社会人になってからは、動物救済団体でボランティア活動をして来た。
動物の救済や保護、一時預かりや里親探しをしたり、広い敷地にある団体まで物資を持って行き、運搬や掃除や散歩や世話も手伝ったりしていた。
そこに1匹の犬が入って来た。
飼育放棄した飼い主から引き取られた、メスのアイリッシュ・ウルフハウンドだ。
アイリッシュ・ウルフハウンドは超大型犬である。
日本では、トイプードルやミニチュアダックスやチワワなどの小型犬が主流なので、私も実物を見るのは初めてだった。
団体に保護された時に、その犬は妊娠中だった。
そして後に6匹の子犬を出産した。
生まれてから分かったが、どうやら純血ではなく他の犬の血が入っているよう。
明らかに形状の異なる子犬がいる。
ミックスだと分からないような子も数匹いたのだが、その中に心臓に難ありの子犬がいた。
確実に医療費が掛かるだろうし、長生き出来ないかもしれない。
4歳で他界した私の息子も拡張型心筋症を患っていたので、私はその子が気掛かりで仕方なかった。
そんな理由から里親を探すにもリスクがあるため、縁があって私が引き取ることになったのだ。
彼の名前はシリウス。
私は常に、シリウスの健康状態をチェックしながら、定期的に病院へ連れて行った。
私の心配をよそに、シリウスはグングン成長してくれて、立ち上がると人間の男の人よりも大きかった。
顔が似ている訳ではなかったけれど、かつて共に過ごした狼犬シルバーの面影を重ねていた私。
体の大きさから比較しても、シリウスは繊細で優しい性格をしていた。
ただ散歩をしていて、道の角から出て来た人と出くわすと、「ひゃっ!」と声を出されることもしばしば。
突然大きいのが目の前に現れたら、やっぱり驚くものなのだろう。
だけど公園などでは、シリウスは人気者だった。
おとなしいと分かると、子ども達も興味津々で近付いて来る。
普段こんなに大きな犬を見ることもないのだろう。
背中に乗りたがる子もいたが、それは流石にシリウスのストレスになりかねないのでお断りした。
シリウスも小さな子が好きだった。
子ども達に囲まれても、嫌がるどころかとても喜んでいたのだ。
その子ども好きで優しい性格が、シリウスの運命を大きく左右することになるとは、その時の私には想像も付かなかった。
ある日、職場の先輩が近くまで来たからと、子ども連れで我が家を訪ねて来た。
先輩の3歳の娘ちゃんとは面識があり、私にとても懐いていたので、その子が私と遊びたいと駄々をこねたと言う。
我が家に来たのも初めてではなく、シリウスとも何度も会っている。
娘のミクちゃんはシリウスが好きだったし、シリウスもまたミクちゃんが好きだった。
いつも私と先輩がお喋りしている間、シリウスがミクちゃんの相手をしてくれていたのだ。
その日は突然の訪問だったので、お待てなしする準備もしていない。
一緒に食事をするにも材料が乏しかった。
先輩は「ピザでも取ろうよ」と言ったけれど、ミクちゃんにお菓子や食玩なんかも買ってあげたかったので、私は1人で買い物に出掛けることにした。
この時に出掛けなければ、ごくごく普通の楽しい1日で終わるはずだった。
私が出掛けさえしなければ·····
往復の時間も入れて40分くらいだったと思う。
買い物を済ませて自宅マンションに戻ると、何やら人混みが遠目で見える。
それを目撃したと同時に、私の横をパトカーが通り過ぎた。
(何·····?事件でもあったんか?)
更に近付くと、人混みの中に先輩とミクちゃんの姿が見えた。
先輩はミクちゃんを抱きしめながら
泣きじゃくっている。
次の瞬間、私の目に飛び込んで来たのは
道路に横たわった
シリウスだった。
頭の中が真っ白で、思考が追い付かない。
先輩が私に気付いた。
「茉莉花ーっ!」
泣きながら大声で私の名を呼ぶ。
「シリウスが·····シリウスが·····」
「ベランダから
落ちてん!!」
は?何を言ってんの?
悪い冗談はやめて。
みんな仕掛け人やろ!
みんなして私を騙してるんやろ!
後で「ドッキリ大成功~♪」
とか言って
泣き真似やめて笑うんやろ?
シリウスも死んだ振りやめて·····
なあ·····お願いやから·····
やめて!
