(画像:iRONNA)

 

2011年3月11日、あの日から10年。

 

何もかもを一瞬でなぎ倒し呑み込んで行く津波の濁流、爆発しメルトダウンする原子力発電所・・・

 

なぜ?どうして?こんなことに・・・という問いが際限もなくぐるぐると頭の中をめぐり、こんなにもすべてが根こそぎ瞬時に奪われるのだとしたら、生きる意味はどこにあるのかわからなくなった、あの日。

 

しかし、その答えのない答えを見つけるため、すべての犠牲には確かに意味があったのだと思える未来を作って行くことが、生かされた者の使命であり「生きる意味」だと教えられた、この10年。

 

 

 

作新学院は復興が叶うその日まで、今も被災地に支援を続けている。

 

幼稚園から大学まで全設置校の園児・児童・生徒・学生、教職員、保護者、同窓会、関係企業など、すべての作新関係者の力を結集した「オール作新」での復興支援チームが立ち上がったのは、地震発生から5日目。

 

しかし、学院がある栃木県は被災地でもあった。

 

奇跡的に在校生には一人の負傷者もいなかったものの、自宅や家族の仕事先が全壊または半壊という子どもたちや教職員も相当数おり、東北在住の親戚や知人に犠牲者がいない者を探す方が難しいような状況だった。

 

学院も高校の体育館1棟が半壊し建て替えを余儀なくされ、大学では図書館の屋根が半壊した。

 

深い悲しみと困難を自らも抱える中で立ち上がった「オール作新」での支援活動は、“いま自分ができる、自分だからできる支援を、できるだけ”を合言葉に、実に多岐に亘った。

 

教職員と保護者は支援金や必要物資の回収・発送、有志の高校生は現地でのボランティア活動、幼・小・中等部生は被災した方々への手紙書き、中には吹奏楽部のように演奏で被災者の皆さんを励ましたいと避難所を慰問する生徒たちもいた。

 

全校揃っての支援としては、避難所や仮設住宅での掃除用に、幼稚園から高校まで全員が一人一枚、自分で手縫い(幼稚園生は保護者が作成)した雑巾にマジックや刺繍で思い思いのメッセージを綴った「メッセージ雑巾」7600余枚を作成、南相馬市など福島県や宮城県七ヶ浜に送った。

 

 

そうした支援活動の中でも殊の外思い出深いのが、中等部が事故発生2ヶ月後に福島原子力発電所の作業員の皆さんのために作成した「メッセージ手拭い」だ。

 

当時、福島原発で働く作業員の方々が高い放射線量の中で過酷な作業にあたって下さっていることは連日報道されていた。

 

ただ、事故を起こした東京電力に対する世論は厳しく、その発電所に対して支援を行う、感謝を伝えることができるという発想が、私を含め大人には無かった。

 

そうした中、中等部生たちは自分たちならではの支援とは何かを話し合った結果、被災地で自分たちの生活を守るため、最前線で戦ってくれている福島第一原発の作業員の皆さんへ、感謝と励ましのメッセージを届けることを決めた。

 

さらに、どういう形でメッセージを伝えるかを話し合うと、作業を行なっている発電所内はとても暑いことをニュースで知っていた生徒たちから、

 

「首にかけたり汗を拭いたり、何にでも使えて、使い終わったら捨てられるタオルにメッセージを書いて送ったらどうだろう。」

 

「いや、タオルだと(メッセージを)書きにくいし、作業中もかさばって邪魔になるといけない。手ぬぐいだったら畳んでポケットにも入れられていいんじゃないか。」

 

という意見が出され、結果、日本伝統のさらしの白手ぬぐいにメッセージを書いて送ることになった。

 

中等部生の発案による、中等部生にしかできない支援活動「メッセージ手拭い」は、こうして生まれた。

 

5月半ばには、生徒会の呼びかけで生徒と教職員全員がひとり1本のメッセージ手ぬぐい493枚を作成、東京電力栃木支社を経由し、6月上旬には福島原発へ届けることができた。

 

実は、中等部から福島原発にメッセージ手拭いを届けたいと伝えられた時、正直、世論を鑑みて東京電力サイドが受け取らないのではと考えていた。

 

ところが実際に東電の栃木支社へ問い合わせてみると「喜んで頂戴します。本当に有り難い。」という感謝の言葉がすぐに返ってきて、自分が随分と先入観に毒されていることを痛感し深く反省したものだった。

 

 

それからしばらくして、思いがけない手紙が福島原子力発電所から中等部宛に届いた。

 

添えられた写真には、命を賭して現場の指揮にあたられた故・吉田昌郎所長や、防護服姿の作業員の皆さんが原子力施設を背景に手拭いを広げて下さっている姿が。

 

生徒たちの手拭いの制作過程を撮影したスナップ写真や記念写真を貼った大型の絵手紙も、作業員休憩所の壁に掲示して下さっていたそうで、

 

「皆さんのメッセージの前で、私たちは身支度を整え、その前を通り、各持ち場に散って行きます。」

 

と温かい感謝の言葉が綴られていた。

 

 

 

 

奇しくも、2021年3月11日の今日は、作新中等部の卒業式。

 

震災当時は幼稚園生として「メッセージ雑巾」を作った子どもたちが、今では立派な中等部生に育ち、コロナ禍をものともせず晴れやかに学び舎を巣立って行った。

 

2011.3.11-あの日から私たちを何を学び、何をつなぎ、何を未来に残していけるのか。

 

被災された方々の悲しみや苦しみは、10年を迎えたとて何一つ変わるものではないけれど、今日の日をすべての日本人が復興への“新たな誓い”を立てる節目としたい。

 

(画像:iRONNA)