■このブログは次の「週報 夢二と台湾2023」(2021.8~2023.8)の後継版です。

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1 ご挨拶  2 夢二と美麗島  3 夢二の素顔  4 夢二のカワイイ 5 夢二に逢える場所(夢二展一覧) *諸般の事情により変更しています

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【ご挨拶】講演会「竹久夢二の東京暮らしと芸術活動―早稲田・日本橋・本郷・ 渋谷・世田谷での足跡をたどる」開催(渋谷区郷土博物館・文学館)

 竹久夢二美術館石川桂子学芸員のお話を聴きに行ってきました。夢二が東京都内で暮らした時期と、発表した作品についての説明でしたが、日本各地に旅する人生を歩んできた夢二にとっても東京は様々な経験をしている重要な場所です。

1901年、17歳で岡山から単身上京し、早稲田でたまきと出会い、1907年に電撃結婚、2年後に離婚、1909年に初出版した「夢二画集 春の巻」がセンセーショナルなデビュー。そして、「東京名物」にも数え上げられた「港屋絵草紙店」を1914年に開店し、「夢二式美人」の大流行を生み出したのも東京です。

そして、1915年、永遠の愛を誓った笠井彦乃との出会いや愛を育んだのも東京でした。二人の付き合いを拒む彦乃の父親から逃れるため一時京都に移りますが、彦乃の病でまた舞台は東京へ戻り、1920年、そこで夢二は生涯最大の衝撃的な悲しい経験となる彦乃の死を経験しました。

その後は人気モデルのお葉と同棲しましたが、1923年、関東大震災で広告代理店構想は破れ、お葉と別れるまでずっと東京に居住していました。その後、榛名山の魅力に取りつかれ移住を考えますが、結局、知人の勧めで1931年に米欧に渡航、1933年は疲弊して帰国して間もなく台湾へ向かいましたが、拠点は依然東京の少年山荘のままでした。長旅の疲れもあって悪性の結核にかかった夢二は長野県の富士高原見療養所に入院しましたが、1934年、そのまま他界してしました。夢二は50年に満たない人生の大半を東京で活動していたのです。

さて、石川氏の講演会ですが、夢二の活動の拠点のほとんどは東京ですから、その場所別に解説される講演はそれ自体とても貴重で、その場所一つ一つが夢二の人生も当時の社会も反映しているという点でも大変興味深いものでした。

特に私のような東京に生まれ育った人間にとっては、夢二を知ったころからずっと関心のあるところで、それが永井荷風の「日和下駄」にまで関心が及んだほどでしたから、今回はまた特に大きな刺激となりました。

大正3年に日本橋浜町で生まれ育った亡き母が「東京は2回焼け野原になった」とよく言っていましたが、確かに東京はこの100年の間に、関東大震災と東京大空襲で東京は2度壊滅しています。その光景は何度も塗り替えられ、そして人は生き延びていった、ということですから、興味は尽きません。

そんな東京を夢二の人生とともに解説されたのが石川さんの講演でしたが、早稲田、日本橋、本郷、渋谷、世田谷と区分けして、その頃の夢二の活動状況や現状との対比などがされていて(最近の渋谷の寓居後の取材もされていました)、とても魅力的でした。どれもが”その先”を知りたくなるような内容の講演で楽しく拝聴していました。

しかし、講演後石川さんは、「場所別に説明したことがあったので内容的にはこれまでの講演のまとめという感じがあったが、短くするのに苦労した」と言われていました。一つ一つの場所が講演一回分以上あるわけですから、確かに今回は総集編なので随分ご苦労されたのではないかと思いますが、実際の講演は要点がスッキリとまとまっていて、それぞれの場所に関心を引くには十分なスターターとなっている感じがしました。早速今日、いずれかの場所に行っている聴講者がいるかもしれませんね。

というわけで、いろんな意味で素晴らしい講演でした。

 

さらに驚いたのは、渋谷区郷土博物館・文学館の展示でした。私の大好きな夢二の言葉「いつもプロセスにいたい」がキャッチになっているので、どんな展示なのかとても興味津々で伺いました。

