気がつけば
2月も残り4日!
 
この頃は
毎回お久しぶりの更新で
月日の流れを
より早く感じます。
 
 
***
 
 
このブログのレギュラーでもある
高3の長女。
 
私が自分を生きることに目覚める
きっかっけとなってくれた長女。
 
その長女も
今は就職休み
もうすぐ高校生活に終わりを迎える。
 
 
2週間ほど前
最後のお弁当だった。
 
お弁当に関して
色々エピソードはあって
 
思い返すと
胸がチクッとしたり
じ~んとしたり…
 
今日はそんな話。
 
 
 
 
幼稚園の頃のお弁当
 
キャラ弁はもちろん
毎回栄養や彩りを考えて
それはそれは
頑張って作っていたし
 
 
小学生の頃は
遠足ぐらいしか
作る機会がなかったので
 
年に1、2回のお弁当は
娘を喜ばせたい思いで
俄然 気合が入った!
 
もちろん栄養と彩り
“海苔でいたずら”という
遊び心もプラスして。
(海苔でメッセージや顏を描いたり
 
 
中学生の頃は
部活の大会などで
お弁当の機会も増えたけど
 
いつも通り
張り切って作っても
 
反抗期に突入し
好きなものしか食べなくなっていた長女との
お弁当をめぐるバトルも
日常化していた。
 
 
高校生になり
お弁当生活になった当初も
そのバトルはまだ続き
 
更には
何度お願いしても
お弁当箱を出さないことへの
腹立たしさも加わって
 
いつしかお弁当は
私と長女が揉める火種となることが
多くなっていった。
 
 
なんでこんなに
お弁当にこだわっていたのか…
 
 
それは
 
私がしてもらえなかったことだから
私がしてほしかったことだから
 
たぶんそう。
 
 
私は中学の頃から
お弁当が必要な時は
自分で作っていたし
 
高校の時
母にお弁当を作ってもらったことは
一度もない。
 
その頃ちょうど
うちが自営になったため
 
忙しくなった母に
お弁当を作ってもらうなんてこと
考えもしなかった。
 
 
寧ろ
お母さんを助けなきゃ!
もうそれが根付いていたから
 
母に何かしてもらうことより
自分にできること
母の助けになることを
自ら進んでやることが(←ここ大事
当たり前だった。
 
やらなきゃ怒られたしね。
 
お母さんの役に立てることが
それで褒められることが
嬉しくもあったし。
 
 
でも本当はきっと
私も色々してもらいたかったのかな…
 
お母さんに構ってもらったり
甘えたりしたかったのかな…
 
あまり自覚はないけれど。
 
 
でもね
“お母さんの手作りのお弁当”
というものに
憧れを持っていたし
 
私に子供ができたら
絶対お弁当作ってあげよう!
 
当時から
そんなことを考えていた。
 
母の手作りのお弁当=子供への愛情
 
なんとなくだけど
そう思っていたんだろうな。
 
幼稚園の時お弁当忘れらた苦い思い出が…
小学生の頃の遠足のお弁当は作ってくれたよ
覚えてないけどw
 
 
 
母のお母さんをしてきた私
子供らしく生きてこなかった私は
 
自分がしてもらいたかったこと
してあげたいと思ったことは
なんでもしよう
 
その一心で
子育てするようになった。
 
私が理想としていた母親に
なりたかったから。
 
 
だから
 
愛情いっぱいのお弁当を作ることで
子供のことを優先することで
子供のために何かしてあげることで
 
娘たちに
 
お母さんに愛されているんだ
 
ってことを
感じてほしかったんだよね。
 
自分がそれを感じてこなかったから。
 
今となっては
「あ~あれが母の愛情表現だったんだな」って
わかるけど(お金とか適度な無関心とかw
 
 
 
