になりました。彦乃が25歳で亡くなったときの夢二の気持を「その日から とまったままで動かない 時計の針とかなしみと」と文字を投影して朗読しましたが、好きな詩だけに感動してしまいました。

また、「東京災難画信」も紹介され、これは千葉さんが朗読し、夢二の社会性を取り上げた旨の説明後、「1」、「6自警團遊び」、「4 煙草を売る女」を夢二のスケッチを映写しながら朗読しました。これも朗読で聴くとその悲惨さが読むよりも強く伝わってくるようで、何ともいたたまれない気分になるほどの迫力でした。これは夢二研究会にも毎回参加していた夢二の孫・竹久みなみさんのまとめたものですが、一昨年10月に逝ってしまったのがほんとうに残念です。現在挿絵動画の制作を考えているところですが、「東京災難画信」も東京都復興記念館などの協力を得て制作する意義について改めて考えてみようかと思いっています。みなみさんの遺志がなんとなく感じられます。

さらに、子ども絵もいくつか紹介され、「風」が朗読されました。読み聞かせ風に朗読され、それまでと一気に雰囲気が変わって素晴らしいものでしたが、夢二の多才さに加え、微妙な言葉遣いの方法なども音によって確認できたのは良かったと思います。

惜しかったのは時間の短さで、全体で1時間半(休憩あり)でしたが、取り上げた著者が3人もいたためやむを得ないところですが、作品数を減らして作者や作品の解説をした方が好いような気がします。しかし、参集された方々の「朗読を聴きたい」という意向を満足させることも必要でしょうから、なかなか悩ましいところです。夢二の訪台関係で3時間近く講演をしてしまう私にはあまり意見を言う権利はないでしょうが。"(-""-)"

▼「本の森ちゅうおう」(中央区立京橋図書館)

 

 

 1月16日(火)は夢二最愛の女性笠井彦乃の命日。例によって本郷通りにある高林寺に墓参に行きました。2014年に東京スカイツリータウンに開館した郵政博物館のこけら落としが「蕗谷虹児」展だったことをきっかけに夢二を知り、即入会した「夢二研究会」の代表が彦乃の姪だったことが縁で、それを知って以来、9月1日の夢二忌とともに1月16日は墓参を続けています。

 と思ってよく日記を見てみたら、「5年日記」を2001年以来書き続けて来た効果があったのか、1回だけ完全に失念して墓参していない年がありました。

 その年は2021年でした。まさに、2020年2月の横浜港のクルーズ船の大騒動から始まったコロナ禍がパンデミックを引き起こし、世界中先が見えず混とんとしていた年でした。

2020年は、予定していた通信文化協会の3月の台湾旅行の企画は延期となり、前年実施した「夢二の見た台湾」ツアーがきっかけで企画した台湾大学での夢二訪台に関する講演会も中止。そのままコロナ関係のニュースと対策だらけの毎日が続き、リモート業務が急拡大。人と人との接触が嫌われる不信感の渦巻く暗い社会状況となってしまっていました。

当然、計画は立ち直れぬまま失速状態です。当初楽観視していた私でしたが、さすがに状況の改善が見られないと思い、いろいろ考えた末、夢二研究は原点に立ち戻っていこうということにして、〘夢二詩画集』(石川桂子著)の年表を土台として、他の夢二関連本の年表等を組み合わせた「夢二超張詳細年表」の制作を始めました。 

しかし、なかなか先が見えてこないため張り合いがないので、2023年が夢二訪台90周年に当たっていたことから、多分2023年にはさすがにコロナもインフルエンザ化するだろうと考え、台湾大学での講演を中心としたプロジェクト「夢二と台湾2023」を発案したのです。だいぶ無謀な計画だと思われましたが、2023年に入るとコロナ騒動が沈静化したきたことや多くの友人が支援の手を緩めないでいてくれたおかげで、このプロジェクトは11月に実施することが出来ました。これは実に幸運によるもので、奇跡に近い目標達成となりました。

