タギルスキオマエスキ
景色ドキドキ浮き沈みハッピー溢れ
私です。
どーもお久しぶりの参上。
いっぱいいっぱいになってる間にJARNZΩ10周年を迎えました。
振り返って自分という人間を思い返してみると改めてなぜ僕が今JARNZΩメンバーでいられてる事が不思議で不思議でたまらない。
そして音楽というお仕事で生活の中心を支えてる事が不思議で不思議でたまらない。
10年前の自分には想像出来なかった。
憧れも特になかった。
夢も特になかった。
ただただ"笑"の空間が大好きな少年だった。
ただいつも僕の隣には"熱中"があった。
熱中っていうか他の事考える余裕がなかったってことかも。
今もそうね。笑
JARNZΩ結成と同時期に高校入学してボクシング部に入った。
3年間とにかくボクシング漬けな毎日。
減量もしてたから彼女も作れなかった。
当時の僕の頭の中は
彼女→デート→一緒にごはん食べる→体重増える→減量きつくなる
から。笑
じゃ~んずΩも続けてる。
そして高校卒業。
夢が特にないから就職しようって思った。
どーせ就職するならみんながビックリするような職業にしようと思った。
ビックリってのは昔からの僕を知る人がね!
あのヒデが!!!ってやつ。(僕は勉強が全く出来なかったから)
僕の作戦通りその通りになり、某鉄道会社に務めた。笑
将来が約束されるような会社だから家族みんな喜んでたな!
やっぱり社会に出るということは並大抵の事じゃないと実感した。
いっぱいいっぱいだった。
じゃ~んずΩいつ抜けようかいつも考えてた。
そんな中社会人2年目春にハモネプ優勝。
人生が一気に変わった。
周りの僕への対応も変わった。
そして僕自身も変わった。
鼻がのびた。
会社も辞めた。
音楽やってたほうが金持ちになれると思った。
すぐにメジャーデビューして印税生活すると思った。
でもそんなに人生甘くなかった。
一気に上がった人気もみるみるうちに下がっていった。
当時のメンバー5人でどうせやるなら東京で勝負しよ!ってなった。
じゃ~んずΩもJARNZΩになった。
当時の僕は意思が本当に弱かったからみんなが右向いたから右向いた。
東京進出の時も僕はそうだった。
東京きて何ヶ月かたった時思った。
"人間の愚かさ"
それまで人が嫌いとかあまりなかったのに人が嫌いになった。
もう~嫌だった。
全てが嫌だった。
そんな時に僕を救ってくれたのが音楽だった。
初めての感覚だった。
ミュージシャンやらせて貰ってるのにそんな事あんの!!?
って思う方いらっしゃると思います。
僕もそう思ったから。
でもきっとそんな人もいるよね!!?
そっから景色が変わった。
その後の転機は震災あったりけいが入ったり兄ちゃんが抜けたりして
色々あった。
色々ある事に強くなる音楽への敬意。
そして強くなる伝えたいメッセージ。
そのメッセージは儚さとか切なさとか愛おしさとかもどかしさとか悲しみとか苦しみとか全部通ってそれでも進まないといけない事への後押しだったり。
5/7のシングル「光源」なんかはそんな曲です。{曲の紹介ではなーい!}
時には進まないで一旦お休みしよとか沢山一緒に泣こうとかいうのもめっちゃ素敵。
10歳になったJARNZΩ、そして25歳、三浦英展。
はそんな事思った。
悩ましいこのご時世を生きるあなたの心になにか一つの飾りとしてJARNZΩはありたいな!
そしてなんかJARNZΩ始まって以来の"キテる"が感じる訳よね!
ワクワクが止まらねぇんだわ!
大変だけど止まりやしないよ!
5/7にシングル&アルバム同時リリースだよ!
5/24渋谷WWWにてのワンマンLIVEはJARNZΩ史上MAXボルテージでいっちゃうんだわ!
アカペラグループ「JARNZΩ」が新たな時代作るんだわ!
もう燃えたぎってんのよ!
たぎってんのよ!
そのために一本一本のLIVEは半端なくいくよ!
(浮き沈みの異端児な私だからクソな時もきっとあると思いますが、、、)
5/24まではストリート、イベント、箱LIVEは3日(池袋)←今日やん!
と4日(渋谷)と18日(札幌)って感じか!5/24終わった後は東北いったり関西いったりって感じ。
4日は久しぶりに恋愛の曲やるわ!復活!たーらたらな曲。笑
んま、有り触れてるような事かもしれないけど結局さ、応援してくれる人がいるから今僕はJARNZΩという存在の一員って訳なのよね。{まとめ方へーた!}
となればJARNZΩという生かされてる、支えられてる環境があるから今自分が自分でいれる。
無償の愛で包んでくれてるから今自分が自分でいれる。
無償は怖いよ。だって別に包まなくたっていいんだもん。
それでも包んでくれるから保証はないけど幸せにしたいっす!
だから今自分がこうしていられる事が不思議でしょうがない訳です。
だからこれからも応援お願い致します。笑
来れる時は出来るだけ来てほしいよ♪
沢山の愛情をいつもありがとうございます。
愛情タンクはもうすぐMAX。
MAXにいったら夢の扉が開いてしまう!笑
頑張るから頑張って!笑
そんな訳で怒涛の4連戦スタート!!!!!!!
んちゃ!