たかがお弁当
 
だけど
色んな気づきをくれ
自分を知ることができた。
 
私にとってお弁当は
“ちょっと特別なもの”
なのかもしれないな。
 
 
以前のスマホ
2台とも壊れちゃったから
たくさん撮ったお弁当の写真
ほとんどないんだ…
 
 
心のことを学び
自分と向き合う中で
 
絡まった糸が
解れてくのを
 
固く閉ざしていた心が
開いていくのを感じながら
 
反抗期の娘たちと
共に過ごしてきたこの数年。
 
 
いつだったかもう忘れたが
 
私がしていることは
愛情の押しつけだった…
 
私がやりたくてやっていること
だったはずなのに…
 
それに気づいてからのお弁当は
 
娘の喜ぶもの
好きなものだけを
作るようになった。
 
たかがお昼のお弁当ぐらいで
栄養偏らないようにって
目くじら立てることなんてないのにね(笑)
 
今までのガチガチな自分が
滑稽に思えた。
 
 
好き嫌いが多く
食わず嫌いな長女のお弁当は
 
おかずのバリエーションが少なく
あまり変わり映えしない
パターン化されたお弁当になったが
 
毎日完食するようになり
不思議と
お弁当箱も
すぐに出してくれるようになった。
 
 
栄養の偏りが…
最初はちょっとだけ
そう懸念したりもしたが
すくすく成長しているし(身長166㎝←わりとデカイ
 
好きなものだけにしたとしても
何の問題もなかった(笑)
 
 
残したときは
 
冷めて脂が口触りよくなかったから(神経質w
家庭科で食べたから食べきれなかった
 
自分の要望を伝えたり
私への気遣いなのか
残した理由を言い
 
ごめ~ん、残しちゃった(笑)
 
そんな言葉を
かけてくれるようになった。
 
 
残すことが普通で
何度言っても
お弁当箱を出し忘れていた長女。
 
そのたびに文句を言い
 
私の頑張りは認めてもらえない
私は愛情を受け取ってもらえない
私は話を聞いてもらえない
 
やっぱり私は大切にされない
 
という 私の拗ねを
ぶつけられた長女の抵抗で
バトルになる図は
 
私がそれを手放すことで
しだいになくなっていった。
 
 
今だから思うのだけど
残していた頃のお弁当にはきっと
 
あなたのために…
やってあげてる…
こんなに想っているんだよ…
感謝しなさいよ…
 
そんなヘビーなエネルギーが
散りばめられていたんだと思う(^-^;
 
そりゃあ残したくもなるよね(笑)
 
 
 
高校最後のお弁当は
長女の好きなものにしようと
 
最後のお弁当なにがいい? と聞いたら
鶏そぼろ! と答えてくれた。
 
 
え?
それめっちゃ簡単なやつ( ̄▽ ̄)
 
 
いいの?
最後だから
もっとこう手の込んだ
華やかなお弁当じゃなくても(笑)
 
そう聞いたけど
 
鶏そぼろが大好きだから
それがいい(*'▽')
 
長女は満面の笑みで
答えてくれた。
 
 
最後のお弁当は
頑張って作ろう!
そう思っていたけど
 
長女のリクエストに応えると
いつも通りのお弁当になった。
 
 
それでいいんだね。
 
 
最後だからって
気合い入れなくても
 
最後だからって
手の込んだお弁当にしなくても。
 
好きなものを喜んでくれれば
それでいい。
 
 
 
 
高1の次女がいるので
お弁当作りはまだまだ続く。
 
でも
 
もうこれから先
長女にお弁当作ってあげることは
ないんだな…
 
そう思うと
娘の成長を喜ぶ気持ちもあるが
やっぱりなんか寂しいな…(;_;)
 
 
長女のお弁当箱
これからは私が使うことになるかな…
 
 
 
***
 
 
 
長女へ
 
お弁当のことで
いっぱい怒ってごめんね。
 
キャラ弁喜んでくれて
 
“海苔でいたずら”を楽しんでくれて
 
嫌いなものは
これは無理って言ってくれて
 
美味しかったものは
また作ってって言ってくれて
 
お弁当
食べてくれてありがとう。
 
 
 
 
 
心理カウンセラー
みっちー