8、日本国憲法は破綻している

 

 

以上、民主主義(国民主権)と自由主義(自由意志論)の問題点について述べてきました。このロジックは「平和主義(九条)」についても当てはまり、それ自体が非現実的な"願望"であるばかりか、相手国との"自由な話し合い"が成り立たない以上、ただの"信仰"に過ぎないといえます。

 

"自由な話し合い"とは、「平和」という普遍的理念を共有し、その実現に向けて相互に拘りのない意見を積み重ねていくことです。が、既に見たように「実存主義」以降の現代哲学では「普遍的」なるものの存在は否定されており、また、人間は刷り込まれた潜在意識によって支配されているからです。

 

加えて、前述の「國體社会主義」からいっても、それが「違いを認めつつ一つに帰る(差異化と帰一化の共創原理)」という緩やかな多元的性善説に根ざしていることから、統治権の所在を厳格に規定する「民主主義」、非武装化によって政府の行為を厳格に覊束する「平和主義」との間には親和性がないといえます。

 

しかも、憲法前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」とありますが、自民党が「平和を愛する米国民の公正と信義に信頼」していたのに対し、今の共産党は「平和を愛する中国民の公正と信義に信頼」しています。が、実態をみれば、その前提が成り立っていません(イエリネック…憲法の変遷)。 

 

そういう意味で、現行憲法は外務省フリーメイソン派によって推進された怪しい制定経緯もさることながら、”覇道ワンワールド“を目指す欧米グローバリストのキリスト教的価値観による"日本支配のための桎梏"であり、論理的に成り立っていないばかりか、我が國體とは親和性がないものと考えます。 

 

ただ、欧米の政治システムから取り入れた議会制度は、民意を把握する上で有効な仕組みとして、日本が近代化して以来すでに国民の間に定着しています。従って、私見としては、君主制と民主制の調和が図られた「明治憲法」を参考に、行き過ぎた民主主義に歯止めをかける新しい日本国憲法を模索すべきと考えます。