展示場は広いとは言えず、一室のみの展示でしたが、その雰囲気は夢二があふれ出てくるような多くの展示物。竹久夢二美術館からの支援もかなりあり、展示物の内容も多彩でした。スペースの関係か、資料の大きさへの配慮もきちんとなされていて、テーマごとに夢二がうまく表現されているように感じました。全体的に、担当された藤崎学芸員さんの熱気が感じられます。「夢二を知るならまずこれを見て!」と言いたくなるような仕上がりでした。

 夢二という幅の広い人物をこの空間に収めるのは大変なことですが、制作陣のご努力がにじみ出ているような感じがしました。それぞれのコーナーでの説明も何室も使っての展覧会並みの丁寧さで、内容も的確にまとめてあるのが非常にスッキリ感があり、理解しやすく、また、さらに先を知りたくなるという点も効果的と感じられました。来館者の皆さんが説明をしっかり読んでいる様子が印象に残りました。ここで関心が高まれば図録の出番ですね。図録の出来栄えも、とても丁寧に編集されており、素晴しいものでした。

 個人的には、最後のコーナーにあった詳細な年表で1933年の夢二の台湾訪問について、単に「台湾に行って展覧会をしたが病状が悪化して戻って来た」ではなく、訪台した時の船名や展覧会開催場所などもあり、ここに関心を持っていただいてとても嬉しかったです。

しっかりした図録も発行されていて早速買い求めましたが、その中にも訪台部分がこれまでの展示よりさらに詳細に説明されているのを読んで、ちょうど「夢二と台湾」の台湾講演を終えて帰国したばかりの私としては感無量でした。

これほどのプレゼントはありません。ありがとうございます。

 

台湾から帰国後、気温の急変(台湾は30度前後ありました)とやや目標喪失感が強くなったことから、しばらく悶々としていましたが、先日大好きな葛西臨海公園に行ったら、大勢のサギや小鳥に迎えられました。大きく深呼吸して夢を広げ、また新たな第一歩を踏み出す気持でブログを続けます。
今後ともよろしくお願いいたします。

▼東京ディズニーリゾートとセグロセキレイ(葛西臨海公園)

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【夢二と美麗島】第9回「空白の日々」

1933年(昭和8)10月26日に基隆港に着いた夢二は、同日台北市の鐡道ホテルに入り、藤島武二と出会い、その夜には「美人座」で女給のハンカチに歌を書いてやった、というところまでは藤島武二の筆により分かりました。同日にカフェー「美人座」に行ったというのは、藤島がこの日の夜行で台南方面に向かう予定であるという新聞記事が「台湾日日新聞(10月27日付)」に掲載されているからです。どう見ても、この二人が再会して談笑したとも思えないので、二人が夕食を共することはないでしょうから、それぞれ適当に夕食を終えた後、藤島が夢二を「美人座」に呼び出し、「未だに夢二式が好き」という女給を夢二に紹介したのではないかと思います。

ただし、藤島は台南方面を旅したあと29日に台北に戻り、訪台した梅原龍三郎とともに歓迎会に出席している(「台湾日日新報」(同))ので、「美人座」の件はこの後かもしれないという見方もあります。、藤島は歓迎会に誘ったが夢二は行く気はなかった(「夢二 異国への旅」(袖井林二郎著)で、11月4日(「語られなかった日本人画家たちの真実」(森美根子著))に行われた画壇の藤島・梅原歓迎宴に夢二が出席したとは思えませんが、長い滞在期間ですから、藤島が気まぐれに夢二を「美人座」に呼び出したということが絶対ないとは言えません。この辺は藤島武二の台湾滞在状況をさらに調べると何か分かるかもしれませんが、今のところは、藤島は夢二が台湾に到着した11月26日に会ったということにしておきます。

また、藤島が夢二展に行ったかどうか、ということですが、「書窓」の「夢二追憶特集」(1936年)に「其頃夢二式の絵に憧れているという婦人も殆ど見当たりませんでした。反響が少し薄いような傾きであった。さういった次第で展覧会も余りよい成績じゃなかったと思います」と書いていることから、行っていないのでないかと思われます。夢二展は11月3日~5日なので、11月4日が藤島の訪台歓迎宴ということはその前後が台湾展覧会としても重要時期だった可能性があります。

