月曜日の夜、

家族と険悪な雰囲気になって。


トイレリフォームのあまりのひどさについて。


先輩に聞いてもらったら

会社がどうとかより

来てリフォームした人の問題じゃない?


と、言ってくれて

わたしは救われた。


と言うのも、やっぱり1日経過して

色々考えたけど

おかしな事がたくさんあって

家族と意見を出し合った結果

クレームの電話を入れると言うことになり。


もう、そういうの

不得意なわたしなので

全部家族にお任せした。


結果、言ってもらえてよかった。


今週の日曜日、担当と担当でない人に来てもらい

この惨状を見てもらい

やり直してもらうようにした。


元々、職人でも何でもない人に

頼むこと自体が間違ってた気がして。



わたしが、業者と人選ミスをしたから

こんな事になったんだ


という、事実に


今回は落ち込むことなく。



大きな名の知れたところなので

大丈夫だろう


と、思っていたけど


たまたま

担当が悪かったんではないだろうか?


答えと結果は、日曜日に全て

判明する。


長い人生です、間違った選択もする時もある。


で、今回は

この

惨状を家族と分かち合っていた時に


やっぱり自分がミスしたから

家族にも嫌な思いさせたんだ

と、暗くなったら


家族はそれを

自分が責めてわたしが怒った


と勘違いして


そこから、険悪な雰囲気になり

寝る事になったんだけれど。


わたし、今までだったら


わたしが、悪いんだ

何しても全然だめだし

姉という名前だけで全然姉らしくないし

妹の出来の良さと比較したらもう



死にたい

悲しい


と、落ち込んで泣くところなんだけど。



だって、わたしがトイレ

こんな惨状にしたんじゃないもの。


良さそうと思って業者選んだだけだもの。



という、事実に向き合って。


まあ、嫌な思いしたけど

これも勉強だ。


と、サクサクと

寝たという。


過去のわたしでは

考えられなくらいに


自己受容が進んだおかげで


こんなふうに、落ち込まずに


まあ、何とかなる。

わたしには、神様がいる。

大丈夫。


と、思って

寝た。


みたいな。




すごいなー。

信じられない。

こんなふうに受け止められる日が来るなんて!


生きててよかった!


と、思えるようになった。



まあ、ほぼ

家族がクレームの電話入れてくれて

窓口になってくれたので

難から逃れることができた。


助けてもらえたのだ。


人を頼りにしてないと言いつつも

家族が助けてくれた。


持ちつ持たれつ。



わたしは、自分の本音とか本当の気持ちをなかなか人に言えなくて

お人よしで純粋で人を信じやすいというか

疑うことをあまりしないので

素直すぎて裏目に出ることがたくさんあって。


今回も、全部の工事が済んでから

支払いなのに

半分しか済んでないのに

便器代等の請求書が来たので

支払いしてしまったことが問題で

家族に注意されたのだった。


もう本当、これに関しては


歯医者時代も

若奥が散々言ってたのに


うっかりというか

素直に請求書きたし

納品されたから支払いするもんなんだと

疑いもせず

支払い済ませてしまったのだ。


だから、支払い済ませたから

もう今回の半分の工事は納得したと言う事になるんだと。


そこらへん、家族に言わずに黙って支払い済ませてたから

そこが甘いと家族は憤慨してるんだろうとおもう。


謝ったけど。


勉強になりました。


って。



知らない事まだたくさんあって

やっぱりわたしは

体験しないと理解できないのである。


幼少期から

後先考えずに突っ走ってきたので


親が注意しても聞かず



こうやったら、こうなるよ

危険やけん、やめなさい


と、言われても

やるのである。


自分で体験して初めて


ああ、こう言うことなんだ。

周りが言ってたのは。


だから、父も亡くなる寸前まで

反抗期でいう事を聞かないと訪問看護師に言ってたくらいだ。


わたしは、我が強すぎて

(エゴが強いという)


何でも自分でやりたいと思って

(興味があることだけ、気がつくことだけ)

やるものだから

周りが止めるのである。


仕方ない。もうずっとこれでやってきたの。


ビバ、三子の魂百まで。


人はそうそう変わらない。


命令されるのも嫌

指図されるのも嫌

世話焼かれるのも嫌

コントロールされるのも嫌


それなのに、父やオジや強い人は

わたしの前にでてきて


あなたのためを思って

と、正論を振り翳して

正義を押し付けて

わたしをコントロールしようとした。


やっと!


この年齢にして

それから逃れられたのである。


わたしは、自由になった。


あれこれ口出しされずに

間違った選択をしても自分が責任をとるし

恵まれた環境で助けてもらえるようになったし


自分の人生を生きる事に成功した。


間違ってもミスしても落ち込まない


長い人生だ、こういう事もある。

体験が増えて学びが増えて

また一つ賢くなれた。


と、心から


前向きに捉えられるようになったのだ。



瞑想と、マスターの愛と

神様に守られているおかげで。


そして、自分から良いものを出すという

教えも心掛けているし

マントラもあるし


愛を選択できるようになったから。



自己受容って

具体的にやっているのは




彼らを1人ずつ

抱っこして


今まで本当に色々あったけど

よくここまで生き延びてきたね。


頑張ってきたね。

生きててくれてありがとう。



と、いつも、自分に感謝している。


自分というか

源の存在、魂に感謝している。


これが、なんか、今まで

自分に足りなかったことだったから。


他人からの評価って

変わるんですよ、すぐに。


他人は見えることしか知らないし。


でも、自分は全部知ってるじゃないですか?


あの時の悔しい気持ちとか

悲しかったこととか

嬉しいとか、笑えたりとか。


だから、やっぱり


自分が自分の味方なんです。


これが、日々を楽しく生きるコツです。


わたしにとっては。