 というわけで、2021年の年明けは絶望した模索状態だったのですね。1月16日の日記を見ると「夢二研究資料作成。王文萱さんに荷風と夢二の資料送付。タイのマリワンに送ってもらったマスクのお礼」と書いてあります。翌日には「白樺派と夢二について田世民先生に情報提供」とありますから、しっかり台湾とつながっていたことが分かります。こうやってあらためて日記を見ると、自分の姿が見えてくるものですね。

今年の墓参では、「2025年は夢二と愛を誓ってから110年目。しっかり動画を作りますよ」と彦乃姐さんに告げました。人生最後の個人施策になりそうな2年越しのプロジェクト、しっかり進めていきたいと思います。

▼高林寺

▼笠井彦乃

<The New Wave>
 懐かしさで食べたタイの即席ラーメンの強烈なスパイスに胃腸が悲鳴を上げ、1月12日から3日3晩腹痛と39度の熱で動けなりました。鎮痛剤の効いている時間しか熱が下がっていないような状況下で、ふと見るとこの数年間買ったはいいが放置されていた未読の夢二の著書の山が目に入りました。ぼんやり見ているうちに、「解説本ばかり読んでないで、俺の書いた本を読め」と夢二が言っているような気がしてきたので考えて見ると、確かに先を急ぐばかり大量にある夢二の著書をきちんと読んだことがなかったことに気づきました。
 そこで、医者の処方でようやく快復した1月22日、意を決して酒とSNSを断ち、家にあるすべての夢二の著書に取り組みはじめました。とにかく夢二のこと以外の情報はニュース程度しか見聞きしない、ということで、朝から晩まで食事時間と健康のための小散歩を除き、入院患者のように寝転んで本を読んでいました。

寝転んでいたのは、以前、小津安二郎がよい原作を探したりするのに終日茅ヶ崎の旅館で寝転んで本を読んでいたことを知り、真似してやってみたら結構集中できることが分かったのでよくやっている読書法です。疲れないし、眠くなったら寝てまた起きて読むという実に動かなくて済む楽な読書法なのです。

 こうして、何度か挫折しそうになりながらも1週間、少なくとも家に積みあがっていた夢二の著作本に全部目を通すことが出来ました。詩や短歌や絵が多かったというのが早く読了した理由とも言えますが、1909年末に処女作の「春の巻」を出版した後、翌年には「夏の巻」ほか5つの「夢二画集」のシリーズを発刊していますが、それらの「序」の部分にある夢二の言を読み進めると、夢二の原点、そして時代に対する夢二の考えがはっきり見えてきました。夢二の絵や文章にはいつも時代や世相が色濃く出ていて、鋭い視点で世の中を見て創作していることやそれが生涯ずっと続いていることがよくわかりました。

これまで、夢二の生涯を追ってきましたが、その時代背景を念頭に置いて集中して著書を読んでいく醍醐味はなかなかのもので、20年前のタイ赴任で3年間も慣れ親しんだタイのスパイスについに負けたのは悔しかったですが、結果は感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 しかし、読了したとはいえ、猛スピードの読書。関東大震災前後に書かれた長編の「岬」や「秘薬紫雪」、「風のように」などで新聞小説の面白さを体感することが出来るなど種々雑多な感動が入り混じっているため、今後、要再読箇所に貼り付けた膨大な量の付箋紙を辿りながら確認作業を開始していきます。
なお、これにより、これまでの取組姿勢も大きく変わったことから、このブログの大幅リニューアルを考えており、2月3日(節分)から内容を一新してスタートいたします。
▼今回読んだ夢二の著作本。これはこれまでに買いだめたもので、このほかにまだまだあります。

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【夢二と美麗島】第17回「台湾の印象(3)」

<記事2>(新聞掲載されたエッセイ「臺灣の印象ーグロな女学生服」)

