■このブログは次の「週報 夢二と台湾2023」(2021.8~2023.8)の後継版です。

①創刊号(2021.8.8)~第37号⇒  https://yumejitotaiwan.exblog.jp

②第38号~第102号(2023.8.27)⇒  https://jasmineproject.amebaownd.com/

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★MENU★

1 ご挨拶  2 夢二と美麗島  3 夢二の素顔  4 夢二のカワイイ 5 夢二に逢える場所(夢二展一覧) 

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【特報】2024年元旦 挿絵動画「ひいばあちゃんの夢二ハンカチ」が「夢二の小窓(動画版)」でYouTube公開!

夢二訪台90周年記念「夢二と台湾2023」で製作され、2023年10月14日に「ギャラリーゆめじ」での国内先行講演会、そして11月2日の台湾大学及び同月3日の北投文物館での講演会で上映された作品を一般公開します。
こちらからご覧ください。

・日本語版:https://youtu.be/tsLJ6u9Vlww

・台湾華語字幕付版:https://youtu.be/bzfRc8ZyWMI

■制作(プロジェクト関係者を含む)

・出演    鈴木愛子(合同会社 きよみず)

・原作・脚本 林 健志

・挿絵    茜之介

・演出    秋葉由美子(合同会社 きよみず)

・華語字幕  林立富・楊臻

・撮影    林 健志

・編集    林 健志・秋葉由美子

・音楽協力  及川音楽事務所

・制作協力  合同会社 きよみず

・監修    坂原冨美代(夢二研究会)・王文萱(京都大学博士)

・総合監修  田世民(台湾大学日本語学部副教授)

・協力    石川桂子(竹久夢二美術館)・野口孝一(都市史研究家)・高橋邦明(夢二研究会)・井村恵美/岩島美月(郵政博物館)・廖怡錚(作家)

・特別協力  竹久夢二美術館・夢二研究会・竹久夢二専門ギャラリー港屋・エレノア・シー

・参考文献  袖井林二郎『夢二 異国への旅』(ミネルヴァ書房)、ひろたまさき「台湾の夢二 最後の旅」、西恭子「昭和8年の竹久夢二の訪台―『台湾日日新報』の新資料による」、坂原冨美代「夢二を変えた女」・逸見久美「夢二と久允」 ほか竹久夢二関連資料

・技術協力  PC DEPO

・企画・制作 JASMINe Project International

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【ご挨拶】

 皆さん、あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。

 「夢二と台湾2023」プロジェクトはおかげさまで無事終了し、最後と思っていたプロジェクトは2年延長され、新たに「夢二と彦乃 愛の誓い2025」がスタートすることになりました。

 いろいろ紆余曲折がありましたが、無事整備され、2023年最後の日である今日を迎えることになりました。

 これまでのご支援、心より感謝申し上げます。

 来年もよろしくお願いいたします。

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【夢二と美麗島】第15回「尾崎秀真という人物」

尾崎秀真(ほづま・ほつま?)という人物は、夢二が訪台した当時は台湾日日新報の編集長でした。台湾での「竹久夢二作品展覧会」に関する批評を「鷗汀」の名で次のように書いています。

「久々で竹久夢二君の繪を観る。時代の潮に姿を没したかに思はれてはゐたが、此の畫家が持つ昔ながらの「人間情熱」は、まだ作品の上にまざまざと活きている。否或る點で一部洗鍛され老熟して来たかの観もあり、相當に面白く観られた。油絵は柄でないようだ。多くの日本畫的手法による半折の美人畫には、藝術作品として卓抜さがドレ程あるかは疑問としても、人間の持つ情熱を描き出さんとして愈々刻苦してゐる夢二張りの長所は十分に認められる。

