福沢諭吉とフリーメイソン、1

 

①先年まで紙幣に使っている人物たちは、戦勝国(国際金融資本)からみて都合がいい存在にすぎません。樋口一葉以外は全てクリスチャンという点に注目してください。

 

②例えば「武士道」なんて語っている新渡戸稲造はフリーメイソン結社員で、函館にいたメソジスト系の宣教師メリマン・ハリスから洗礼を受けクリスチャンネーム「パウロ」となり、キリスト教に深くめり込み「キリスト者は争ってはならない」等と言って憲法9条の元となる"無抵抗平和主義"を唱えました

 

③多くの人はメディアに洗脳され気づいていませんが、民主主義も聖書から来ており、このキリスト教民主主義の特徴は絶対的平和主義、つまり、「右の頬を殴られたら左の頬を出せ」というように無抵抗主義で、皇室関係者さえも洗脳されています。警戒すべきは光格天皇の王孫である中山忠能(ただやす)の二人の子が立ち上げた創価学会(大日本皇道立教会)や世界統一教会(国際勝共連合)という國體護持組織ではなく、信長の時代からキリスト教です。

 

 

④次に、ロックフェラー研究所員だった野口英世もクリスチャンですが、問題は最後の福沢諭吉です。支那、朝鮮の旧態依然たる体制と欧米列強に対する危機感のなさに幻滅した日本は国防上の理由、とりわけロシアの脅威に対処するため「東亜細亜諸国との連帯」を諦めて「脱亜入欧(脱亜論)」を掲げます

 

⑤つまり、欧米列強のように朝鮮半島・支那大陸に進出することで、日本の防衛戦を拡張しようとします。福沢も明治十五年に訪日した朝鮮独立運動のリーダー金玉均・朴泳孝らと親交を深め支援しますがクーデター失敗により、朝鮮半島を文明化するという「朝鮮改造論」を主張するようになります。

 

⑥が、福沢の「朝鮮改造論」が、堀川辰吉郎や頭山満らの「大亜細亜主義」と異なっていた点は、無知で野蛮な民族に欧米の文明を伝導するという「カトリシズム(キリスト教布教)」に根ざしていた点です。

 

⑦そして、この両派の微妙な違いが後々国論の分断をもたらし、日本を敗戦に導く外務省や海軍内に巣食った"英米派"の暗躍、そして戦後の高松宮と三笠宮を中心にした皇室内対立の遠因となります。ちなみに"戦後英米派"の中心人物でクリスチャンの吉田茂の愛読書は「福翁自伝」だったそうです。

 

⑧このように、「脱亜論」の目指すものは「欧米列強からのアジア解放」であり、やがてこの思想は「八紘一宇」に収斂し、朝鮮併合、満州国建国(満鮮経略)という形で結実しますが、いずれにせよ昨今、「脱亜論」という言葉がその地政学的意味を等閑視した形で一人歩きしていることは残念なことです。

 

 

福沢諭吉とフリーメイソン、2>

 

⑨ここで、福沢諭吉とキリスト教、更にフリーメイソンの関係について触れますと、明治の啓蒙思想家(リベラル派)であった福沢は、国家と個人の"独立自尊"という欧米思想を掲げ、「ユニテリアン」という、キリスト教・プロテスタントの宗派と深い関係を築いていました。 

 

⑩まずユニテリアンとは、信仰の中心を「理性」に置き、理性はやがて神になり(理神論)、それも唯一神(unity)となるため、理性で説明できない、あるいは唯一神ではないカトリックの「三位一体説」を否定します。この結果ユニテリアンはローマカトリックのほか英国国教会、長老派などと対立します

 

が、同じく英国国教会などから迫害され、しかも強い信仰箇条を持たない「クエーカー教」とは親和性を持つこととなりますが、クエーカーについては、特に終戦後、日本の政財界、更には皇室へも浸透したことを別項で詳述します。

 

一方、フリーメーソンの起源は十四世紀とされ、中世ヨーロッパの城や教会や諸都市の建物を建築して回った石工(メイソン)たちの互助組織であり、それがヨーロッパ全体に広がり、さらにローマ教会の権威から逃れて自由を得るため北米にもでき、一七七六年、彼らの力によって米国が独立します。

 

ロンドンのフリーメーソン名誉議長となったクリストファー・レーンは「フリーメーソンリーは自然の石から教会堂を建てるのではなくて理性である精神から神殿を建てるのである。理性なる神の知恵の導きによって人間の粗野な理性が照らされ研がれて神的になり自らが神殿とならなければならない」と。

 

ここに「理性」を共通の価値としたユニテリアンとフリーメイソンの連携が可能になり、「ユニテリアン=フリーメイソン」の構図が出来上がるのです。

 

<福沢諭吉とフリーメイソン、3>

 

ところで、一般には福沢はキリスト教を排斥したとして知られていますが、欧米啓蒙思想家の例に漏れず、彼が攻撃の対象としたのは権威主義的なカトリックでした。その証拠に福沢は生涯でカトリック以外の英国人十二人、米国人七人の宣教師と関わっています。

 

特に英国国教会高教会派の牧師で外交官(情報将校)のA・C・ショーを自分の子女のための住み込み家庭教師として雇い、また、慶應義塾の倫理学教授の職を与えて聖書を教える事を許し、信仰を持った学生たちへの洗礼まで認めています。

 

この結果、三女の俊(とし)、四女の滝(たき)、孫の清岡暎一などもショーが建てた聖アンデレ教会で洗礼を受け、クリスチャンとなります。が、福沢は当時、アジア諸国を植民地化していた英国に好感を持っていなかったため、自由と民主主義が全開したよりリベラルに見えた新興国家の米国に関心を向けます。