カメルーンのカメ
P.S
香港LOVE
P.S
高校時代のあだ名は"テンテン"(10という数字にかけてではありません。)
私です。
どーもお久しぶりの参上。
いっぱいいっぱいになってる間にJARNZΩ10周年を迎えました。
振り返って自分という人間を思い返してみると改めてなぜ僕が今JARNZΩメンバーでいられてる事が不思議で不思議でたまらない。
そして音楽というお仕事で生活の中心を支えてる事が不思議で不思議でたまらない。
10年前の自分には想像出来なかった。
憧れも特になかった。
夢も特になかった。
ただただ"笑"の空間が大好きな少年だった。
ただいつも僕の隣には"熱中"があった。
熱中っていうか他の事考える余裕がなかったってことかも。
今もそうね。笑
JARNZΩ結成と同時期に高校入学してボクシング部に入った。
3年間とにかくボクシング漬けな毎日。
減量もしてたから彼女も作れなかった。
当時の僕の頭の中は
彼女→デート→一緒にごはん食べる→体重増える→減量きつくなる
から。笑
じゃ~んずΩも続けてる。
そして高校卒業。
夢が特にないから就職しようって思った。
どーせ就職するならみんながビックリするような職業にしようと思った。
ビックリってのは昔からの僕を知る人がね!
あのヒデが!!!ってやつ。(僕は勉強が全く出来なかったから)
僕の作戦通りその通りになり、某鉄道会社に務めた。笑
将来が約束されるような会社だから家族みんな喜んでたな!
やっぱり社会に出るということは並大抵の事じゃないと実感した。
いっぱいいっぱいだった。
じゃ~んずΩいつ抜けようかいつも考えてた。
そんな中社会人2年目春にハモネプ優勝。
人生が一気に変わった。
周りの僕への対応も変わった。
そして僕自身も変わった。
鼻がのびた。
会社も辞めた。
音楽やってたほうが金持ちになれると思った。
すぐにメジャーデビューして印税生活すると思った。
でもそんなに人生甘くなかった。
一気に上がった人気もみるみるうちに下がっていった。
当時のメンバー5人でどうせやるなら東京で勝負しよ!ってなった。
じゃ~んずΩもJARNZΩになった。
当時の僕は意思が本当に弱かったからみんなが右向いたから右向いた。
東京進出の時も僕はそうだった。
東京きて何ヶ月かたった時思った。
"人間の愚かさ"
それまで人が嫌いとかあまりなかったのに人が嫌いになった。
もう~嫌だった。
全てが嫌だった。
そんな時に僕を救ってくれたのが音楽だった。
初めての感覚だった。
ミュージシャンやらせて貰ってるのにそんな事あんの!!?
って思う方いらっしゃると思います。
僕もそう思ったから。
でもきっとそんな人もいるよね!!?
そっから景色が変わった。
その後の転機は震災あったりけいが入ったり兄ちゃんが抜けたりして
色々あった。
色々ある事に強くなる音楽への敬意。
そして強くなる伝えたいメッセージ。
そのメッセージは儚さとか切なさとか愛おしさとかもどかしさとか悲しみとか苦しみとか全部通ってそれでも進まないといけない事への後押しだったり。
5/7のシングル「光源」なんかはそんな曲です。{曲の紹介ではなーい!}
時には進まないで一旦お休みしよとか沢山一緒に泣こうとかいうのもめっちゃ素敵。
10歳になったJARNZΩ、そして25歳、三浦英展。
はそんな事思った。
悩ましいこのご時世を生きるあなたの心になにか一つの飾りとしてJARNZΩはありたいな!
そしてなんかJARNZΩ始まって以来の"キテる"が感じる訳よね!
ワクワクが止まらねぇんだわ!
大変だけど止まりやしないよ!
5/7にシングル&アルバム同時リリースだよ!
5/24渋谷WWWにてのワンマンLIVEはJARNZΩ史上MAXボルテージでいっちゃうんだわ!
アカペラグループ「JARNZΩ」が新たな時代作るんだわ!
もう燃えたぎってんのよ!
たぎってんのよ!
そのために一本一本のLIVEは半端なくいくよ!
(浮き沈みの異端児な私だからクソな時もきっとあると思いますが、、、)
5/24まではストリート、イベント、箱LIVEは3日(池袋)←今日やん!
と4日(渋谷)と18日(札幌)って感じか!5/24終わった後は東北いったり関西いったりって感じ。
4日は久しぶりに恋愛の曲やるわ!復活!たーらたらな曲。笑
んま、有り触れてるような事かもしれないけど結局さ、応援してくれる人がいるから今僕はJARNZΩという存在の一員って訳なのよね。{まとめ方へーた!}
となればJARNZΩという生かされてる、支えられてる環境があるから今自分が自分でいれる。
無償の愛で包んでくれてるから今自分が自分でいれる。
無償は怖いよ。だって別に包まなくたっていいんだもん。
それでも包んでくれるから保証はないけど幸せにしたいっす!
だから今自分がこうしていられる事が不思議でしょうがない訳です。
だからこれからも応援お願い致します。笑
来れる時は出来るだけ来てほしいよ♪
沢山の愛情をいつもありがとうございます。
愛情タンクはもうすぐMAX。
MAXにいったら夢の扉が開いてしまう!笑
頑張るから頑張って!笑
そんな訳で怒涛の4連戦スタート!!!!!!!
んちゃ!
カメルーンのカメ
P.S
香港LOVE
P.S
高校時代のあだ名は"テンテン"(10という数字にかけてではありません。)