こんにちは。助産師Eriです。今年は飛躍のうさぎ年。『ゆたかさ』を意識して突き進んでいきたいと思います。(私の干支はいのしし♡)

今日は私の起業を含めたプロフィールを書いていきます。


柴田 恵里 プロフィール

三重県鈴鹿市出身、現在は静岡市。助産師、看護師、保健師、30代、趣味は工作。小6、小3、年中さん三姉妹の母親です。三女は発達障害があります。

2020年3月19日に助産院 jasmine ~茉莉花~開業しました。

現在は、

助産院では新生児訪問、静岡市産後ケア事業、母乳相談、育児相談や不妊相談を行っております。

「Mammaベビーマッサージ」の資格を取得し、発達を促すベビーマッサージを集団と個別と行っております。

「アロマセラピスト」、「リンパケアセラピスト」の資格を取得し、女性の方への全身トリートメントを行っております。

心療内科に勤務していた経験からお悩み相談なども。

自分が女性であること。母親であること。女性のために、母親である方達のために少しでも何かできればという思いで開業しました。


~看護師になろうと思ったきっかけ~

中学一年生の時、夜雑誌の切り抜きをカッターでおこなっていたところ自分の親指も一緒に切ってしまいました。病院が開いてない時間でしたが元外科ナースの母親に処置してもらいました。

『自分も母のように子供がケガをしたときに手当ができるようになりたい』と思ったのがきっかけです。


~助産師になろうと思ったきっかけ~

高校3年生の時、周囲に妊娠中絶を選択する子が何人かいました。『なぜ女性ばかり傷つかないといけないんだろう。望まない妊娠を減らしたい』と産婦人科で働く決意をしました。この時、『産婦人科で働くためには助産師にならないといけない』と思いこみ、助産学科が専攻できる看護大学を目指しました。

後から知りましたが、看護師でも産婦人科で働けます。


~昔から『ご縁』を大切にするタイプ~

実は高校は父親の母校でして、小さい頃は父親が好きで親に褒められたい気持ちがありました。

最初の就職先も大学の助産実習でお世話になった地元のクリニックに就職。

新卒でクリニックに就職する人はあまりいないのですが、院長先生や師長さんにおいでと言われ、『ご縁』を大切にしたいと思いました。

2008年3月から静岡へ

紆余曲折ありまして、学生のころからお付き合いしていた方と結婚するため、静岡に引っ越し。これも『ご縁』でしょう。

初めての場所、初めて実家から出て生活するのでまずは花嫁修業。

知らないって不安ですよね。(お産も子育てもそうだなぁとよく思います。)

毎日がストレスでしたし、よくホームシックになって実家に逃避行していました。

未だに料理が苦手です。

仕事は職業訓練校で医療事務の資格をとった後

大学時代の教授から依頼され、半年ほど県立大学の看護学科の非常勤講師として働きます。頼まれたら断れないタイプです。

その仕事の中で総合病院での助産実習の引率がありました。学生を指導しているより、自分が直接関わりたいという気持ちになってそのまま就職。初めての総合病院で分業の世界を知りました。

クリニックでは掃除やベットメイキング等の環境整備から、使用する器材の滅菌等ありとあらゆることをやっていたので、かなりのギャップを感じました。

総合病院では、一人お姉さんが付いてくれて一人前になるまで色々教えてくれるのですが、この時私のお姉さん助産師さんとの『ご縁』で開業にまで至ります。13年も長くお付き合いいただいて本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


~私が助産院開業に至るまで~

振り返ると、出産、育児の連続。子どもを優先して労働形態を変える日々でした。核家族、旦那さんは不在がちのため、ワンオペ状態です。どうやって切り盛りしていたのか記憶がないくらい慌ただしい日々でした。そんな中でもブレなかったのは、『子どもの笑顔を守ること』子どもの行事や病気の時に休める職場であることを絶対の条件としてきました。

家庭を優先してきたので、助産師としてとりあげた赤ちゃんの数は多くないです。お産があると、産婦さんへの声掛けや身の回りのお世話など1,000人以上のお産に立ち会っています。育児を優先する中でも、女性のために何かしたいという気持ちは変わらず、不妊治療専門のクリニックでも働きました。でも女性ばかり治療を受ける世界にいて、もっと心と身体にいい方法があるのではないか。という思いがずっとありました。

病院やクリニックで仕事をしていると、その病院のルールや治療法に従わないといけません。自分がいいと思うことが出来ない現実。この方にはもっとこうした方がいいのではないか。この治療はあってないのではないかと思いながらも指示に従わないといけない。組織の中で働くことにだんだん心が苦しくなってきました。

自分が出産や子育てを通して感じて、学んできたことをもっと活かせるように開業を決意しました。

自分が女性であること。母親であること。女性のために、母親である方達のために少しでも何かできれば。そんな思いに至る私の経歴でした。


『人生の主役は自分』

勢いよく開業しましたが、2020年3月はちょうどコロナウィルスが入ってきた時期でした。いきなり緊急事態宣言でしたし、自粛自粛の世の中だったので、もうバイトバイトの日々でした。一年目は本当にうまく活動できなかったです。

さらに2020年10月に三女の保育園から呼び出し。次年度の年少さんからは園で保育することが難しいと言われ、途方にくれました。

ここでも『ご縁』があり、私のお姉さん助産師さんのご紹介で野外保育ゆたかに出会います。

三女には最高の場所でしたが、保育時間の短縮、長期休みと私が働ける時間はどんどん短くなっていきます。

ここでも『子どもの笑顔を守ること』がブレないように働きたい自分は抑え込みました。

周りで開業して活動的に働く方をみると羨ましいと思いましたし、思うように集客できない自分を憂いたりしました。

でも三女の発達障害と向き合うことを決め、色々勉強していく中で様々なことと出会い、自分の考え方や感覚も変わっていきました。

子育てにおいて怒ることが多かったのですが、「ほめ育てアドバイザー」の資格をとり、三女への接し方を見直しました。

親としてできることをしたくて「発達を促すベビーマッサージ」の資格をとり、毎日三女へベビーマッサージをしました。

ベビーマッサージがより効果的になるように感情開放を促すアロマオイルも取り入れ、10年ぶりにアロマの勉強も再開。せっかくなので「アロマセラピスト」「リンパケアセラピスト」の資格も取り、ママ達への全身トリートメントも出来るようになりました。

こうして三女の発達障害へ向き合うことをきっかけに自分にできるケアが増え、たくさんの赤ちゃんやママ達のケアが出来るようになってきました。

いつも子どもがきっかけです。

私はライフステージが変わるごとに様々な葛藤や自己犠牲をしてきました。『子どもの笑顔を守る』ことを軸に、自己決定をし続け、自分なりに自分は輝いていると思っています。だって子どもたちは三人とも『ママ大好き♡』と伝えてくれるから。

どんなライフステージでも自分が主役でいられる人生でありたいと思っています。