6月のある日。
私はふと思いました。
最近夜中に寝付くのに時間がかかるのは、もしかしたら運動不足が原因なのではないか、と。
そして
私は
自転車に乗り
あてのない旅に出ました。
最初の30分で行けるところまで行って、そこ から適当に戻る、
迷ってもGoogleに頼らない、
という自分ルールのもと、
ひたすら自転車をこぎました。
最初の30分はどこに着くんだろう、というワクワク感でいっぱいだったので楽しかったのですが、
帰りは完璧にめんどくさくなって、ダラダラ自転車を漕いで帰りました。
そしてその夜
全然眠れなかった。
ただ運動すればいいということでもないのか。
あれじゃ足りなかったのか。
そもそも一日で生活リズムは変わらないってことなのか。
まぁ結果として、、、二度としないと思います。
一人じゃダメみたい。
Android携帯からの投稿
私はふと思いました。
最近夜中に寝付くのに時間がかかるのは、もしかしたら運動不足が原因なのではないか、と。
そして
私は
自転車に乗り
あてのない旅に出ました。
最初の30分で行けるところまで行って、そこ から適当に戻る、
迷ってもGoogleに頼らない、
という自分ルールのもと、
ひたすら自転車をこぎました。
最初の30分はどこに着くんだろう、というワクワク感でいっぱいだったので楽しかったのですが、
帰りは完璧にめんどくさくなって、ダラダラ自転車を漕いで帰りました。
そしてその夜
全然眠れなかった。
ただ運動すればいいということでもないのか。
あれじゃ足りなかったのか。
そもそも一日で生活リズムは変わらないってことなのか。
まぁ結果として、、、二度としないと思います。
一人じゃダメみたい。
Android携帯からの投稿
証載せます。
札幌ブロックの月例会で証を聞いた人はかなり内容が被ってると思いますが、とりあえず載せます。
言葉の壁。
体調の悪さ。
EARCで得たことは何かと言われると困る。
私は何も得てこなかった気がする。
Bible expositionもPlenaryも、私の心に残っていない。何回かの集会は体調が悪すぎて参加できなかったし、参加できていたとしても、ティッシュはあるのかとか、これ以上具合が悪くなった時に言えそうな日本の主事はどこにいるかというようなことばかり考えていたし、他のムーブメントのために祈る時間でさえ、最後に自分の体調がよくなるようにと付け加えて祈っていた。
スモールグループでの分かち合いは正直初めは苦痛だった。
グループメンバーの英語はほとんどわからなかったし、わりと聞きやすいシンガポールの人は高速で話してくるし、頑張って自分の意見を言っても大した反応がなかった。
グループメンバーの中には英語以外の言語で通じあっている人も多かったが、私ともう一人の女の子は母国語とおぼろげな英語以外に話せる言葉がなく、特に彼女は相当英語に苦労しているようだった。
私と彼女はある意味一番言葉が通じず、私は彼女の話す英語をほとんど聞き取ることができなかった。しかし私達は仲良くなり、二人でよく筆談で会話をしていた。
体調が悪い私を気遣い、彼女は私の手を引いてくれたので、よく二人で手を繋いで、ただ微笑み合いながら歩いた。
ある時、移動するバスの車内で私達は自分たちの家族について語り合った。(もちろん筆談)
私は家族について気軽に質問したが、そこで初めて、彼女の母親が3年前に他界していること、両親はその前に離婚しており、父親には新しい家族がいること、彼女が祖父母の厳しい反対の中で教会に行っていることを知った。
私は何も言葉が見つからず、ただ彼女の手を握ることしかできなかった。私達は互いに手を握り合いながら、バスに揺られていた。
思い返してみると、EARCを通じて、この時ほど他人の痛みをリアルに感じたことはなかった。
確かにムーブメント紹介で祈祷課題を聞いているときも大変だと思ったけれど、冷たい私は、そこまでのリアル感を持って祈ることができなかった。
