今日ではっちゃんがお空に旅立ってちょうど1

年半になります。



今回ははっちゃん最後の日のお話になりま

す。

お辛くなる可能性があるのでご興味のある方

だけお読みください。

(今まで辛くて一回も載せられませんでした。

やっと載せることが出来ます。)


1年半前の朝の5時に病院の呼び出しで起きて

タクシーに飛び乗り、向かいました。

はっちゃんの異変には

すぐに分かりました。

ただ前の日まで筋弛緩剤を使いながらも必死に

目を開けてました。

日に日に弱くなっていました。

先生には産まれてからずうっと

「万が一の時の事も覚悟しといてください」

と言われ続けてました。


はっちゃんの顔や手足が赤紫色になっている。


そして先生には

「お父さんを早く呼んでください」

タクシーに乗ったときに電話連絡してたのです

が早朝ということもあり中々本人に繋がらず

さらに泊まり仕事なため残念ながら職場でし

た。

先生は1時間半以上、人工呼吸、蘇生術をされ

てました。

私達と全く同じ名字の先生。

すごく不思議な偶然。

はっちゃんを出産したときの助産師さんのお名

前がたまたま義妹の名字でした。


はっちゃんの心臓の鼓動はだんだん小さくなっ

てきて

先生に言われました。


「これ以上、初◯君に心臓マッサージするのは

初◯君にとって苦しくなると思うから

ここで止めましょう」


  ⚠️はっちゃんの本名は初◯君です。



主治医の先生の辛すぎる決断でした。

私は

「お願い、はっちゃんどうか生きて」


私の願いもむなしくはっちゃんは

主治医の先生に

「平成30年5月30日
              朝の6時24分 永眠です」


と言われてはっちゃんの人生は幕を閉じまし 

た。

その後のはっちゃんは段々冷たくなる一方、

そしてパパが到着。

パパははっちゃんの最後の瞬間に間に合いませ

んでした。

はっちゃんが旅立ってか40分が経った頃でし

た。

はっちゃんの2回目の抱っこをしたのがこの

時、お人形さんみたいなはっちゃんは穏やかな

顔をしてました。 



  「僕はやっとママのそばにいけた」



っていう安心している顔なんです。

4か月半だったけど大往生したね、頑張ったね

って。

ちなみにこの日の朝の11時からはっちゃんの魂

がついてきて今日(こんにち)の会話の日々にい

たります。

かなりコンパクトにまとめました。


最近、頭がうまく働かないんです(笑)



出産してから母子別室で離ればなれで涙を流し

ながら搾乳し、NICUに面会に行った日々、今で

も忘れられません。


そしてはっちゃん1年半の月命日の日にご報告

があります。


blogを読んでる方には恐らく気が付かれた方も

いたことでしょう。


まさかが起きまして



この度、お腹に新たなる命を授かりました。



今も絶賛つわり真っ最中です。


Blogも更新ままならない日が続きました。


最初はお腹の子の事をぶんちゃんと呼んでまし

た。

ぶんちゃんとつけた理由ははっちゃんの口癖の


        「ぶーんこ」

から来ています。


でもパパがお腹の子の事をはっちゃんと呼び続

けるのです。



お腹の子をはっちゃん自身だと思っています。

違う子だと思いたくないみたいです。


気づいたら私はお腹の子の事をぶんちゃんと呼

べなくなりはっちゃんと言うようになってまし

た。

違う子なのかもしれないけどお腹の中の子の事


はっちゃんが戻ってきたんだと信じ続けること

にします。


つわりが重い状態が続いてるためblogの更新が

とびとびになりますが

これからはっちゃんが1年以上私のお腹に再

び戻るために語ってたはっちゃん語録や今のマ

タニティーライフについて少しずつ載せてこう

と思いますショボーン

お読み頂き、誠にありがとうございました。