ゆうべ見た映画

ゆうべ見た映画

懐かしい映画のブログです。
ときどき、「懐かしの銀幕スター」「読書」など
そして「ちょっと休憩」など 入れてます。

 

 

『羅生門』『生きる』『七人の侍』『生きものの記録』

『蜘蛛の巣城』『隠し砦の三悪人』『悪い奴ほどよく眠る』

『どですかでん』の 黒澤作品のほか

 

『真昼の暗黒』『張り込み』『ゼロの焦点』

『仇討ち』『上意討ち・拝領妻始末』『切腹』

『日本のいちばん長い日』『風林火山』『砂の器』などなど

 

戦後最大の脚本家・橋本忍さんの 

脚本家への第一歩から

黒澤明監督との仕事・交流を

橋本さんご自身が 書かれたご本です。 

 

ざっくりと ご紹介しますね。

 

          鉛筆

 

昭和14年・夏 粟粒性結核により

兵役を永久免除された 橋本忍は

傷痍軍人岡山療養所に入所した。

 

部屋は 東と西に3列づつの6人部屋で

6番目に入室した橋本は

真ん中のベッドしか 空いていなかった。

 

病室の 窓の外から聞こえる

潮騒のような蝉時雨に

「ここで、この松籟を聞きながら死ぬのかな」

と思っていた。

 

「松籟 しょうらい」とは

松に吹く風の音・・ はい、調べました。

 

昭和16年 

傷痍軍人岡山療養所の頃の橋本さん

 

前からいる5人は 全員が読み物を用意しており

雑誌や単行本で 時を過ごしているが

橋本は 本の類は持って来なかったので

じっと仰向きのままで 天井を見ていた。

 

と、隣りのベッドの小柄な兵隊が

「よろしかったら これでもお読みになりませんか」

と 雑誌を差し出した。

 

思いがけない好意に 

「どうも・・」と 頭を下げ 受け取ると

雑誌の表紙には 「日本映画」とある。

 

しかし

中を開いて見たが 興味のある記事が無いので

パラパラと頁をめくって行くと

巻末にシナリオが 掲載されていた。

 

「これが、映画のシナリオというものですか?」

「そうです」

「簡単なものですね、この程度なら自分にも書ける気がする」

「いやいや、そんな簡単には書けませんよ」

「これを書く人で 日本で一番偉い人は なんという人ですか?」

 

すると 隣のベッドの小柄な男・・・成田伊介は

ちょっと戸惑い、答えた。

 

「伊丹万作という人です」

「じゃあ僕は シナリオを書いて 

 その伊丹万作という人に見て貰います」

 

しかし、成田伊介の言った通り

シナリオは

そうは簡単に 書けるものではなかった。

 

橋本が 

身近な療養所の 生活を主題にした

『山の兵隊』を書き終え 

伊丹万作のところへ送ったのは 

 

この間に 太平洋戦争が始まり

橋本が 岡山の療養所を無断で退所し 

郷里・兵庫へ帰ってからで

 

この一本を書き上げるのに 

3年以上も かかったことになる。

 

橋本は 

伊丹からの 返事は期待していなかった。

 

その間に 雑誌などの知識で

監督兼脚本家・伊丹万作の 

人となりを 知ったからである。

 

それは 近寄りがたい巨星で 

その一言ですら

映画界への影響が 大きい存在だった。

 

当時、まだ東宝の一助監督に過ぎない黒澤明を

彼の書いた

『達磨寺のドイツ人』のシナリオ一本だけで

将来は日本映画を背負う 大立者になる、と

透徹した分析力で 予言していた。

 

自分の書いたものなど 目もくれないだろうと

橋本は思った。

 

だが 伊丹から来た 

橋本への返事は 予期に反していた。

 

はじめは 狼狽と興奮で 

何が書かれているのか 分からなかったが

二度、三度と読み返すうちに 胸が熱くなった。

 

それは 思いがけなく丁重であり

律儀と几帳面さの窺える文面で

作品の欠点を 的確に指摘し

修正箇所や改訂の方向までが 具体的に示されている。

 

三度、四度読み返したとき 

橋本は 湧き上がって来る歓喜を 

抑えきれなくなった。

 

「伊介だ! 伊介にすぐ、こ、このことを!」

 

橋本は 岡山療養所に電話したが

伊介は もうずいぶん前に

出身地である 島根の松江療養所に移っており

 

橋本が 松江に電話を入れると

電話口に出たのは 病棟付きの主任看護婦で 

「成田伊介さんは 

 こちらに移送後に 病状が悪化し死去されました」

と言った。

 

 

それから 32年後

橋本忍は 松江市内の寺院の墓地にて

伊介のお父さんの案内で 

成田伊介の墓標に 手を合わせた。

 

映画『砂の器』の 出雲ロケの際である。

ドラマの舞台が 山陰の出雲地方、

伊介の生まれ育った土地である。

 

初秋の黄昏どき

 

この世に シナリオなるものがあること

卓越したその作者であり 指導者でもあった

伊丹万作の存在を 教えてくれたお礼を

 

傷痍軍人療養所の戦友であった 成田伊介に述べ

頭を垂れ 合掌した。

 

 

 

この回 おしまい