 『「萬里脚』」などは小品ながら佳い。風景を畫いても此畫家は自分の情熱を畫面にさらけ出して楽しんでゐるといふ形ちだ。「榛名山風物」その他数作なぞはソレで相當に書けて来た書のうま味と共に南畫的情趣の世界を別に展開して来た。そして俳畫境にも一展開を見せてゐる。鋭い天分で藝術界を一貫する工作は無いとしても、情熱の動きをコレほど如實に傳へて呉る畫家も然う多くは無いといふところに、夢二君の存在価値は依然として認めてよいと思ふ。」

彼の経歴は非常にユニークで、しかも台湾に行ってからの活躍ぶりが非常に興味深いものがあります。

台湾研究家の森美根子氏の著作「漢詩や篆刻が育んだ尾崎秀真と台湾人の友情」(2019.02.09)には、次のように書かれています。

・台湾近代美術史に数々の業績を残した尾崎秀真

台湾で発行された近代美術史の本を見ると、尾崎秀真(ほつま)の名前がたびたび登場し、台湾に残した彼の業績の数々が発表されている。そもそも尾崎秀真と台湾との縁は、1901年4月、彼が、医師で政治家も務めた後藤新平の招きで台湾日日新報社の記者になったことに始まる。籾山衣洲(もみやま・いしょう)の後任として同紙の漢文版主筆となったのはそれから3年後のことだったが、総督府台湾史料編さん事業に携わった1922年以降、史跡名勝天然記念物調査会の調査委員や台湾博物館協会の理事を務めるなど、在台45年、ジャーナリストとしてだけではなく、歴史、考古学の分野でも多くの業績を残している。

これらは台湾の研究者の間では周知の事実となっているが、肝心の日本では秀真はゾルゲ事件(ソ連のスパイ事件、1941-42)に関与した尾崎秀実(ほつみ)の父として知られている程度で、研究者でも彼の台湾における業績、ましてや彼が詩書画にも精通し、篆刻(てんこく)の分野でもさまざまな活動をしていたという事実を知っている人は極めて少ない。

秀真は18歳のとき、親の期待に応えるべく故郷の美濃(現在の岐阜県)から上京、東京の病院に薬局生として住み込み、私立の医学校、済生学舎に通っている。その後、『医界時報』という医者向けの新聞の編集に携わるようになって、当時内務省衛生局長だった後藤と交わるが、この出会いが後に彼の人生を大きく左右することになる。

日清戦争で『医界時報』が休刊になると、小学生の頃から漢詩漢文に親しみ、もともと文学に強い憧れを抱いていた秀真の詩作への思いが再燃した。親の期待を知りつつも医学の道を中途で捨て、1896年に創刊された雑誌『新少年』の編集部に入り、作家・鹿島桜巷(おうこう)らと共に選者の一人となった。この頃の秀真は、依田学海(がっかい)に漢詩を、渡辺重石丸(いかりまろ)に国学を、高崎正風(まさかぜ)に和歌をそれぞれ学び、ひたすら文学の世界にふけったと伝えられている。

1897年3月、秀真は『新少年』の編集主幹となり「白水」と号したが、篆刻の世界に足を踏み入れたのも、どうやらこの頃のようだ。篆刻印は、書画の完成に際してサインとして用いるが、漢詩人であった彼がその魅力に引かれていったのは、むしろ当然の成り行きだったのかもしれない。

・篆刻にのめり込み、同好会を結成

経営難で『新少年』が廃刊になると、秀真は北隆館の『少国民』の編集者を経て、報知新聞の記者となった。彼が台湾に赴任するようになったのは、『医界時報』時代に知遇を得た後藤の強い要請による。後藤は台湾総督府民生長官として台湾に渡るに当たり、台湾日日新報創刊のため、福建省からの移民が多い台湾の実情を考慮し、漢文ができるものを採用したい、との強い意向を持っていた。

