この間風呂上がりの鏡を見て
愕然とした。。。
こんなにも。。
本当に悲しかった。
もう終わったと思った。
しかし、同時にこうも思った。
禿げるまで、自分勝手に生きたなら
後は他人に優しくなるだけだね。
禿げの自覚は、男の最終形態。
不完全な生き物が外見を完全に諦めた瞬間。
禿げがキレてもうざいだけ。
禿げに怒られても視線が頭に行くだけ。
禿げがスネてもキモいだけ。
禿げが妬んでもネタになるだけ。
禿げが泣いても同情されるだけ。
禿げが号泣しても病気かと疑われるだけ。
理由なんてどうでもいい。
あらゆる陰性感情をさらに増幅させる
究極のオプション、それが「禿げ」だ。
形など、どうでもいい。
外見のアピールジャンルは
「コミカル」に限定されたのだ。
中身を惚れられたら
めんどくさいから浮気も出来ない。
禿げたなら人に優しくなるしかない。
禿げたなら生きていることを喜ぶしかない。
禿げたならとにかく笑うしかない。
自分の中のありったけのユーモアで
ヒトを、笑わせるしかない。
求められる以外話す必要なし。
話すからには淀みなく簡潔に話す。
ひたすら地蔵の如く聴く必要あり。
聴くからには相手のニーズに応えて聴く。
50年生きて。
諦めるきっかけは
「禿げの自覚」だった。
酒も煙草もほどほど、
歌っても弾いても、
叩いてもそこそこ、
走っても泳いでも人並み、
勉強は中の上。。
なんかしたければ、
コツコツとすれば良い
この間、泣き叫んでみて、
わかった。
カッコ悪い自分なんて
死んでるようなもんだ。
でも人と関わらなきゃいかんし。。
嫌な人ともうまくやっていかなあかんし。
輝いているあの子をとことん愛したい。。
やるしかないんだ。
私と関わったその人が、
その時間だけでも笑顔になれるように、
その人の心に笑顔を届けたい。
ようやく禿げたなら、
あとは優しくなるだけだよ。
生きるためにね。
って。