もちろん、スモールグループのメンバー全員と仲良くなり、日常会話はほとんど通じ合えたし、アーバンハントは本当にたくさん笑ったし、皆私の体調を気遣ってくれて、荷物を持ってくれて、私のために祈ってくれた。KGKの主事たちにもすごくお世話になったし、KGKのムーブメント紹介をした時に会場の人たちが泣きながら祈ってくれたことも忘れることはできない。
でも、私にとってのEARCは何だったかと聞かれると、一番コミュニケーションに苦しんでいたはずの彼女が、私のことを気遣って、そっと手を差しのべてくれたあの時、そして彼女と初めて痛みを分かち合い手を握り合ったあの時ではなかったか、と思う。
そしてそれは、言葉の壁に苦しんでいた私達が、自分たちが主にあって繋がっていることを感じ、知らず知らずのうちにその壁を乗り越えた瞬間でもあった。
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札幌ブロックの月例会で証を聞いた人はかなり内容が被ってると思いますが、とりあえず載せます。
言葉の壁。
体調の悪さ。
EARCで得たことは何かと言われると困る。
私は何も得てこなかった気がする。
Bible expositionもPlenaryも、私の心に残っていない。何回かの集会は体調が悪すぎて参加できなかったし、参加できていたとしても、ティッシュはあるのかとか、これ以上具合が悪くなった時に言えそうな日本の主事はどこにいるかというようなことばかり考えていたし、他のムーブメントのために祈る時間でさえ、最後に自分の体調がよくなるようにと付け加えて祈っていた。
スモールグループでの分かち合いは正直初めは苦痛だった。
グループメンバーの英語はほとんどわからなかったし、わりと聞きやすいシンガポールの人は高速で話してくるし、頑張って自分の意見を言っても大した反応がなかった。
グループメンバーの中には英語以外の言語で通じあっている人も多かったが、私ともう一人の女の子は母国語とおぼろげな英語以外に話せる言葉がなく、特に彼女は相当英語に苦労しているようだった。
私と彼女はある意味一番言葉が通じず、私は彼女の話す英語をほとんど聞き取ることができなかった。しかし私達は仲良くなり、二人でよく筆談で会話をしていた。
体調が悪い私を気遣い、彼女は私の手を引いてくれたので、よく二人で手を繋いで、ただ微笑み合いながら歩いた。
ある時、移動するバスの車内で私達は自分たちの家族について語り合った。(もちろん筆談)
私は家族について気軽に質問したが、そこで初めて、彼女の母親が3年前に他界していること、両親はその前に離婚しており、父親には新しい家族がいること、彼女が祖父母の厳しい反対の中で教会に行っていることを知った。
私は何も言葉が見つからず、ただ彼女の手を握ることしかできなかった。私達は互いに手を握り合いながら、バスに揺られていた。
思い返してみると、EARCを通じて、この時ほど他人の痛みをリアルに感じたことはなかった。
確かにムーブメント紹介で祈祷課題を聞いているときも大変だと思ったけれど、冷たい私は、そこまでのリアル感を持って祈ることができなかった。
もちろん、スモールグループのメンバー全員と仲良くなり、日常会話はほとんど通じ合えたし、アーバンハントは本当にたくさん笑ったし、皆私の体調を気遣ってくれて、荷物を持ってくれて、私のために祈ってくれた。KGKの主事たちにもすごくお世話になったし、KGKのムーブメント紹介をした時に会場の人たちが泣きながら祈ってくれたことも忘れることはできない。
でも、私にとってのEARCは何だったかと聞かれると、一番コミュニケーションに苦しんでいたはずの彼女が、私のことを気遣って、そっと手を差しのべてくれたあの時、そして彼女と初めて痛みを分かち合い手を握り合ったあの時ではなかったか、と思う。
そしてそれは、言葉の壁に苦しんでいた私達が、自分たちが主にあって繋がっていることを感じ、知らず知らずのうちにその壁を乗り越えた瞬間でもあった。
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