秀真は当初、単身で台湾に渡り、その後家族を呼び寄せ、台湾日日新報漢文部の先輩・籾山が仮住まいをしていた児玉源太郎の別邸「南菜園」に留守番係として移り住んだ。日曜日ごとに従卒一人を連れ、畑仕事に精を出す児玉の野菜作りの手伝いや詩会の世話など、何かと多忙な日々を送る秀真の下に、後藤が早朝から妻を伴い、その頃台湾に2、3台しかなかった自転車に乗り、稽古と称して「南菜園」を終点にし、たびたび立ち寄っていたという。

台湾日日新報社の漢文版主筆となった秀真は、1906年9月「南菜園」の近くに新居を構えると、自ら「古村」と号し、自宅を「讀古村荘」と命名、同紙の記者で、書画や印材に造詣が深かった村木虎之助(鬼空)らと篆刻を研究する同好会「水竹印社」を結成した。

この頃、秀真は「白水」「古村」のペンネームで台湾日日新報に連載『田園日記』を発表するが、そこには「水竹印社」同人との交流の様子、当時の著名な篆刻家、足達疇村(ちゅうそん)の弟子にして漢文版の先輩である小泉盗泉(号・愁魔王)と篆刻について熱く語り合った話など、日々篆刻にのめり込む当時の秀真の姿がありありと描かれている。

秀真は事あるごとに篆刻家たちを「讀古村荘」に招いているが、そんな彼の下に11年春、篆刻家の西樵仙(さいしょうせん)、南画家の新井洞巖(どうげん)、総督府高等女学校教諭の須賀蓬城(ほうじょう)の3人の日本人が訪れた。西は、長崎で政治家・教育者として名を馳せた西道仙の子で、書、篆刻、茶をよくした人だったが、秀真を含む4人はここで七言絶句の漢詩一首を詠み、その記念として「古邨小集」という篆刻印を遺している。

その後の秀真は、須賀蓬城らと自作の印章を披露する「観印会」を催したり、日本から篆刻家を招いて篆書の揮毫(きごう)を求めたりと、篆刻の研究熱は高まる一方だった。芸術愛好家の仲間を募り、さらなる発表の場を求め彼が動き出すのはさして時間を要しなかった。

・台湾だからこそ開花した芸術的資質

1929年秋、台湾日日新報社常任監査役にして、石章、古硯(こけん)、印譜のコレクターとして名高い石原幸作(号・西涯、三癖老人)と「趣味の会」を、さらには1935年夏には石原幸作、嶺謙也(号・竹軒、台北市新起町郵便局局長)らと「玉山印社」を、それぞれ組織している。

ちなみに「趣味の会」の発会式は北投の温泉旅館、桔梗屋で開かれたが、秀真をはじめ台北の書画家や篆刻家が三十数名集まり、温泉に浸かった後、大広間で素焼きの陶器に揮毫したり、土器に篆刻したりしたと伝えられている。

秀真は台湾日日新報に、篆刻家たちの作品を紹介する連載『古邨讀餘印存』や篆刻の心得や品評を述べた連載『讀古荘清談』を次々に発表しているが、あるとき、石についても記者の取材に次のように答えている。

石に対する道楽は支那でも非常に古くからあったもので(中略)、支那人は石の堅いこと及びそれと共に苔のついた石の柔らかさ、水に浸っている潤いなどを非常に愛したもので、これほど芸術味豊かなものはなく、実に東洋芸術の粋であります。東洋芸術でも草花より盆栽に進み、骨董のうち書画刀剣よりさらに進んで、最終的には石に到達し、石を愛するに至って、初めて東洋芸術の蘊蓄(うんちく)を究めることになります。(中略)私の主義たる自然石を拾ってきて集めるということからいえば、すなわちこれは乞食であり、乞食にならねば駄目である。お金をかけて趣味のコレクションをなしている間はまだまだ初歩であり芸術の中途にあるものです。(中略)石は死物ですけれども、こうして石を蒐集(しょうしゅう)し愛することを「石をかう」とか「石を養う」すなわち「養石」とかの言葉が用いられ、死物に対する無量の芸術味を鑑賞するのです。(台湾日日新報、1931年7月20日、3面)

