■このブログは次の「週報 夢二と台湾2023」(2021.8~2023.8)の後継版です。

①創刊号(2021.8.8)~第37号⇒  https://yumejitotaiwan.exblog.jp

②第38号~第102号(2023.8.27)⇒  https://jasmineproject.amebaownd.com/

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★MENU★

1 ご挨拶  2 夢二と美麗島  3 夢二の素顔  4 夢二のカワイイ 5 夢二に逢える場所(夢二展一覧) 

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★挿絵動画「ひいばあちゃんの夢二ハンカチ」が「夢二の小窓(動画版)」でYouTube公開中!

夢二訪台90周年記念「夢二と台湾2023」で製作され、2023年10月14日に「ギャラリーゆめじ」での国内先行講演会、そして11月2日の台湾大学及び同月3日の北投文物館での講演会で上映された作品を一般公開します。
・日本語版:https://youtu.be/tsLJ6u9Vlww

・台湾華語字幕付版:https://youtu.be/bzfRc8ZyWMI

【ご挨拶】

 今年もう2回目のアップです。

 1回目のおめでとう号をアップした後、能登大地震が発生し、一気に正月気分が吹き飛んでしまいましたが、2日になると今度は太平洋岸の羽田空港で前代未聞の航空機同士の衝突事故が発生。ニュースの映像がまるでハリウッド映画のような状態で、火だるまになった旅客機を見て、1992年以来80回近く離発着を繰り返してきたこともあり、凍りつく思いがしました。

18分間400人近い乗客の脱出劇。よく全員助かったと思います。奇跡に近いことです。大惨事になってもおかしくない状態なのに、日本航空の乗務員の冷静な(本当は冷静ではなかったでしょうが)判断と誘導、そして乗客の冷静な(こちらもとても冷静とは言えなかったでしょうが)態度に大感激しました。ある意味、お互いに協力して全員生還したということなのでしょう。この事件が教えてくれたことは非常に大きいと思います。とはいえ、能登災害への救援という人道的特別任務が事故につながってしまい、死傷された海保の方々についてはとても残念に思います。ご冥福及び早期快復をお祈りいたします。

ところで、新たなプロジェクトが策定され、現在は昨年に引き続き、3月までの予定で「夢二と台湾」の総まとめを鋭意行っています。講演や動画の基礎資料がたくさんあり、また、疑問のままで残っているところも数多あります。4月以降から本格的に取り組もうとしている夢二と彦乃の動画制作については、これと同時並行で関係資料を取り集め、精読を始めていますが、夢二と彦乃の物語は書籍、映画など様々な形で描かれており、多くの情報が錯綜してしまい、これを新たな視点から見て描くにはかなりの準備期間が必要のようです。今後にご期待ください。

 さて、1月5日、竹久夢二美術館の新春企画展「夢二の旅路」の初日に行きました。人生そのものが旅だった夢二の生涯の軌跡をたどるような展示。思わず自分の半生を重ねてみました。刺激的な夢二の言葉が随所に散りばめられ、”思い立ったらすぐ動きなさい”と背中を押された気分になりました。ギャラリートークや展示替えもあるようで、まだ何度も通うことになります。何度行ってもそのたびに新たな発見があるから面白いですね。現在総まとめをしている夢二と台湾でも「旅」は重要な要素となりますのでありがたいことです。私も夢二にあやかって好きな時に好きな場所へ行ってみたいというのが大学時代からの夢でしたが、残念ながら絵が描けないので宿代が払えません。細々とやれるだけやっていくことにします。

 また、今年は、夢二生誕140周年・没後90周年の今年らしく夢二関係もいろいろ動きがあるようです。夢二郷土美術館が新収蔵したまぼろしの絵画と言われる「アマリリス」(油彩)の展示が次のとおり巡回展で行われるようです。これも楽しみですね。(詳細情報:夢二研究会・前川充副代表より)

「生誕 140 年 YUMEJI 展  大正浪漫と新しい世界」会期・会場(予定)

①2024年6月1日(土)~8月25日(日)東京都庭園美術館

②2024年9月7日(土)~12月8日(日)夢二郷土美術館

③2025年1月18日(土)~3月16日(日)大阪・あべのハルカス美術館

(以降、全国の美術館を巡回予定)

▼竹久夢二美術館「夢二の旅路」開催模様(写真撮影可です!)