 

そして福沢は、英国人ではない、米国人のユニテリアン宣教師でもある学者たちを、ユニテリアン教会の修道院として始まったハーヴァード大学から日本に招きます。また、福沢は自らの腸チフスを治癒してくれたユニテリアンであったドクトル・シモンズ医師とも親交を深め、

 

息子の一太郎と捨次郎を米国留学させてシモンズに後見人を頼み、シモンズ宅に下宿させるほどの関係を築きます。この結果、福沢の息子たちはシモンズ夫妻のユニテリアンのサークルに溶け込み、一太郎は父に宛てた手紙で「ユニテリアン教を慶応義塾に広めた方が良いでしょう」と提案しています。

 

が、民主主義国家の米国も、形は変えたとはいえ「理性」という価値によって結びついたキリスト教の一派であるユニテリアン、あるいはクウェーカー、さらには欧米グローバリストの秘密結社フリーメイソンのネットワークの中にあり、これに気づけない福沢は日本のメイソン化に利用されました。

 

福沢は、「福沢諭吉全集 第15巻」で、「賤業婦人(売春婦)の海外に出稼ぎするを公然許可すべきこそ得策なれ」などと語っていますが、こんな発言をする人物が紙幣に載せるほどの価値がある偉人と言えるのでしょうか?

 

<お詫びと訂正>

 

以上述べたように、私は長年、クリスチャン、フリーメイソン、そして福沢諭吉には疑問を持っていたのですが、最近の研究で、クリスチャンのすべてが悪なのではなく、問題なのは世界侵略を企ててきた「イエズス会」で、またフリーメイソンには日本国体が大きくかかわっていて、それはむしろ「イエズス会」に対する防衛組織として設立されたこと、福沢諭吉も國體護持勢力であることを知りましたので、以下、詳細を追加投稿しておきます。

 

「契約」と「友愛」の象徴であるゾロアスター教の太陽神ミトラの本性が顕現したのが「近代フリーメイソン」の“友愛精神”である。

 

「フリーメイソン」というと巷間、“ユダヤ陰謀論”とダブって“悪魔崇拝の秘密結社”のようにいわれてきて、何あろう私自身もそう認識している時期があったので強弁はできないが、その本当の成り立ちは、イランに発祥し乍ら後発のイスラム教に置き換わられて消滅したとされるマニ教が、ユダヤ教、キリスト教、仏教などの枠を超える“超宗教”として、親睦団体の形に成り代わったものである。

 

すなわち、ウバイド・ワンワールドの多神教思想から生まれたマニ教が、東に展開して「大乗密教」となり、西に展開してローマ・カトリックを侵食して「プロテスタント」となると同時に、ケルト社会を活性化してクエーカー派を育て、十八世紀以降になると、最先端で開明的な世界規模の思想、親睦団体として、各国王族の間を中心にネットワークを形成していった。

 

一七一七年にワンワールド(世界)國體によって設立された「近代メーソン」の目的は、会員が従来の信仰を保持したまま、その上にマニ教の主神ヴァイシュラヴァーナ(毘沙門天)が象徴する「友愛」を上書きして、「天啓一神教の唯一神を他の神と同格にし、絶対神を相対化すること」である。

 

そして、これにより絶対的一神教のイエズス会による世界侵略から各国國體を守ることがその隠された目的とされたため、組織の内実や会員名、具体的な行動の秘匿性が高く、イエズス会筋(今日の国際金融勢力)から“反カトリックの怪しい陰謀団体”との欺瞞に満ちた印象操作をされてきたのである。

 

このようなフリーメイソンには、プロテスタント系のクエーカー派や会衆派、オランダ改革派、メソジスト派などのほか、ユニテリアン派がいる。

 

ユニテリアン派とは、一五五六年にポーランド・リトアニア共和国で活動を開始した「ポーランド兄弟団」に始まった新教思想の一つで、それまで神の唯一性を強調してきた「三位一体説」を否定し、イエス・キリストの解釈についても「神の子である」とか「普通の人」だとか数派に分かれている。

 

ユニテリアン派と並ぶメイソンの新教思想に「理神論(りしんろん)」がある。これは神を宇宙の創造者とは認めつつも人格性は否定し、宇宙は自発的に自己発展するとして奇跡、予言の類を否定する実質的な“無神論”だが、欧州社会での抵抗を避けるため「理神論」と称したという。

 

一方、仏教者にもフリーメイソン会員は多く、國體参謀でユニテリアンだった福沢諭吉の仏教保護方針に誘われて慶應義塾に入った、真言宗トップだった土宜法龍(どきほうりゅう)や禅宗の釈宗演(しゃくそうえん)、その弟子の鈴木大拙(すずきだいせつ)などがいる。

 

また、國體銀行横浜正金銀行の設立に尽力し、弟子のフリーメイソン小泉信吉を副頭取にした福沢諭吉は、同じく弟子で同行ロンドン支店長の中井芳楠と生物学者の南方熊楠(みなかたくまぐす)を会わせ、これがきっかけとなって、ともにメイソンに入会したといわれている。

 

さらに、メイソン白洲次郎の祖父・白洲退蔵も福沢諭吉の腹心で、横浜正金銀行頭取を経て、プロテスタント会衆派、長老派、オランダ改革派などの伝道組織「神戸女学院」の創立に尽力した。

そして、一般には小泉信吉の子で慶應義塾塾頭だったメイソン小泉信三が、実家がクリスチャン(イエズス会系)の正田美智子(現皇太后)の皇室入りを実現したといわれているが、実質的に支援したのは“宮中コスモポリタン”を形成していた白洲次郎といわれている。

 

ただ、なぜ「イエズス会」なのかは未詳である。