さて、ここで、現存する資料で夢二の台湾での行動を見て見ましょう。

10月23日(月)正午頃 神戸港出港(大和丸)

10月26日(月)午後1時頃 基隆港到着。台北へ。藤島武二との再会。その後藤島は夜行で台南へ。

10月27日~11月1日の間 行動不明。

11月2日(日) 東方文化協会発会式(「蓬莱閣」(大稲埕(だいとうてい))

11月3日(月)「竹久夢二滞欧作品展覧会」(「警察会館」)・講演会(「台湾医学専門学校」)

11月4・5日 「竹久夢二滞欧作品展覧会」(「警察会館」)

11月6日~10日の間 行動不明

このうちいずれかの日に、基隆港に向かう自動車の故障で本土に行く船 (扶桑丸)に乗遅れ。

11月11日(土)この日付で記事原稿「台湾の印象」を台湾日日新報に寄稿。

11月12日 行動不明。

11月13日(月)午後4時頃 基隆港出港(大和丸) 

11月14日(火)台湾日日新報に「台湾の印象」が掲載(記事は11月11日付で記載)

11月17日(金)午前6時頃 神戸港へ到着

これを見た限りでは、10月27日~11月1日(6日間)、11月6日~13日(8日間)の合計14日間は行動不明ということになります。少なくとも「私は何しに台北へ来たか。私は台北で何を見たか」と夢二が考え始めた扶桑丸に乗り遅れた時(日にち不明)から11月14日掲載の新聞記事の原稿の執筆を終えた11月11日までは、台湾の取材や原稿執筆をしていたと思われますが、それ以外は全く不明です。

当時の状況を見ると、当時台湾では鉄道を中心とする交通網が発達しており、夢二が訪台した2年後の1935年には台北市で台湾博覧会も予定されており、観光ブームの前兆が見られたと思われることから、夢二があちこち見て歩いた可能性は高いと考えられます。果たして米欧の旅で疲弊し病魔と闘いながらどこまで夢二が動いたか、想像する楽しみを残してくれたようです。(つづく)
▼当時の鉄道網(鉄道パーク)
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【素顔の素顔】夢二の素顔を関係者や研究者の文章から読み解いていきます。

■「父 夢二を語る」(竹久虹之助(夢二の長男)) 其の1

*『書物展望』第四巻第十一号(1934年、書物展望社)(『竹久夢二』」(竹久夢二美術館監修、河出書房新社)より) 

 書いても書いても書きつくせないだろう、父夢二を、齋藤さんに頂いた紙数へ割り込ませるので少し無理がくるかも知れませんが、よろしくご判断をお願いして稿を進めます。

 幼い時から非常に絵の好きな父は、常に姉や妹を驚かせていた。しかし祖父は(私のおじいさん)これはまた絵描きが大嫌いであった。うまくゆく訳がない。描いている父の手から筆、絵ノ具を取って捨ててしまう、取られても捨てられても、父はまた母へこっそりねだって描き初めていた。それを発見する祖父はまた取り上げる。がそれでも絵を描く事をやめなかった父は、ついに抜け道を発見した。それは姉の教室へゆくことであった。姉より先へ入り込みいきなり黒板へ向かって日頃のウップンを晴らすのだった。その頃不思議な絵を描いた。(これは今も郷里岡山の小学校にあるそうだ)今言うところのシュールリアリズムの絵とでも言うのであろうか、八本の足を持った馬の絵である。四本足の馬でも走っていれば、八本にでも十本にでも見えるじゃないか、これがその時の言い草であった。

 また、着物の布(キレ)を集める事がすきだった、娘のように小さな布まで、キレイに取って置く事の好きな父は、母や姉達の着物の切れはしや、お人形の着物を丹念に集めていた。これが今ある昔の着物の収集されてある切抜帖の始まりであろう。浴衣にしろ、黄八丈にしろ其れ相当の見識と意見を持つ父としては、成程とうなずかれる。(つづく)

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【夢二のカワイイ】「世界の“かわいい文化”は日本生れ!」

*『竹久夢二 かわいい手帖 大正ロマンの乙女ワールド』(石川桂子編、河出書房新社)より

<第1章>「かわいい×デザイン」

1 “かわいい”はここから始まった!