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【夢二と美麗島】第16回「台湾の印象(1)」

昭和8年(1933)11月5日、思ったような成果を上げずに警察会館で行われた展覧会が幕を閉じました。

夢二が「台湾日日新報」(1933年11月14日)に掲載したエッセイは11月11日付で投稿しており、その中で本土へ行く船に乗り遅れたと記載しているのですが、記録に残っている11月18日の神戸到着までのいきさつは全く分かっていません。これは、売れた絵も、売れ残った絵も、また、台湾旅行の間にかかれたかもしれない夢二のスケッチや日記、なども全て未だ見つからないので、新たな発見があるまでは想像するしかない状態だからです。

つまり、11月15日の本土行きの大和丸が基隆港を出港するまで(航路案内からこれに乗船したと推測)、展覧会終了後、夢二は通算9日間も台北に滞在していたことになります。これまでの米欧での行動を見てみれば、この間に日記は書かないとしてもメモ書きやスケッチを全くしていないというのも妙な話です。本土帰還7日後の11月22日に「日記を再開した」という記述があり、これまで日記を書いてはいなかったようですが、いつから日記を書かなくなったのかは定かではありません。8月12日にベルリンで書いた日記が最後という説があるだけです。(袖井林二郎著「夢二 異国への旅」)

このように謎に包まれた展覧会開催後の夢二の動きですが、夢二の台湾滞在中の唯一の記録が新聞に残っています。

これは、先に触れたとおり、11月11日の日付で「台湾日日新聞」に寄稿されたエッセイ「臺灣の印象ーグロな女学生服」で、同月14日に掲載されました。短いエッセイですが、内容は日本統治下の台湾の状況に関する鋭い指摘となっているのが特徴です。タイトルも奇抜なものですが、実際には女学生の服装に関して書かれたものではないと一目瞭然に分かります。

それではまず、このエッセイ全文をご紹介します。この文章で、夢二は一体何を告げたかったのか、次回、このエッセイを紐解いていくことにします。

 

(新聞掲載されたエッセイ「臺灣の印象ーグロな女学生服」)

「二十五年シボレイは呼吸をきらし切らし四十哩を出したが、基隆の裏山まできてへたばって終わった。四時八分前!わが乗るべき扶桑丸はもう八分を待たずして出帆するのである。吾々の自動車は「もうどうにも走れない」といふのである。丘の上までゆけば扶桑丸の煙が見えるであらうといふ。

私は、この小高き丘の上で、友人に挨拶する間もなく倉皇と立ってまた台北の方を望み、また遺憾なる煙を上げてゆく扶桑丸を眺めやる。しかし私は山の形や岬の方は見ない事にする。そこはやかましい要塞地帯で、私が絵かきだから、制服を着た人間に心配掛けないためである。

(編者注:倉皇と:あわてふためいて、制服を着た人間:警察官、軍人)

私はこの丘の上で思ふ。何故なれば、次の船の出る日まで充分思ふ間があるからである。私は何しに台北へ来たか。私は台北で何を見たか、私は台北においてなんであったか、或は無かったか。かういふ主要な問題をやっと考へる時間を持った。

 「台湾には生蛮人と制服を着た日本人が居る」さういふのが私の台湾に対する人文地理学であった。その他に何があるのか、私は知る必要もなかったから、考へても見なかった。つまりこちらでいふ本島人がゐることに気がつかなかったのだ。しかしこれは笑へない。多くの日本人はいつの間にか、本島人の居ない台湾を知るに過ぎなかったのではないか。

(本島人…清朝時代の中国渡来の人。漢人)

その寄ってくるところはその政策のためか、感情か、私は知らない。急に本島人が山の中からでも出てきた見たいに言ふ人があるが、なるほど、来てみると本島人も居るが、制服を着た人間もずいぶん居るのには驚いた。

後藤新平の予言が果たして卓見になるかどうか、次の船までに解るものではない。

(注:卓見…優れた意見)

