3月1日は、毎年、作新学院高等学校の卒業式。

 

昨日は入学式かと見まごうように暖かく麗かなお天気に恵まれ、春の光いっぱいに降り注ぐ中、無事1134名の卒業生が学院を巣立って行きました。

 

感染症予防のため、例年のように卒業生全員が体育館に集まることも、保護者の方々にご臨席いただくこともできず、生徒は教室から校内放送で、保護者の方々にはオンラインでの参加となってしまい、着席で3000名以上収容できる総合体育館には、卒業生の熱気の代わりに早朝の冷たい空気が残り、一抹の淋しさを禁じえませんでした。

 

ただ、それでも吹奏楽部の生演奏で久しぶりに3番までフルコーラスの校歌を聞くことができ(コロナ発生以来、校歌演奏は一番のみだったので・・・)、それだけですごく幸せな気持ちになり、10年前卒業式シーズン真っ只中で発生した東日本大地震を想い、こういう非常事態でも全員揃って卒業式を迎えられる幸せを噛みしめました。

 

 

次の拙稿は、卒業生への贈る言葉として、学院新聞にしたためたものです。

 

コロナ禍という特別なこの一年を振り返り、教育現場に身を置く者としての偽らざる心境ですので、よろしければご笑覧ください。

 

 

「雌伏(しふく)の時、雄飛(ゆうひ)を誓う」

 

大きな時代のうねりの中で卒業を迎える皆さん、誠におめでとうございます。

 

今ほど、人々がその「人間力」を試されている時はありません。そして同時に、今ほど「人間力」を鍛えられる時もないと思います。

 

コロナ禍という特別な時期に学生時代を過ごした皆さんは、将来必ず立派な人間になって、より良い未来を拓いてくれるー私は今、そんな明るい未来を想像しています。

 

この未来予測には、根拠があります。

 

コロナ禍は確かに、人類にとって歴史的な「試練」です。

 

試練とは“試し、練る”というその文字が示す通り、天が人々に難題を課すことで、その力を試し鍛錬することを意味します。

 

若い時期に遭遇する試練は、天が皆さんを鍛えようと与えるギフト(贈り物)であり、その運命にしっかりと立ち向かった者は必ずより強く、より賢く、より優しく成長することができます。

 

たとえば、人はつらい負荷が掛かれば掛かるほど「忍耐力」や「耐久力」が鍛えられ、困難を乗り越えようと努力すればするほど「創造力」や「発想力」が養われます。

 

これまでの日常が一瞬で消えてしまうことを知ることで、すべての物事に対する「感謝」の念が生まれ、これまでの常識を疑う「批判精神」が目覚め、本当に価値あるものとは何なのか、物事の本質について深く考える「考察力」が醸成されます。

 

けれど、もし運命に背を向け乗り越える努力もせず、試練が与えられたことを不運だと嘆き、誰かがどうにかしてくれるのをただ手をこまねいて待っているとしたら、せっかく与えられた試練は単なる不幸になってしまいます。

 

つらい、しんどいと感じるのは、人が人生という坂を上って成長している証拠。

 

こういう時間のことを「雌伏()」の時と言い、不条理で思い通りにならない状況にじっと耐えながら、力を蓄える時期をさします。

 

ただ雌伏の後には、必ず鍛え上げた力を発揮して大きく飛躍する「雄飛()」の時がやって来ます。

 

深く(かが)めば屈むほど、人は高く飛べるものです。

 

 

平穏無事で不自由も不足も感じない人生が、幸せなわけではありません。

 

幸せな人生とは、自分にとって本当に大切なこと、価値あることは何であるかをしっかり認識し、その大切なものを守り貫くため、強い意志を持って行動し続けること。

 

そして誰もが幸せになる権利を持っている以上、自分の幸福は自分以外の人々の幸福と常にセットであり、他者の幸福に想いをいたせない人に、真の幸福がもたらされることはありません。

 

新型コロナウィルスとは、そういう意味で実に示唆に富んだ病であり、人が他者を想う心を失くすと、堰を切ったように蔓延します。

 

どうか皆さんが雌伏の時を、自らを鍛え磨き、他者を想う心を養う好機として活かし、必ずや雄飛の瞬間を迎えてくれることを心から祈っています。