秀真は、台湾美術展覧会の評議員や書道展の審査員を務めた時も、有識者による台湾の歴史文を語る座談会に出席した時も、一貫して詩書画一体(篆刻含む)によって成立する東洋芸術を重視するよう求め、台湾の文化を語るにはまず台湾の生い立ちを知らなければならないと説いている。

幼い頃より目覚めた文学への憧れはやがて篆刻の世界で実を結ぶことになるが、彼本来の芸術的資質は、当時まだ清朝時代の伝統文化が多く残った台湾であったが故に深められたといっても過言ではない。ともすれば明治の知識人・エリートは政府が推進した欧化主義により伝統文化と背馳(はいち)せざるを得なかったが、その一方で秀真のように東洋芸術の神髄を究めようとする日本人がいたことも忘れてはならないと思うのである。

*参考文献:葉碧苓著『日治時期推動臺灣篆刻的領軍人物:尾崎秀眞(1874-1949)』臺灣美術學刊No.112 2018

*「nippon.com」より https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00643/

*尾崎秀真の名の読み方:袖井林二郎氏は「ほづま」、森美根子氏、徳富蘆花記念館及びwikipediaは「ほつま」としている。
▼尾崎秀真(wikipedia)

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【素顔の素顔】夢二の素顔を関係者や研究者の文章から読み解いていきます。

■「父 夢二を語る」(竹久虹之助(夢二の長男)) 其の6(最終回)

*『書物展望』第四巻第十一号(1934年、書物展望社)(『竹久夢二』」(竹久夢二美術館監修、河出書房新社)より) 

 アメリカにいる時のノートの一節に、

「渡る世間に鬼はない」便所の中でこの言葉を思い出したのだが、こんなことを言った男は、これでさんざ苦労をなめてきた人間に違いない。

「旅をする人はみんな好い人ですわ」と言った、チロルの峠の娘の言葉とは違っている。

 それからまたこんなうたもある。

  カミイル花を煎じてのむ夕け

   あしたの春をまつ心かも

 アメリカでもドイツでもやはり、到る処の風物や言葉や父の好みの裏街や、教会のスケッチがある。また、宿屋や料理やの受取りメエヌー、マッチペーパーなどたんねんに集めてあった。

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 父はまた、日影町あたりの古着屋で黄八丈など探すことが好きだった。わたしなどもよくお供をさせられた。今私が少しばかりそんな趣味があるのはそんなとこからきているのである、ひと頃は私どもは無論手伝いの女の人にまで黄八丈を着せて眼を楽しませていたものだ。それらのものも今はもう日影町から姿を消して、今あるのはただ、インチキな品物を売る店や新しい所謂バーバリーのレインコートがぶらさがっている店ばかりが、ならんでしまった。古いもののある店は殆んど姿を消して、わずかに人形町の横丁あたりにそれらしき店が二三その感じを残しているくらいである。

 また父は、変に昔風なものが好きだったり、ウンと新しいものが好きであったりした。鹿鳴館のあった頃、総エナメルの靴で踊ったのも父であり、まだ、スパッツの珍らしい頃それをはいて街を歩いたのも父であった。なにしろ当時モダーンボーイであったらしい。最近でも実にハイカラのものを買ってきて、持っていた。

 終わりに私の歌を一つ 

高原の花のなかなる白露は

   しらしらきよくわびしげにちる。

               ---一九三四・九・三○ (完)

▼夢二がスイスで描いたスケッチ(「夢二外遊記」長田幹雄編より)

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【夢二のカワイイ】「世界の“かわいい文化”は日本生れ!」