本島人はせっせと日本語を勉強せねばならないだらうが、日本人もまた本島人の住宅と衣服に就いて学ぶべきものがあると思ふ。ことに台湾に生活するときに於いて。つまり台湾の風土に適応するために、およそおかしきものは台湾に於ける女の学生の制服である。ああいふ帽子はーさうだあらゆるグロテスクな俗悪醜悪な形容詞をつめこんでもまだ一杯にならないであらう。

 「汽車に注意すべし」といふ立札の(に)を(も)書き換えて「汽車も注意すべし」とあった。この浅いおかしみが、この無邪気な作者に理解されてゐたのではない。

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 優秀な人種だと考へることのできる人種だけが優秀なのである。私はまた少し眠くなった。(八年十一月十一日)」(つづく)

▼「台湾日日新報」(1933年11月14日)

▼基隆港(日本統治時代(1930年頃))

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【素顔の素顔】夢二の素顔を関係者や研究者の文章から読み解いていきます。

■「夢二 虹之助 不二彦」(竹久みなみ(夢二の孫(虹之助の娘)(2022年10月没))

*『竹久夢二』」(竹久夢二美術館監修、河出書房新社より 

 竹久夢二について語った父の文章があった。

 

 私が会ひに行つたとき父はベッドにゐたが見違えるほど老ひてゐるのに私は、思はず「パパよく帰って来たな」と云つてやりたいほどだった。私はその時すでに一人の子供の父になつてゐたので孫を見せやうと云うと、「ぢいちゃんと云はれるのはいやだね」と父は笑つたけれど、私は涙が出るほど胸が痛くなつた。それからニ、三日して私は子供をつれて行つた。「ほら、おじいちゃんだよ」と子供に云つたとき、父は淋しく笑いながら云つた。「ぢいちゃんはいやだね、夢二兄ちゃんと云へよ」その悲しい言葉は、だが、どんなに夢二らしいひびきをもつていたか知れない。とにかく父はつかれきってゐた。

「いつまでも眠れさうだからねかせてくれ」と云つてベッドへ行つた。

 

 ここに書かれている子供は私だ。この後、父と母は離婚し、父は五、六歳の私を、夢二の次男不二彦に預けた。父の事母の事は一切知らない。が少しは私の事を思っていたのか。

 戦時中の事、学童疎開の私は戸山のお寺にいた。食糧事情が悪く腸の弱い私は家に帰りたいと手紙を書いた。昭和二十年七月、虹之助が富山へ迎えに来た。その足で富山に住む夢二の妻だった他万喜の家に寄ったら、七月九日に亡くなったばかりであった。虹之助はさぞ悲しかっただろう。そして帰ろうとした時富山の家では、「私を置いていったら」と虹之助に言った。虹之助は私を連れ帰った。何となく少し嬉しかった。

 

 夢二の事は自然と不二彦(編者注:夢二の次男)に教えてもらうのだが、夢二はこう言った。ではなく、日常普段から不二彦の言う事やる事は、夢二の行った事やっていた事として、私は受け止めていた。

 よく銀座に出掛けていたが、不二彦と叔母の間にいる私は、人生で一番幸せな時期であった。電車を降りる時に、不二彦は叔母に口笛で知らせる。とても恰好良かった。

 普段不二彦は、あまり怒らないが、ある朝味噌汁の味噌をすり、私が擂鉢(すりばち)を摑まえている時、台所の叔母と口喧嘩になり、不二彦が擂鉢をすりこぎで叩き割ってしまった。味噌は四方八方に飛び散り大変な事となった。私はびっくりして従姉妹と一緒に大声で泣いてしまった。という思い出があった。

 

 後年夢二の何回忌だったか、不二彦が和紙で大きな短冊を沢山作り、九月一日夢二の命日に雑司が谷に出掛けた。墓地の近くの家に集まり、著名な方々が見え、夢二会の面面も集まるなか、墓前で幹事から「一句お願いします」の一声に参加者はすぐさま、さらさらと書いて、夢二の墓のまわりの木に紐で下げたのであった。俳句や短歌がすぐさまできるのを目の当たりにして私は感動してしまった。