私はこの丘の上で思ふ。何故なれば、次の船の出る日まで充分思ふ間があるからである。私は何しに台北へ来たか。私は台北で何を見たか、私は台北においてなんであったか、或は無かったか。かういふ主要な問題をやっと考へる時間を持った。

 「台湾には生蛮人と制服を着た日本人が居る」さういふのが私の台湾に対する人文地理学であった。その他に何があるのか、私は知る必要もなかったから、考へても見なかった。つまりこちらでいふ本島人がゐることに気がつかなかったのだ。しかしこれは笑へない。多くの日本人はいつの間にか、本島人の居ない台湾を知るに過ぎなかったのではないか。

(本島人…清朝時代の中国渡来の人。漢人)

その寄ってくるところはその政策のためか、感情か、私は知らない。急に本島人が山の中からでも出てきた見たいに言ふ人があるが、なるほど、来てみると本島人も居るが、制服を着た人間もずいぶん居るのには驚いた。

後藤新平の予言が果たして卓見になるかどうか、次の船までに解るものではない。

(注:卓見…優れた意見)

<解説2>

・状況:「私は何しに台北へ来たか。私は台北で何を見たか、私は台北においてなんであったか、或は無かったか。」と夢二は考えます。おそらく個展で米欧で負った借金の返済金を稼ごうという気持ちだけで来た台湾。そこでは彼の名は過去のものとなっており、警察会館での個展では絵も売れなかった。訪台を誘った河瀬蘇北は東方文化協会台湾支部を創設して華やかな会合や講演会を演じて意気揚々としていて、個展の状況とは大きな差が出てしまいました。さらに何の因果か、台湾に到着したその日に、夢二がかつて師と仰いだ藤島武二が鐡道ホテルに同宿していました。同時期に開催された台湾展覧会の審査員の役目とともに、皇太后より下命のあった、今上天皇の即位を祝う絵である「日の出」をテーマにした景勝の地を探す目的もあるなど大いに活躍していて、蘇北同様、意気揚々とした姿をみせていたと思われます。そこへきて帰国船にも乗り遅れという、まさに台湾に来て踏んだり蹴ったりの夢二でしたが、ここで「次の船が出航する日まで考える時間ができた」ということで、ここからが、「夢二が見た台湾」について述べられることになります

 夢二が台湾について知っていたのは、「台湾には生蛮人と制服を着た日本人が居る」ということでした。そのほかに誰がいるのか別に知る必要もなかったので気にしていなかったのです。蘇北もこれについては特に問題視していたなかったのでしょうか。台湾で日本的教育を開始して40年近く経っているので、日本語も流ちょうな人も多かったでしょうから、それほど「本島人」という存在を気にしていないような状況であったことも考えられます。多くの日本人は、台湾領有開始以来、いつの間にか、本島人の存在を忘れてしまっているのではないか、ということに夢二は疑問を持ちました。「多くの日本人はいつの間にか、本島人の居ない台湾を知るに過ぎなかったのではないか」の「本島人の居ない台湾」とは、まるで台湾の文化を無視している日本人の姿を指しています。日本人入植者にたいして途方もなく多数の「本島人」を無視したような台湾の統治姿勢とともに気になったのが「制服」です。これは間違いなく警察と軍隊を指していることでしょう。この辺が夢二らしいところで、1901年に上京して東京で苦学して生活する中で社会主義に触れ、その中で見出した夢二の思想の原点となっているものと考えられます。

 夢二はここで後藤新平について触れていますが、夢二は後藤新平を評価していました。東京を整備するにあたって辣腕を振るった後藤新平が、日本橋にある一石橋近くに江戸時代に建てられた「迷子探しの告知石碑」を撤去しなかったことで夢二は後藤新平に礼状を書いていました。周知のとおり、後藤新平は、児玉源太郎台湾総督から民生長官の地位を得た際、「統治は生物学の法則に従う」として、台湾に合った施策を主に実施したとされています。このことがうまく台湾で実施されているのかどうか、夢二は疑問を持ったのでしょう。つまり、「人々の慣習を重んずる」という「台湾の慣習を重んじる」という考え方が、その後成功しているのかどうかはまだ何とも言えないということなのでしょう。

