三宅香帆 著

 

今、本屋さんの行くと

この人の本だらけですね笑

 

現代人の疑問を、わかりやすく

でも、文献を参考に論理的に論じてくれているのが

面白いんですよね。

 

ちなみに、私と三宅香帆さんとの出会いはこの本でした。

 

その後、新刊情報はなんとなくチェックするようになったのですが

今作の「推したちとどう生きるか」は

 

推しがたくさんいることに定評のある(?)私に

ぴったりだなと思い、手に取りました!

 

 

 

 

「推し」は私たちの幻想を映し出すもの

アイデンティティの一部

だから応援したくなる

 

という冒頭の論に

正直、「そんなことない!」と違和感を感じたが

 

日本の「推し文化」の歴史から振り返り、

 

大正時代、

新しく登場したサラリーマン家庭の娯楽の提供として

家族みんなで楽しみ、応援できる存在としての

清く、正しい

「高校野球」と「宝塚」が生まれたこと

 

戦後、昭和の時代、

一億総中流家庭となり

テレビが家庭の団らんの中心となる。

この時代の「家族みんなで応援できる存在」として

アイドルが登場したこと。

 

そして、現代。

個々の生き方が重要視されていくなかで

仕事や働き方にすら、自己表現を求められる時代に。

 

そして、

自分らしさ、個性を労働に表現させるというのは

今のアイドルたちや芸能界の人たちと同じ

 

=この子たちの「やりたいこと」を応援したい!

という構図になっていること。

 

こうして、みていくと

「推し」は私たちの幻想を映し出すもの

ということも

とても腑に落ちた。

 

 

アイドルで例えるとわかりやすいが

例えば、

レコード大賞を獲るといった権威の獲得を目指すのは

父性に認められること。

 

一方で

ファンに応援されることは

愛情をもらえる=母性に認められること

だということ。

 

なので

・アイドルに恋愛してほしくない=「大人になってほしくない」「子どものままでいてほしい」母性

 

・推しの対象が人生を謳歌することや、変化することをうけいるれる=「子どもの成長を喜ぶ」母性

 

ともいえる、と。

 

この前者の考えを持ちがちな人たちに、

私はずっと違和感を持ち続けていたので

 

こうして筆者が言語化してくれて

そういうことか!たしかに!と

とてもスッキリしたスター

 

私はどちらかというと後者の考え方で、

私の推したちはみんな成長しながら、人生を前に進めながら、一緒に生きていく。

 

そう思ったとき、ふと頭に浮かんだのが

ゆずの曲「心音」にある歌詞

「なにができるか、君と今生きる」だったりした。

 

一緒に生きてくれるから、こんなに心強いんだ、と思う。

 

 

 

 

そして

最近、「推し活」がネガティブにとらえられていまうことがある。

 

それは

「同じものを応援している」という共同性が

集団化した母性となり

強い勢いで暴走してしまうとき。

 

そうなると、推しの相手はもちろん

たくさんの人を傷つけてしまう。

 

暴走する共同性=集団化した母性

と距離を置くには、

 

自分の痛みをみんなの言葉、ではなく

「1人で」語ること、

その勇気を持つこと

 

そして、三宅香帆さんが一番言いたかったのは

このことだと主張する。

 

 

私は「推し」に対して

 

大人にならないで!と叫ぶのではなく

大人になったって一緒にいたい!

と言える

 

そんな個人の強さをもったファンでありつづけたい

と強く思った。