 私はその時何も作れなかった。これは勉強しなければと思い、あれから三十年ほど、私も俳句を作り続けているが、今は、見て下さる方々は、もういらっしゃらない。(完)

▼竹久みなみ氏(2017年榛名湖畔で)

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【夢二のカワイイ】「世界の“かわいい文化”は日本生れ!」

*『竹久夢二 かわいい手帖 大正ロマンの乙女ワールド』(石川桂子編、河出書房新社)より

<第1章>「かわいい×デザイン」

3 楽譜表紙イラストレーション 時代のメロディーと“かわいい”の関係

(1)  セノオ楽譜

妹尾幸陽(せのおこうよう)が設立したセノオ音楽出版社より刊行されたピース楽譜(小曲1編だけを、紙片1枚程度に収めた楽譜)シリーズで、セノオ楽譜は大正4年(1915)より昭和初期まで、500に及ぶタイトルで出版され、独唱曲・合唱曲・歌劇・民謡・器楽(バイオリン・ピアノ)など幅広い内容を網羅していました。また当時楽譜の数と質の高さから、「日本名物」と称されるほどでした。

夢二はセノオ楽譜で12番目に刊行された「お江戸日本橋」を皮切りに、昭和2年(1927)まで継続して表紙絵をデザインし、その数は280以上に及びました。また夢二が作詞をして流行歌にもなった「宵待草」も、自身で表紙絵を担当、セノオ楽譜として刊行されました。

▼「竹久夢二 かわいい手帖」(石川桂子著)より

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【夢二に逢える場所(夢二展一覧)】

■竹久夢二美術館(東京都文京区)

 「夢二の旅路 画家の夢・旅人のまなざし」(2024年1月5日(金)~3月314日(日)) 

 https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yumeji/outline.html

■弥生美術館(東京都文京区)

「デビュー50周年記念 槇村さとる展 ー「愛のアランフェス」から「おいしい関係」「モーメント」までー」(2024年1月5日(金)~3月314日(日)) 

 https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yumeji/outline.html

■金沢湯涌夢二館(石川県金沢市)

 展示替えおよび館内工事のため休館(2023年12月25日(月)~2024年1月19日(金) )

 https://kanazawa-museum.jp

■竹久夢二伊香保記念館(群馬県渋川市)

 企画展はHP参照

 https://yumeji.or.jp

■夢二郷土美術館(岡山県岡山市)

・本館

 『松田基コレクションⅩⅢ:夢二名品展/特別公開 美しき女性たち』(2023年12月5日~2024年3月10日)

・夢二生家記念館・少年山荘

 2023年冬の企画展「夢二生家 ふるさとの冬」(2023年12月12日(火)~2024年2月25日)

 https://yumeji-art-museum.com/

■高崎市美術館「生誕140年 竹久夢二展のすべて」(2023年11月11日~2024年1月14日)

 https://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2014011000353/

■佐野美術館「ときめき 美人―培広庵コレクション名品展」(2024年1月7日~2月18日)

 https://artexhibition.jp/exhibitions/20231209-AEJ1741387/

【展覧会以外】

●竹久夢二(1884~1934年)と千葉の関わりを紹介した冊子「竹久夢二と房総」を、八街市の日本文学風土学会員・市原善衛さん(73)が自費出版。(東京新聞より)

 https://www.tokyo-np.co.jp/article/288094

●「岐路に立つ「金沢の奥座敷」 伝統の湯守りつつ新たな取り組みも(湯涌温泉)」(朝日新聞デジタル)

 https://www.asahi.com/articles/ASRBX6SG4RBRPISC01B.html

●『女の世界』大正という時代(尾形明子著、藤原書店)が発売中!

 百年前、こんな面白い雑誌があった!

 https://www.fujiwara-shoten-store.jp/SHOP/9784865783926.html

●『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』(越懸澤麻衣著、小鳥遊出版社)が発売中!

 https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096

●最新の夢二書『異国の夢二』(ひろたまさき著、講談社選書メチエ)が発売中!

 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784065323465

●越懸澤麻衣著『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』が発売中!

 https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096

●夢二の雰囲気に包まれてオリジナル懐石を楽しめる!――神楽坂「夢二」

 https://www.kagurazaka-yumeji.com/