70と言う数字は人の人生にとって長いものだ。
私はたまたまそのニュースから第二次大戦について
今深く考えるようになり、日本が起こしてしまった、
あるいは起こされてしまった歴史に目を向けた。
わたしの考えをうまく表現してくてた人がいる。
シンガポール首相リー・シェンロンだ。

日本は後悔と謝罪を表明しているが、
慰安婦や南京虐殺の問題では立場が曖昧だ。
中国、韓国に対しては、日本を守勢に立たせるため、
または未来の世代にまで憎しみを永続させる目的で
戦争の歴史を利用してはならない。
繰り返し謝罪を求めることはしてはならない。

その当時の映像や記録がインターネットなどで公開され、
誰もがその気になれば見て考える事ができる。
日中戦争にしても、事の発端は
中国共産党と蒋介石率いる国民党との
争いに日本は巻き込まれたのだ(盧溝橋事件)とか、
一部の兵隊はしたかもしれないが南京虐殺はなかった、
公開されている画像は共産党と国民党の争いによるものを
日本がやったように見せかけたとか、
アメリカ宣教師ジョン・マギーによる
必ずしも否定でいない部分もあろう日本の愚行。

何を信じ、どう解釈したら良いのか判断のつかない戦争。
そこにはその国々の戦略や当事者の思惑に操られ
どんどん変化していく事実がある。
人が死ぬのを前提に、戦略的にコマのように扱う戦争は
人の価値を存在を否定し残虐にする。
もう一度ゼロから始められないか、
お互いが存続のために心を失い
殺し合いをしてきたのだから、
一部を取り上げないで、
教訓を生かして未来を見つめられないだろうか。