去る3月25日、日頃から作新学院に対し多大なるご加護をいただいている京都・北野天満宮の橘重十九宮司と、天満宮の社報にて対談の機会を頂きました。

崇敬してやまない菅公(菅原道真公)について、心ゆくまで宮司様と語らうことが叶ったこと、これに優る僥倖はなく、六十路を歩み始めた自分にとって、まるで天神様からの“還暦祝い”の如き至福のひとときでした。

 

 


 

『天神さまと私』
      (北野天満宮社報 春号 Vol.31)

宮司 本年は春の訪れが遅かった分、梅風祭の今日になっても名残の梅花がお迎えができ何よりでした。

畑   まさに神日和という晴天のもと、愛らしい紅梅に囲まれての御昇殿参拝となり感激いたしました。貴宮から御寄贈いただいた御神梅も、寒風にめげず今年もお正月から美しく咲いてくれました。

宮司    随分と冷え込む日が続いたと思いますが、それでも咲きましたか。

畑    はい。どんなに寒さが厳しい年でも、「寒紅梅」は必ず年明けにはほころんで受験生を励ましてくれます。
御神木をお迎えして以来、本学では競泳の萩野公介選手など卒業生が、リオ五輪や東京パラリンピックで次々とメダルに恵まれ、東大・京大への合格も叶いまして有り難い限りです。

宮司 寄贈を機とされ、菅公に関する講演を貴学でされたそうですね。

畑  講演と言えるほどの内容ではないのですが、菅公について子どもたちや保護者の方に少しでも理解してもらいたいと思いまして。

宮司 資料を拝見しましたが、相当に立派ですよ。菅公は白居易(白楽天)の再来か、といえるほどの詩人ですが、それにも触れられており感動します。

畑   道真公について歴史の授業で習いはしますが、残念ながら正しく理解されていない気がします。
高名な歌人であり右大臣まで上り詰めた政治家が、讒言によって左遷され亡くなり、その後怨霊となるが、やがて天神様として崇められる。
どうして怖い怨霊が人々を守る神様になるの?と、子どもたちは素朴な疑問を持ちます。

宮司 なるほど、なるほど。

畑   間違っているかもしれませんが、私は自分なりの解釈でこう説明しています。
「怨霊」だと恐れおののいたのは人間の方で、菅公は最初から神だったのだと。
神様のように素晴らしい業績と人柄だった道真公を、あんな酷い目に遭わせてしまった。そんな道理に背いたことをすれば、ただではすまない。いつかきっと天罰が下るに違いない。
そんな“良心にもとづいた畏(おそ)れ”のようなものが、当時の人々の心には存在していたのだと思います。だから、天災も病気もすべて菅公の為せる技に思えた。
つまり、菅公が怨霊から天神に変わったのではなく、変わったのは人々の心、人々の見方だったのだと思います。
最初は体制に疎んじられた菅公ですから、怨霊というネガティヴな存在として描かれましたが、時を経て素直な心で見直せば、菅公は紛れもなく悪を滅ぼし善を守る天神さまだった。そう子どもたちに説明しています。

宮司 先年、アメリカのハーバード大学で「天信信仰」を発信する機会がありましたが、“サタンは一万年経ってもサタンだ。キリスト教では、絶対に理解できない”と言われました。
先生が仰いますように菅公は政治家であり、学者であり、教育者であり、素晴らしい詩人・歌人でした。和魂漢才の精神を以て、誠の心からくる正義感の強いお方であったことから、藤原一族の恨みをかった。
冷たい人だったとか、遣唐使廃止の建議は行きたくなかったからだなんていう人がいたそうですが、冷たい人間には、あんな情感の籠った作品は創れませんし、遣唐使廃止は存亡機の唐からもう学ぶものが少ないとの主張のみならず、自ら『類聚国史』を編纂され、この国の礎を築かれるなど、全てに意義深いものがあります。
先生の菅公への信義などが当時とも相まっていますし、本来、平安京の鬼門に祀られるべき怨霊の菅原大神が天門に祀られることによって、北野の地で祓い清められて、天神となり、様々な信仰へと発揚されていきました。
畑先生のお話は学校の生徒さんのように日本人には理解しやすいと思います。天神信仰を語る・信ずる一つの素晴らしい形だと思います。

畑  宮司様にそうおっしゃって頂け大変光栄です。
 

 


 

 

―「知・情・意」すべてに卓越しておられた菅公

宮司 菅公を祀った北野の地は、平安京の天門で、鬼や魑魅魍魎を退治する場所であり、悪霊が善神に変わる場としてたくさんの伝説も残り全国に伝播しました。

畑  道真という方は人間の持つ知(知識)・情(感情)・意(意志)のいずれにおいても卓越され、まさに神レベルの方ですが実在の人物で、ご自身が書いた文章や使った持ち物が数多く遺されています。
にもかかわらず数多くの人々に崇敬される天神さまとなった。実在の人物がこれほど信仰を集める神になるという話はかなり稀なことで、まさしく天門であるここ北野の地に祀られたからこそだと感じています。