※迷子探しの告知石碑:江戸時代の日本橋~一石橋界隈は盛り場で、迷子や尋ね人が多かったようです。当時迷子は町内が責任を持つことになっており、安政4 年(1857)近隣の町名主等が世話人となり、一石橋に迷子探しの告知石碑が建立されました。正面に「満(ま)よひ子の志(し)るべ」、左側に「たづぬる方」、右側に「志(し)らす類(る)方」と刻まれています。両側の上部に方形の窪みがあり、左側の窪くぼみに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、心当たりがある人はその旨を書いて右側の窪くぼみに貼りました。いわば江戸庶民の告知板でした。湯島天神(現存) や浅草寺(復元)、両国橋等、往来の多い場所に同様のものがありました。(wikipedia)

▼一石橋

 

▼「迷子探しの告知石碑」

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【素顔の素顔】夢二の素顔を関係者や研究者の文章から読み解いていきます。

■「晩年の夢二と語る」(鎌原正巳著、『白鳥』第1巻第5号(1947.8)より)

 六畳ほどの洋風の応接間には、背にこまかな彫刻のしてあるロココ風の椅子、かつての豪華さをしのばせる色あせたソファ、暗い壁間には夢二の筆になる「少女の像」が一枚かけてあるだけ。ほかに何一つ置いてない殺風景で陰気なふんい気のただよっている応接室である。

 窓から見える裏庭には、午后の日ざしを受けて山茶花が咲きにおっている。つややかな葉に、こぼれるように秋の日がおどっている。夢二の家と、明るい山茶花は、ちょっと不釣合いな感じである。崩れかけたヴェランダ、はげ落ちそうになっている天井の壁、庭先の葉の落ちつくしたアカシヤ、庭隅の枯れたクマザサ――夢二はむしろこのようなところに、彼の安住の場を見出しているのかもしれない。

 やがて廊下に足音がして夢二が現れた。

 彼を横浜の埠頭に見送ってから、すでに三年の歳月が流れていた。欧米各地の放浪の画の旅から、彼は何をもって帰ってきたのであろうか。彼の頭髪にはめっきり白髪がふえている。そして眼鏡の奥に光る瞳には深い憂いのかげがきらめいていた。

「よく来てくれましたね」

 夢二はじっとわたしの方を見つめてつづけた。「近ごろは毎日寝てばかりいます。日本に帰って来たら、眠むくて仕方ないんですね。東京の街にもさっぱりごぶさたしていますよ。君たち若いものが訪ねてくれると、ほんとうにうれしいですよ」

 夢二はテーブルの上から外国煙草を取り上げてわたしにすすめる。

 すでに五十にもなっている人間のどこに、欧米を放浪して歩いた情熱がひそんでいるのであろうか。ほほはこけ、やせて弱々しいからだのどこにそんな力があるのだろう。サンフランシスコからニューヨークに行くのに、汽車賃が足りなくて、パナマ運河をまわる貨物船に乗って東海岸に渡ったというエピソードを持つこの老芸術家のどこに、そのような生活力がひそんでいるのだろうか。(つづく)

▼少年山荘(複製、夢二郷土美術館(岡山市))

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【夢二のカワイイ】「世界の“かわいい文化”は日本生れ!」

