思い返すと今から27年前に

右側に乳癌が見つかり

ステージ4 リンパ節転移と診断

国立国際医療研究センター病院🏥にて

右側乳房、リンパ節全摘手術となった

まだ29歳だった

今のような時代ではなくて  癌イコール死

そんな時代でした

私は2人の子がいて、上の男子が2歳半 下の女子は7カ月でした

嫁ぎ先の家族は理解がなく、1度も病院に足を運んでくれる事はなく

私の実家の父と母が子供をみてくれました

今の医療とは違い、色々な事に時間がかかり

すべての抜糸まで3週間もかかった

始めて、傷を見た時右側にあった
オッパイはなく大きな傷が脇の下まであった

めまいがしてそして泣いた

抗がん剤治療が始まり、5FU系とタモキシフェン
タモキシフェンは5年も続いた

精神的にも弱って安定剤や睡眠薬もずっと飲んでいた
寝たり起きたりを繰り返し、でも生きている
それが不思議だった

気がついてみると離縁となり
一人になった
保険も職もなく、必死に働いた

43歳になり今一緒に居てくれる主人と出会い
一緒に一生懸命働いた
笑って暮らせるようになり嬉しかった

でも、検診に行ったりは出来なかったし
少し調子が悪くても我慢してきた
なぜなら、働かないと生活が出来ないからです

でも一昨年、出血が酷くなり
我慢してたのですが
去年、3月に体調悪く検査となり
子宮癌肉腫(類内膜腺癌G3➕軟骨肉腫)
希少ガンをもらってしまいました
埼玉医科大学国際医療センター
包括ガンセンターのお世話になっています

またやり直しです

でも27年前に生まれた娘が
この度結婚しました
生きてきたおかげ様で
27歳の娘を見ることができたのです
嬉しいです

来年は人生のロスタイムの28年目に入ります
毎日毎日、体に波はありますが
希望を持って生きたいです

笑わなきゃ   毎日