あれは·····まだ街中が眠りから目覚める前の、12月30日の早朝のことだった。
私は1人ブラブラと朝の散歩をしていた。
そろそろ家に戻ろうかと思い歩いていると、前方に1匹の犬の姿を発見した。
朝の散歩かな·····
いや、違うな。飼い主がいない。
それに歩き方がおかしい。
少し歩く速度を上げて犬に近付いた。
その犬はシーズーだった。
しかし足を痛めているようだし、被毛も汚れてボロボロだ。
この寒い中、どうして1人でいるんだろう。
フラフラ歩いているので、トラックがやって来た時に当たりそうになって、咄嗟に私は犬を引き寄せ庇った。
そしてトラックの運転手に
「すみません」と頭を下げて犬を抱き上げた。
家に連れ帰り、伸び切って絡まっている被毛をハサミで切ってからお風呂に入れた。
どれだけ放浪していたのかと思うくらい、毛の白い部分が真っ黒に汚れていた。
しかし痩せてはいない。
毛は縺れているし爪も伸び放題で、カーブして伸びた爪は今にも肉球に刺さりそうになっている。
相当な間、爪切りをされていない状態。
それに·····足の骨の形が変だ。
骨折したのか·····!?
爪切りは犬猫用を持っていたので、伸びた爪を少しずつ切ったが、血管が伸びている可能性も考えてあまり短くはしないでおいた。
家にはキャットフードしかなかったので、ささみ・カボチャ・ニンジン・ブロッコリーを細かく刻み煮込んでスープを作ってあげた。
年末で動物病院も休みに入っており、年明けまでは自宅で看るしかない。
私は大学で獣医学も学んだし、アニマルナースとして働いていたこともあったので、だいたいの病気の対処が可能だったのだ。
少し落ち着かせてから、ドッグフードを買いに出掛けた。
シーズーはおっとりした性格のメスで、我が家の猫軍団とも揉めることなく直ぐに打ち解けた。
こんな状態だけど迷い犬なのだろうか。
一応届け出をすることにして、警察や愛護センターなどに連絡をした。
預けてしまうと、飼い主が見付からなかった場合は殺処分になるので、シーズーはそのまま私が世話をすることに決めた。
それが最後の愛犬との出会いだった。
元の名前は分からないけれど、我が家にいる間は呼び名が必要だと思い、シーズーの顔の被毛の広がり方からロゼッタと名付けた。
年が明け、正月休みが終わると同時に、私はロゼッタを動物病院へ連れて行った。
検査の結果、やはり骨折をしていた。
しかも折れたまま治療もせずに放置されていたらしく、ズレた状態で骨がくっつき足が変形していたのだ。
他にも腹部に切り傷が幾つかあって、耳も切られた形跡が見付かった。
被毛で見えないが、他にも体に傷があるかもしれない。
捨てられたのか、迷い犬なのか·····
迷子であったとしても、これは虐待されていたと考えて間違いないだろう。
先生に
「飼い主が見付かったらどうするんですか?」
と聞かれた。
もし飼い主の仕業だとしたら、こんな状態にされたロゼッタを返したくはないと思った。
「もし見付かったら·····譲ってもらえないか交渉してみます」
このまま見付からないでほしい。
月日が経つ毎に
思いは強くなって行った。
ロゼッタは優しい子だった。
猫にも愛情深く接して、猫の海渡(ミト)は実の母親がいるにも関わらず、ロゼッタのオッパイを吸っていた。
その海渡を愛しそうに舐めるロゼッタ。
母性本能がくすぐられたのだろう。
ある時、乳首を軽く搾ってみると、本当にお乳を出すようになっていたのだ。
ロゼッタは私の心を読んだ。
元夫のDVやモラハラに苦しめられていた私は、何も言わずに心の中で泣いていた時があった。
するとロゼッタは私の悲しみを理解して、前足で私の膝を何度もチョイチョイした後、優しく手を舐めてくれたのだ。
我慢していた気持ちが溢れて、私は声を出して泣いた。
元夫とは別れたかったし、別れることが出来たけど、ロゼッタとは離れたくなかった。
いつ飼い主が見付かったという連絡が来るかと、毎日冷や冷やしながら過ごしていた。
春になり暖かくなって来ると、至る所に花が咲き心も穏やかになれるので、ロゼッタとの散歩は私にとって至福の時だった。
そんなある日、警察から連絡が入る。
3ヶ月が経っても飼い主が見付からないので、そのまま飼ってあげて下さいと········
やった·····やった!
やったー!
私はロゼッタを抱きしめて嬉し泣きをした。
これで正式にうちの子だ!
