紀元前4世紀、中国の戦国時代にこんな話がある。



墨子が宋に仕官していたとき、公輸盤が発明した最新兵器「雲梯」を用いて楚が攻めようとしているのを知り、急ぎ楚を訪れた。



公輸盤は「何か用ですか?」



墨子はこういった。意外な言葉である。

「北方に私を侮る者がいます。どうかあなたの力でその者を殺してくれませんか?」



公輸盤は悦ばなかった。

墨子は報酬を用意し「千金を献上しようではないか。」



公輸盤は「私は「義」を尊ぶ。元々人殺しはできません。」



…墨子は起ちあがって再拝し…



「あなたに「義」があるというならば、どうか聞いてもらいたい。私は北方より、あなたが梯を造って将に宋を攻めようとしていると聞いた。…つまり、それは相当な人殺しではないですか。…それなのに私の依頼を断るというのは矛盾していませんか。…宋に何の罪があろうか。楚国は地に余裕があって、民は足りないではないか。足りない民を殺して余りある地を争うのは、「智」とはいえない。宋に罪が無いのに攻めるのは、「仁」が成り立たない。…「義」として少ない者を殺さずして多い者を殺すのは、「類」を知る(仲間を大切にする=博愛)ということが出来ていないのではないですか!」



公輸盤は「はっ」として、やがて承服した。



墨子「そうであれば、何故止めさせないのですか?どうして私を楚王に会見させてくれないのですか?」



公輸盤「わかりました。」



こうして墨子は楚王に会見した。



墨子「今、ここに人がいて、己の優れた乗り物を捨てて、隣につまらない車があると、これを盗もうとし、己の錦・あや絹を捨てて、隣にぼろの着物があると、これを盗もうとし、己の米・肉を捨てて、隣に糠・糟があると、これを盗もうとする…これはどういう人だと思われますか?」



楚王「必ず盗癖があると思う。」



墨子はたたみ掛けた。



「楚の地は五千里四方、宋は五百里四方です。これはあたかも優れた乗り物を捨ててつまらない車を盗むようなものです。…私は、大王の軍隊が宋を攻めるのは、盗癖がある者と同類だと思います。そして大王が、必ず世の人々からの「義」を損って、何も得られないと思います。」



楚王「なるほど。しかし公輸盤が私の為に雲梯を造ったのだ。必ず宋を攻め取れるだろう。攻めないわけには行かぬな。」



そこで墨子は公輸盤とそこで模擬攻城戦の対決をした。



墨子は帯を解いて城とし、小さい木札を高い建物ややぐらにした。公輸盤は九回にわたって城を色々と攻めた。墨子は九回それを防いだ。



公輸盤が城を攻める方法は尽きたが、墨子の防御法にはまだ余りがあった。公輸盤はただの技術者だった。そこで墨子の技術や対策に屈したのである。



公輸盤「私はあなたを防ぐ方法をもう一つ知っていますが、…言わないでおきましょう。」



墨子「私も、あなたが私を防ぐ方法を知っているが、…言いません。」

 

楚王は理由を尋ねた。



墨子「公輸様は、私を殺そうとしているに過ぎません。私を殺せば、宋は守ることができず、楚は攻め取ることができます。しかし、私の弟子の三百人がすでに私の考案した守備の機械とともに、宋城に到着して楚の攻撃を待っております。私を殺したといっても、それを絶つことはできません。」



楚王は残念そうに「なるほど。私は宋を攻めないようにしよう。」



こうして宋国は楚国から攻められずに安泰になったのだった。



こうした墨子のような優れた「非攻兼愛の思想」が紀元前に存在し、連綿と伝え続いているにもかかわらず、これら高度な思想を取り上げずに、恐怖政治や粛清で権力の誇示を行うのかが素朴な疑問であり、国家全体主義が歴史的時間性を排除する思想であることに嘆かわしさと疑わしさを禁じ得ない。



これらを冷静に考えると少数民族や島嶼に対して、この思想からすると、人口10億人の国が攻め込む愚が浮上してくるし、まさしく「盗癖」と非難されても反論出来まい。




歴史には連続性がありそれらの思想には人類の英知が詰まっている。歴史を反故にし学習することは許されない。「知らない=必要ない」という発想はすぐさま止めて、知識としての英知を探すための学習であると考え直して学習して欲しいと切に願う。














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