(7) かわいいモチーフ(その2) ― 薔薇

雑誌『少女画報』大正12年(1923)6月号は「私の好きな花」という企画を実施し、読者投票で薔薇が2位になりました(1位は鈴蘭)。

夢二も薔薇は筆を多くとった花でした。薔薇は花びらが数多く重なって咲くことが特徴で、華やかなイメージがありますが、夢二は花びらと全体のシルエットをシンプルに表現することもありました。丸みを帯びた花のシルエットに、桃や紅の色を施して、夢二はあたたかみあふれる薔薇を描きました。

▼「竹久夢二 かわいい手帖」(石川桂子著)

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【夢二に逢える場所(夢二展一覧)】

■竹久夢二美術館(東京都文京区)

 「明治・大正・昭和 レコードの時代と夢二の時代展 ~大衆を魅了した日本近代の音とデザイン~」(竹久夢二美術館、2023年9月30日(土)~12月24日(日)) <写真撮影可!>
 https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yumeji/outline.html

○「大正の夢 秘密の銘仙ものがたり」展、東京・弥生美術館で - “銘仙”着物をコーディネートで紹介(弥生美術館、2023年9月30日(土)~12月24日(日))(FASHIONPRESSより)

 https://www.fashion-press.net/news/107661

■金沢湯涌夢二館(石川県金沢市)★今日まで!

 「夢二の児童書」(2023年9月16日(土)~12月24日(日))

 金沢湯涌夢二館

 https://kanazawa-museum.jp

■竹久夢二伊香保記念館(群馬県渋川市)

 企画展はHP参照

 https://yumeji.or.jp

■夢二郷土美術館(岡山県岡山市)

 「竹久夢二と榛名―理想郷を求めた夢二―」(2023年9月12日~12月3日)

 夢二郷土美術館

 https://yumeji-art-museum.com

・「【夢二郷土美術館】2023年秋の企画展「竹久夢二と榛名―理想郷を求めた夢二―」 榛名・伊香保で描かれた作品を岡山で初公開」

 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000216.000052428.html

■高崎市美術館「生誕140年 竹久夢二展のすべて」(2023年11月11日~2024年1月14日)

 https://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2014011000353/
■渋谷区郷土博物館・文学館「竹久夢二」―いつもプロセスにいたい―」(2023年10月17日~12月26日)

 https://shibuya-muse.jp/

■竹久夢二美術館「夢二の旅路 画家の夢・旅人のまなざし」(2024年1月5日~3月31日)
 https://www.yayoi-yumeji-museum.jp/yumeji/exhibition/next.html

■アルカディア文化館(山梨・南部町)(2023年11月1日~30日)
 竹久夢二展 11/1~11/30|イベント情報|山梨県南部町ホームページ (town.nanbu.yamanashi.jp)
【展覧会以外】

★「竹久夢二とその時代」コンサート(上尾市コミュニティーセンター)11月23日(木・祝)14:00開演

★「夢二を歌うコンサート」(ドミール雑司ヶ谷、豊島区)11月26日(木)14:00開演

●竹久夢二(1884~1934年)と千葉の関わりを紹介した冊子「竹久夢二と房総」を、八街市の日本文学風土学会員・市原善衛さん(73)が自費出版。(東京新聞より)
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/288094

●「岐路に立つ「金沢の奥座敷」 伝統の湯守りつつ新たな取り組みも(湯涌温泉)」(朝日新聞デジタル)      

 https://www.asahi.com/articles/ASRBX6SG4RBRPISC01B.html

●『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』(越懸澤麻衣著、小鳥遊出版社)が発売中!

  https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096

●最新の夢二書『異国の夢二』(ひろたまさき著、講談社選書メチエ)が発売中!

 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784065323465

●越懸澤麻衣著『大正時代の音楽文化とセノオ楽譜』が発売中!

 https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784867800096

●夢二の雰囲気に包まれてオリジナル懐石を楽しめる!――神楽坂「夢二」

 https://www.kagurazaka-yumeji.com/