宮司     まさに類稀なる和魂漢才により、様々な分野においてこの国の基礎を築かれ、平安文学の揺籃を形成されたのが菅公ですね。

畑   はい、菅公は単に文章博士として当時の知の頂点をきわめたのではなく、先ほど宮司様がおっしゃられた『類聚国史』のように、日本における「知」のデータバンクの先駆けを築かれました。この編纂が、その後の日本の知的活動にもたらした恩恵は計り知れません。
「情」では、和歌・漢詩いずれも傑出した作品を数多く生み出せた原動力は、広範な知識以上にやはり深い情にあったと思います。
『菅家文草』にある『寒早十首』のように、讃岐に出仕された時に出会った極貧の庶民生活をうたった漢詩には、人々の心にヒタっと寄り添う菅公の優しい心根や、悪政を糾弾する強い正義感が溢れています。また左遷された地で悲惨な我が身を詠んだ漢詩も、痛切でありながら常に高貴・高潔で、美しい。
そして意の部分、これがまさに「政治」という舞台での活躍です。
私自身も国会議員を経験し、政治で誠を貫くとは即ち、身を危険にさらすことだと痛感しました。菅公は非常に賢い方ですから、それを百も承知で数々の英断を行った。
中でも、藤原氏の利権だったであろう遣唐使船を、国家的な見地からリスクとベネフィットを客観的に評価して廃止した。実権を握っていた藤原氏からどんな怨みを買うかは覚悟の上で、誠を貫かれたのだと思います。

宮司 なるほど、なるほど。

畑  道真公が理想とされたのは、白楽天を始めとする「鴻儒(こうじゅ)詩人」。単に儒学に通じているとか歌が巧いといった詩人ではなく、大局的な見地から建設的な提言を天子に行える存在でありたかった。
そんな道真公だからこそ、鬼門でなく天門に祀られたのだと思います。
しかも祀られた後も、残された和歌・漢詩の美しさがどの時代でも人々の胸に響き、感動を呼び起こした。それが波動のようなエネルギ―となり、菅公への信仰をより長く、より広く盛り上げていった、というのが私なりの解釈です。

宮司 ありがとうございます。菅公に対する篤い思いが伺え、先生の心のうちがわかったような気がします。
 

 

 

 

 

―「作新」の名は中国の古典『大学』から

宮司    さて、理事長をされている作新学院は文武両道で名高い学校ですが、由来やどんな人材を育てようとなさっているのか、お聞きします。

畑  創立百三十七年を迎える本学ですが、校名の「作新」は中国の古典『大学』(四書五経の一つ)の一節から、勝海舟によって名付けられました。
世の中の変化に対応できるよう常に学び、自らを新たにして、未来を己の手で切り拓ける人財を育成することが、「作新」の使命です。
今どきの言葉で表現すれば「イノベーション」、つまり“新たな価値の創造”を起こせる人間。常識の枠を打ち破り、前人未到の領域へ挑戦する人になってほしいと願っています。
そのためにも、文武両道に加え社会貢献が校是です。いくら文武で成果を上げても、世の中を良くするという行動に結びつかねば意味がないと思っています。

宮司 お話しを聞いていて学院の本質を垣間見る思いがしました。華やかなテレビのキャスターから国会議員、教育者という道を辿られましたが、その原動力は何ですか。

畑  物心ついた時から、道理に合わないことに強い違和感を感じる子どもでした。理屈っぽく可愛げのない子だったと思いますが、そのまま大人になり、芸術番組の制作を希望してNHKを受験しました。
ところが、どういうわけかアナウンス室に配属され、ニュースキャスターという仕事を与えられました。お蔭で貴重な経験と多くのご縁を頂戴しましたが、やはり芸術・文化に関わる仕事がしたくてパリに留学し、文化政策を学びました。
ある時、羽田孜首相(当時)へ文化予算の増額について陳情したところ、「君の気持ちはよく分かるが、文化なんて金にも票にもならないから、誰もやらんよ。それなら自分でやったら」と言われまして。
人に頼んでおきながら、自分でやるのは御免、というのでは道理に合わないと思い、政界に飛び込むことになってしまいました。
教育に携わるようになったのは、夫の家業だったからですが、どの仕事も一貫して“青臭い正義感”に突き動かされている気はしています。

宮司 ところで、当宮とのご縁のきっかけは?

畑  実はそれが自分でもよく分からないのです。京都はもともと大好きでよく訪れていたのですが、なぜ御昇殿参拝させていただけるほど足繁く参拝するようになったのか、理由や理屈がまったく思い当たらないのです。
天神さまに“呼んでいただいた”と言いますか。
ただ、参拝すると必ず御褒美のように学院に吉報がもたらされたり、ノーベル賞受賞者の方々とのご縁が深まったり、それでまた御礼詣りに伺ってと、好循環が生まれています。

宮司 ありがとうございます。
 

 


 

 

―つつがなく日々がおくられていることに感謝を

宮司    今、コロナ禍で足が少し遠のいていますが、当宮には毎年、おびただしい数の修学旅行生が訪れます。御本殿に昇殿参拝していく修学旅行生の多いのも特徴です。そうした若者に対して先生からのメッセージをお願いします。

畑  コロナ禍やウクライナへの軍事侵攻など試練の多い昨今ですが、試練は決して不幸ではなく、むしろそれは大神様からの愛なのだと、私はいつも子どもたちに話しています。
得るばかりが幸せではありません。健康でも平和でも、失って初めてその価値の大きさに気づくことができる。そういう意味で、つつがない日々を過ごせることの偉大さに気づけた私たちは幸せなのだと思います。
日々のすべてに感謝して生きることができれば、幸せな人生を送れると思っています。

宮司 いろいろ示唆に富んだお話しをして頂き、ありがとうございました。
 

 

[北野天満宮より作新学院に寄贈いただいた「寒紅梅」]