もう離れないし離さない。
これからはずっと一緒にいられる。
しかし、この時の誓いを破ってしまうこととなる。
私はロゼッタと離れ離れになってしまったのだ。
その頃 野良猫を保護したが、警戒心が強くて先住猫達と上手く出来ないので、直ぐには家に入れてあげられなかった。
まだ半野良状態だったので、慣れるまで玄関にベッドを置いて寝かせようと思い、玄関のドアを締め切らずに猫が自由に出入り出来るようにしていた。
玄関から室内へは更に扉があったので油断していたのだが、ある日帰ると内ドアが開いている。
私が家にいる時はやらないのだが、元夫から聞いた話では、ロゼッタは私の姿が見えないとドアを何度も手で開けようとしていた。
そして少し開いたことで、当時20匹以上いた猫達とロゼッタが外へ出てしまっていたのだ。
幸い猫達は外が怖くて身動き出来ずにいたので、全員保護したけれどロゼッタだけは見付からなかった。
直ぐに近所を探し回ったが見付からない。
今度は飼い主として、警察や愛護センターに連絡することになった。
連日問い合わせの電話を掛ける。
何ヶ所かのセンターに連絡をしたら、大阪のセンター全てが繋がっているので、何処に収容されても連絡が来るとのことだった。
遠くに連れ去られることも考慮して、隣県の収容所への連絡も入れ、最悪のケースも考えて環境事業センターにも電話をした。
その時点では、事故に遭った犬はいないとのことでホッとした。
しかし悠長に待ってはいられない。
ロゼッタの特徴を書いた貼り紙を100枚分作り、近場の動物病院やショップに頼んで貼らせてもらい、自転車で行ける範囲のあちこちの電柱にも貼り付けた。
家にもいれなくて、雨の中を夜中も探し回った。
この雨に濡れてはいないだろうか·····
きっと お腹を空かせているだろう·····
何かにすがりたくて、ネットで色々と調べたら、行方不明になったものが見付かるという愛染明王の真言を知った。
その真言を唱えるといいらしい。
ロゼッタの画像に、真言を入れて携帯の待ち受けにした。
そして唱えながら探し回った。
ロゼッタが行方不明になって3日後、1本の電話が掛かって来た。
それは近所に住む人からで、ロゼッタが近くの花屋さんに保護されていると言う。
あちこちの電柱に貼ってある貼り紙を見たそうだ。
花屋さんに連絡をして、私は急いでロゼッタを迎えに行った。
花屋さんに着くと奥にロゼッタがいた。
私の姿を確認すると、ロゼッタは喜んで笑顔になり、尻尾を振りながら足でタンッ!と床を叩いた。
それを見て花屋さんは「良かったね~」
と笑っていた。
話を聞くと、警察に届けなかったのは、日数が経つと殺処分されてしまうからと、このまま里親を探すつもりだったらしい。
警察や愛護センターに届けていても無理だったんだな·····
貼り紙をしなければ、ロゼッタとの再会は無かっただろう。
ロゼッタが行方不明になった日の夜は雨が降ったが、その時ロゼッタは花屋さんの店の前に停めてあるワゴン車の中で寝かされていたそうだ。
その車の前を、雨に濡れて泣きながら何度も往復してたのに·····
ロゼッタは無駄吠えがなく、普段から殆ど鳴かなかった。
誰かが来てインターホンが鳴った時に、ワンワン!と1度だけ吠えて終わり。
私が前を通っているのを気付かなかったのかな·····
気付いていたら吠えてくれても良さそうだけど。
何にせよ、無事にロゼッタが帰って来たことで私も安心することが出来た。
そして警察や愛護センターなどに連絡をして、見付かったので届け出の解除をお願いした。
警察でもセンターでも、良かったですねと言ってもらえた。
貼り紙をさせてもらっていたショップや動物病院へも、お礼を言って回った。
そして約100枚、電柱などに貼り付けたものも全て回収した。
その時に「見付かりました。ありがとうございます」と、電柱に向かってお礼を言ったくらい感謝の気持ちでいっぱいだったのだ。
貼り紙を見て連絡をくれた近所の人と花屋さんには、後日花かごに入った洋菓子の詰め合わせを持ってお礼に行った。
花屋さんでは3日間ロゼッタを預かってもらったので、謝礼金も持って行ったのだが、断固として受け取ってくれなかった。
「そのお金でワンちゃんに美味しい物を買ってあげて」
と言って、無理にでも渡そうとしたら軽く怒られたのだが、帰る時には逆に立派なポインセチアの鉢植えを頂いたのだ。
またロゼッタを連れて遊びに来る約束をして、私は頭を下げお礼をしてから帰宅した。
保護した子なので、推定年齢でしか分からなかったが、それでも長生きしてくれた。
歳を取り白内障で目がほとんど見えなくなり、歩けなくなって最後は寝た切りになった。
それでも手厚い看護と介護を続けた。
最期は·····私の腕の中で眠るように息を引き取ったロゼッタ。
そのロゼッタの命日が
今日、5月5日なのである。
子どもの日で覚えやすいねと誰かが言った。
そんなことはない。
親ならば、我が子の命日を忘れるなんてことは死んでも有り得ないことなのだ。
4歳で亡くなった動物好きの息子と、空の上で会うことが出来ただろうか。
ロゼッタを亡くしてからは、猫は保護したり引き取ったりして増えたけれど、あれ以来犬は飼っていない。
それが冒頭に書いた『最後の愛犬』の意味するところである。
この先、私が死ぬまでに犬を飼わなければ、ロゼッタが最後となるから。
毎年5月5日になると、晴れ渡る澄んだ青空が目に突き刺さって痛む。
それはきっと、泣いた後の目には青空が眩し過ぎるのだろう。
そして今日も私は、この澄んだ空を見上げながら、空よりも澄んだ瞳の我が愛犬を思い出している。