*『竹久夢二 かわいい手帖 大正ロマンの乙女ワールド』(石川桂子編、河出書房新社)より

<第1章>「かわいい×デザイン」

4 ブックデザイン 手のひらサイズの小さな本

(1)  草花モチーフ

 大正期には洋紙の生産が和紙を超え、さらに写真製版や印刷の進歩に伴い、本の生産量と質が大きく飛躍しました。そして相次ぐ本の出版に応じ、時代色や流行を取り入れ、限られた画面の中にデザインを施す手腕、ならびに作家の個性と美的な訴求力が装幀において要求されるようになりましたが、いずれの条件も叶えていた夢二はこの分野でも活躍し、表紙を始め函(はこ)、カバー、見返し、扉まで本の各部分を彩りました。

また、ブックデザインの仕事となる書物装幀を、夢二は明治末から亡くなる昭和9年(1934)にかけて約270冊手がけました。装幀を担当した書物は小説や歌集が多く、本のタイトルに草花の名前がついているものは、それに従い植物図案をよく取り入れましたが、それに限らず身近な草花から創作による架空の植物まで、個性あふれる装幀を施して、夢二は書籍を美しく彩りました。

書物の中には手のひらサイズの小型本もあり、夢二による植物図案が可憐に装飾されています。またアール・ヌーヴォー調に描かれた草花は、やわらかな曲線と木版刷りの色味が相まって、ぬくもりが伝わってくるような趣に満ちています。

▼「竹久夢二 かわいい手帖」(石川桂子著)より

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【夢二に逢える場所(夢二展一覧)】

■竹久夢二美術館(東京都文京区)

 「夢二の旅路 画家の夢・旅人のまなざし」(2024年1月5日(金)~3月14日(日)) 

 https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yumeji/outline.html

■弥生美術館(東京都文京区)

「デビュー50周年記念 槇村さとる展 ー「愛のアランフェス」から「おいしい関係」「モーメント」までー」(2024年1月5日(金)~3月14日(日)) 

 https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yumeji/outline.html

■金沢湯涌夢二館(石川県金沢市)

 展示替えおよび館内工事のため休館(2023年12月25日(月)~2024年1月19日(金) )

<予告>「夢二の新聞小説『秘薬紫雪』」(2024年1月20日(土)~4月21日(日)

 https://kanazawa-museum.jp

■竹久夢二伊香保記念館(群馬県渋川市)

 企画展はHP参照

 https://yumeji.or.jp

■夢二郷土美術館(岡山県岡山市)

・本館

 『松田基コレクションⅩⅢ:夢二名品展/特別公開 美しき女性たち』(2023年12月5日~2024年3月10日)

・夢二生家記念館・少年山荘

 2023年冬の企画展「夢二生家 ふるさとの冬」(2023年12月12日(火)~2024年2月25日)

 https://yumeji-art-museum.com/

■佐野美術館「ときめき 美人―培広庵コレクション名品展」(2024年1月7日~2月18日)

 https://artexhibition.jp/exhibitions/20231209-AEJ1741387/

【展覧会以外】

●竹久夢二(1884~1934年)と千葉の関わりを紹介した冊子「竹久夢二と房総」を、八街市の日本文学風土学会員・市原善衛さん(73)が自費出版。(東京新聞より)

 https://www.tokyo-np.co.jp/article/288094

●「岐路に立つ「金沢の奥座敷」 伝統の湯守りつつ新たな取り組みも(湯涌温泉)」(朝日新聞デジタル)

 https://www.asahi.com/articles/ASRBX6SG4RBRPISC01B.html

●『女の世界』大正という時代(尾形明子著、藤原書店)が発売中!

 百年前、こんな面白い雑誌があった!

 https://www.fujiwara-shoten-store.jp/SHOP/9784865783926.html

●『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』(越懸澤麻衣著、小鳥遊出版社)が発売中!

 https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096

●最新の夢二書『異国の夢二』(ひろたまさき著、講談社選書メチエ)が発売中!

 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784065323465

●越懸澤麻衣著『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』が発売中!

 https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096

●夢二の雰囲気に包まれてオリジナル懐石を楽しめる!――神楽坂「夢二」

 https://www.kagurazaka-yumeji.com/