はっちゃんの話によると 

👦「大じぃと大ばぁはしばらく一緒にいるんだ

って。僕の事いい子してくれたんだ」と語って

ました。

天井から葬儀を見守ってたんでしょうね。


祖母👵の葬儀はこれにて終了しました。親族と

と別れ、いとこ達は「前を向いて頑張って」と

心から私の手を握ってくれました。

その後は母とお茶へ。

祖母の命日にはっちゃんのミニ骨壷を探しに行

った時のお話をし、

母は👩「なにか呼んでるね」

やはり母は強い。私より泣いていなかった。

親が旅立ったというのにこんなときでも明るい

のです。

若いときに沢山お話したから大丈

夫って言える人正直中々いないと思います。

母にとって祖父母はいい両親だったんだと感じ

ました。

私のこれからは母を目標にすべきなのかな。

結婚して🏘️を離れてからは母とは友達親子のよ

うな感じです。

祖父の命日が4月1日で、祖母が4月6日最後の時

まで祖父の👴の事を愛し、大正、昭和、平成と

いう時代を生き、綺麗な桜の花びらが

舞う季節のお別れになりました。

寂しいですが13年通い続けた祖母のいた横浜市

青葉区に行くこともこれからはなくなります。


施設の方、長い間、祖母の事を見守って頂き、

感謝でいっぱいです。

でも祖母は私の母の4兄弟、いとこ、そし

てはっちゃんのはとこ達、沢山の子孫の礎を築

いてくれました。

祖母の思い、子孫にこうやってどんどん受け継

がれていく…。

そういう気持ちを得た家族葬になりまし

おねがい

あと祖母👵の49日がはっちゃんの一周忌に

近いので恐らくご先祖様が見守ってくれてるの

かなというお話を親族にしました。

(本当に数日くらいしか違わないので)

家族葬のblogを読んでいただき本当にありがと

うございます。

大好きな祖母👵だからこそ、家族葬について一

歩踏み込んだ内容になりました。

途中、辛い内容がありましたこと大変失礼いた

しました。

次回からは日々のはっちゃんblogに戻りますショボーン