警察は近所の誰かが呼んだみたいで、人が落ちた訳ではないので事件とも事故とも取り扱わなかった。
とにかく私は、急いでシリウスを病院へ運ぶことを優先した。
シリウスはグッタリとして、鼻や口や頭部から血を流していた。
病院で診てもらったが、そこでシリウスの死亡確認をされた。
マンションの7階から落ちたことで、全身打撲による外傷性ショックと、頭蓋内外損傷のため死に至ったのだ。
涙と共に、自分の魂まで流れ出ているような気がした。
気のせいではなく本当に魂が抜け出て、シリウスと一緒に逝けるのならとさえ考えた。
どうして私の元に来る子達は、人間にしろ動物にしろ短命が多いのだろう。
そしてエルデやシリウスのように、どうして悲惨な事故死をする子がいるのだろう。
私は呪われているのかな·····
それとも私が呪いの元凶なのかな·····
先輩を責めるよりも
私はただただ自分自身を責めた。
「ごめん·····ごめんなさい·····
ごめんなさい··········」
泣きながら謝り続ける先輩。
それは私に対してでもあり、シリウスに対してでもある。
私まで一緒に泣いているだけではいけない。
真相を究明しなければ·····
私は先輩を宥め、詳しく話を聞くことにした。
私が買い物に出掛けた後、シリウスはミクちゃんと遊んでいた。
先輩は置いてあった雑誌に目を通していたと言う。
「あ───っ!」
突然ミクちゃんが叫んだ。
その声にビクッとした先輩が顔を向けると、もうその時にはシリウスがベランダの柵に身を乗り出していて、下半身しか見えない状態だったと言う。
そしてそのまま落下したのだ。
慌てて先輩がベランダから下を確認すると、地面に転落したシリウスが見えた。
「なんで!?ミク!何があったん!
なんでシリウス落ちたんや!?」
先輩はパニックになってミクちゃんの体を揺らした。
ミクちゃんは泣きながらベランダを指差し
「ミクのぬいぐるみが外に落ちて
シリウスが取ろうとしてた·····」
マンションは8階建てで、屋上から8階、8階から7階までは階段上の形になっていて、ベランダの外に少しだけ出っ張りがあった。
7階から下は出っ張りもない。
ミクちゃんは、小さなぬいぐるみを投げてシリウスに持って来させて遊んでいたのだが、それがベランダの柵の外に飛び出してしまった。
出っ張りがないマンションだったら、そのまま1階まで落ちただけで済んだのだろうが、見える場所にぬいぐるみがあるので、シリウスはそれを取ろうと柵を越えようとしたのだ。
人間ならば注意して超えれば、出っ張りに落ちた物を取ることも可能だと思う。
しかし大型犬であるシリウスは、柵を越えたはいいが、自分の重みとバランスを崩したことにより転落したものと思われる。
普通サイズの犬だったら、立ち上がっても柵には届かないし越えられない。
後ろ足で立つと人間の男の人よりも大きかったシリウス。
体が大きいが故に起きた事故だった。
優し過ぎて悲しい
私が買い物に行った。
先輩が雑誌を見ていた。
ミクちゃんがぬいぐるみを投げた。
シリウスがそれを取ろうとした。
誰も悪くない。
悪くないのに、1つ1つが重なって、悲しい事故に繋がってしまったのだ。
あの時、ああしていれば良かったとか、こうしていれば良かったとか、後になり色々と考えてしまったが、私に分かることは·····
どれだけ考えても答えは出ないし
どれだけ悩んでも解決はしないし
どれだけ泣いても命は還らない····
ただ それだけ。
だからといって、私は考えることをやめないし、悩むことも無くならないし、泣くことを我慢したりはしない。
辛いから、悲しいから過去を忘れたいと言う人がいる。
確かに現実逃避したくなるだろう。
私も現状で現実逃避したい気持ちが強いので分かる。
しかし、大切な命に関わることでは、決して目を背けたくはないのだ。
現実から目を背けるということは、その命の存在を、生きて来た証を無きものにしてしまう行為だと思うから。
いつも私は悲しみの中にいる。
それでも、いつだって愛を送り続けているし、これからも愛した者達を悲しみごと忘れはしない。
夜空に浮かぶ
青くて1番明るい星。
私を見守るかのように
光り輝いている。
その星の名は
おおいぬ座の
シリウスと言う。