病棟から訃報
担当患者さんが亡くなってしまった・・・
お見送りの時間は他の用事があり行けず、
必ずしも担当看護師が行かなければいけないわけではない。
のですが、
今回はたった1週間の関わりでしたが、
特にご家族と深く関わらせていただいたので、
ご本人の顔も見たく、家族に挨拶もしたく、
少し時間があったので病棟に行きお会いしてきました。
先週こちらの病棟に移ってきた時点で
かなり病状が悪く、
がんばっても2~3週間くらいの予後。
と思われるような状態。
ご家族は、
1月の時点で、あと1年くらいの予後と言われていて、
先週こちらに移る段階で前病棟ではあと3ヶ月くらいと言われて、
こちらの病棟に移ってきた時点であと数週と伝えられて・・・
説明を受けるたびに予後が短くなり、
とても強く動揺されていました。
娘さんが関東に住んでいて今週か来週末に面会に来るとのことだったので、
来週だと話ができる状態じゃないかもしれない、間に合わないかもしれない、
ということをソフトに伝えつつ、今週末にみんな来てもらった方がいいとお願いしました。
お酒が好きな患者さん、
こちらの病棟ではお酒が飲める。それを楽しみに移動してこられました。
部屋の棚にはさっそく二階堂とワインが置いてありました(笑)
来て1~2日はお酒も楽しめる状態だったのですが、
土曜日、娘さんたちが面会に来られて全員揃って良かったねという日、
夜あまり眠れない、つじつまの合わないことを言う、
少し動くだけでも足の循環が悪く色が変わってしまう、
明らかに脈が弱くなっている、
昼間でも会話していてもウトウトしてしまう。
などの病状の進行を示唆させる兆候がありありと・・・
娘さんたちからも、
「先週来た時と全然違う。あとどれくらい持つのか?」
と聞かれるほど。
昨日から今朝までの変化を説明し、病状が進行していることを話し・・・
娘さんたちは涙が止まらず・・・
娘さんたちは土日泊まって、また戻ってしまうということだったので、
医師もまじえて現状とこれからの見通しを説明することに。
医師からは、
「昨日から今日にかけてで急激に病状が進行している、今晩に急変してもおかしくない」
と説明。
家族は絶句でした。
「なんとか息を持たせる方法はないのか?」
方法はあるが苦痛を増すだけで寿命が何日も延びるわけではない。
家族はそんなことはわかっているけど受け止めきれない思いを吐露していました。
娘さんたちはどうしても最期まで一緒にいたいという気持ちが強く、
小学生の子供たちの学校を休ませ、みんなで付き添うということを選択しました。
それからは最期まで家族みんなで付き添ってくれていました。
そしてその4日後に亡くなってしまいました。
訃報を受け、私に沸いた感情は、
あの患者さんに会えなくなってしまう寂しさ。
それ以上に沸いた感情は、
あのご家族に会えなくなってしまう寂しさ。
でした。
悪いと伝えてからのたったの4日間でしたが、
病状の変化を一緒に一喜一憂。
お酒の話や浜松まつりの話でとても盛り上がって。
あと数日しかない付き合い、わかってはいるけど、
一緒にいると1分でも1秒でも生きていて一緒にいてほしい。
家族に囲まれているこの温かい空気、時間が止まってほしい。
ここまで付き合うと患者・看護師ではなく、仲間、義理の家族みたいな気持ちになってしまいます。
かなり意識が朦朧としてギリギリの状態でしたが、家族とお酒の話をしていたら、突然目を見開いて、口に手をやる患者さん。
飲みたいの!?
にうなずかれ、
息がゼイゼイしていて、気管にでも入ったら窒息してしまいそう。
とても飲ませられらる状態ではないのですが、何かあったとしてもそれはしょうがないという部屋の空気。
普通に飲ませるのは危険すぎるので、口を洗うスポンジにワインを染み込ませ口元へ。
チューチュー吸う患者さん。
僕が酒飲みなのを知ってたので、
僕の顔を見て、娘さんの顔を見て、
「バッカスさんのは?」
と。
こんな状態で仕事中の看護師に酒を勧めてくる患者さん。
一堂爆笑でした。
僕は半分泣けましたが…
「バッカスさんは仕事中だから無理だよ、終わったら飲みに来てもらおうね」
と娘さん。
後にも先にも僕の名前を呼んでくれたのはこの時だけでした。
朦朧としてる中、僕の名前を覚えててくれたんですね…
明日、また夜、夜勤で来ますからね。
と伝えて準夜勤終了。
その時は更に病状が悪く、本人はもう意識が全くない状態、
ご家族ときっとまた会えるとアイコンタクト。
そしてその数時間後、患者さんは穏やかに息を引き取られたそうです。
夜勤のスタッフから昼前にメールが入り、
逝去のお知らせと昼過ぎにお帰りになるという連絡を受け、
冒頭に記したようにご挨拶に伺いました。
義理とか礼儀とかではなく、
共に闘ったご家族と最後に会いたかった。それだけです。
娘さんたちは涙は見せましたがとても清々しい顔を見せてくれました。
悔しいけど、やりきった。
ということが伝わってきました。
ご家族、本当にがんばりました。
患者さんがこの数日がんばれたのは、
医療の力ではなくご家族の看護あってこそ。
心からのお礼と労いを伝えました。
誰にでも最期はあるもの。
後悔がないことはあり得ない、
でも、それを少しでも和らげられることはできるはず。
看護師任せにするのではなく、
ご家族に積極的にケアに参加して欲しい。
そして、
天命は変わらないけど、できる限りのことをしてあげられた。
そう思っていただきたいと思います。
ご家族にとって、相当精神的なよりどころであった患者さんだったようです。
しばらく悲しみ、喪失感はぬぐえないと思います。
わかっているのと、実際に起こるのとは全然違う。
ものです。
「お父さんが心配しないように、これからもあの部屋のようにみなさん仲良くいて下さい」
と伝えました。
娘さん、
「これからも笑いが耐えないようにしていきます」
笑顔で応えてくれました。
当の患者さんは、
とても穏やかな顔で眠られていました。
ご家族が選んだ衣装は、
浜松まつりのハッピでした。
とてもよく似合っていて、今にもイッキ飲みを始めそうでした。
私自身、できる限りのお付き合いができたと思います。
どんなにつらい状況でも最終的に笑顔でお別れできたこと、
本当に良かったです。
長くなってしまいました。
どこかに気持ちを吐き出したくて書いてしまいました。
また夜勤、がんばろうと思います。