*『竹久夢二 かわいい手帖 大正ロマンの乙女ワールド』(石川桂子編、河出書房新社)より

<第1章>「かわいい×デザイン」

3 楽譜表紙イラストレーション 時代のメロディーと“かわいい”の関係

夢二が活躍した大正時代には、流行歌が歌われるようになり、蓄音機も普及しはじめました。また「浅草オペラ」と呼ばれるこの時期特有の芸能が人気を博したのと同時に、大衆が音楽に親しむ手段として、楽譜が相次いで出版されました。

なかでも大正期を代表する楽譜シリーズの<セノオ楽譜>の表紙絵を、夢二は多数手がけました。楽譜には外国曲も収録され、それに応じるように夢二は表紙絵に異国の、とくに西欧の少女をたびたび登場させ、おしゃれなファッションでコーディネートし、魅力的に描きました。またデザインの中には、色調を考慮しながら連続するパターンを用いた表紙から連続するパターンを用いた表紙絵もあり、洗練された千代紙のような趣に満ちています。

さらに、<童謡楽譜>のデザインも夢二は残しています。大正中期には、“童謡運動”が発生し、その流れは音楽だけにとどまらず絵画にも波及し、モダンな画風の“童画”も流行しますが、夢二も子どもたちのために、明るい色違いとかわいらしいデザインで<童謡楽譜>を彩りました。

▼「竹久夢二 かわいい手帖」(石川桂子著)より

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【夢二に逢える場所(夢二展一覧)】

■竹久夢二美術館「夢二の旅路 画家の夢・旅人のまなざし」(2024年1月5日~3月31日)
 https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yumeji/exhibition/next.html

■金沢湯涌夢二館(石川県金沢市)

 展示替えおよび館内工事のため休館(2023年12月25日(月)~2024年1月19日(金) )
 https://kanazawa-museum.jp

■竹久夢二伊香保記念館(群馬県渋川市)

 企画展はHP参照

 https://yumeji.or.jp

■夢二郷土美術館(岡山県岡山市)

・本館

 『松田基コレクションⅩⅢ:夢二名品展/特別公開 美しき女性たち』(2023年12月5日~2024年3月10日)

・夢二生家記念館・少年山荘

 2023年冬の企画展「夢二生家 ふるさとの冬」(2023年12月12日(火)~2024年2月25日)

 https://yumeji-art-museum.com/

■高崎市美術館「生誕140年 竹久夢二展のすべて」(2023年11月11日~2024年1月14日)

 https://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2014011000353/

■佐野美術館「ときめき 美人―培広庵コレクション名品展」(2024年1月7日~2月18日)
 https://artexhibition.jp/exhibitions/20231209-AEJ1741387/

【展覧会以外】

●バスケ“八村塁”選手の歴史的秘宝&“竹久夢二”幻の油彩画を発見か!?さらに今田耕司 司会就任 丸10年特別企画も!/1月4日(火)夜6時25分「開運なんでも鑑定団 新春3時間半スペシャル」

●竹久夢二(1884~1934年)と千葉の関わりを紹介した冊子「竹久夢二と房総」を、八街市の日本文学風土学会員・市原善衛さん(73)が自費出版。(東京新聞より)
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/288094

●「岐路に立つ「金沢の奥座敷」 伝統の湯守りつつ新たな取り組みも(湯涌温泉)」(朝日新聞デジタル)

 https://www.asahi.com/articles/ASRBX6SG4RBRPISC01B.html

●『女の世界』大正という時代(尾形明子著、藤原書店)が発売中!

 百年前、こんな面白い雑誌があった!

 https://www.fujiwara-shoten-store.jp/SHOP/9784865783926.html

●『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』(越懸澤麻衣著、小鳥遊出版社)が発売中!

 https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096

●最新の夢二書『異国の夢二』(ひろたまさき著、講談社選書メチエ)が発売中!

  https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784065323465

●越懸澤麻衣著『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』が発売中!

 https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096

●夢二の雰囲気に包まれてオリジナル懐石を楽しめる!――神楽坂「夢二」

 https://www.kagurazaka-yumeji.com/